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台湾の人々や街、そして食事は最高だ。:『ヤクザときどきピアノ』鈴木智彦著【台湾版 序文】

鈴木智彦 著『ヤクザときどきピアノ』の繁体字版が台湾の出版社「時報出版」より出版されました。

繁体字版には鈴木氏が台湾の読者に向けて書き下ろした序文が収録されています。その序文を全文公開いたします。

日本語版と繁体字版

給台灣讀者的話


西洋コンプレックスを抱えてのたうち回ってきた。白人モデルの写真を使った日本企業の広告を見ると、己の劣等感を突き付けられたようで苦しかった。だがいくら西洋を嫌悪しても、私の生活や精神は西洋文化と不可分だった。

小学校の給食は毎日パンと牛乳を食べた。テレビではハリウッド映画を観た。ラジオはUKのロックンロール・バンドを聴いた。恋人との初デートは美術館でヨーロッパの画家たちの絵を鑑賞した。そもそも我が家はローマン・カトリックである。私の神は……いや宗教的な正確さで表記すれば、神のひとり子はユダヤ人だ。

高校生になるとベトナムやカンボジア戦争を撮って死んだ沢田教一や一ノ瀬泰造に憧れた。戦場の日本人カメラマンが西洋人に引けを取らず勇敢に死んだからだ。大学の写真学科に進学するとクラスに台湾の留学生がいて、話すと外国への思いが募った。バイト先でプロカメラマンに誘われ大学を辞め、外国の風景やスナップ写真を撮る仕事に就いた。外国に行ければ安月給や激務はどうでもよかった。

年の3分の2はアメリカやヨーロッパ、アジア諸国やオーストラリアに出かけ、日の出から夜景まで撮影する。当時、インターネットはなく、国際電話はべらぼうに高額だった。撮影に出かけると何ヶ月も日本語を聴かず、読まず、喋らない。そうなって初めて、私は日本と外国、西洋と東洋の違いを強烈に意識した。日本食レストランはまだ少なかった。中華料理店で炒飯を食べると涙が出た。

東洋で育ったのにバナナだ……外側は黄色く中身は白いと気づかせてくれたのは、中国系シンガポール人の歌手Dick Leeの『The Mad Chinaman』というアルバムだった。当時、ポカリスエットのCMに彼の『Wo Wo Ni Ni 我我你你』が使われ、日本で大ヒットしたのだ。友情や冒険、裏切りや復讐、恋人への愛をテーマにした歌はどこにでもあったが、島国の日本で、アジア人としてのアイデンティティを問いかけた歌手はいなかった。のちにヤクザを取材したのも、ニンジャ、ゲイシャ、フジヤマと並んで日本の代名詞であり、この分野なら西洋人より優位と思ったからだ。

鍵盤に触れる程度ならともかく、ピアノ教室を尻込みした理由も西洋コンプレックスだろう。ピアノは西洋音楽の象徴的な楽器のひとつだ。40歳を過ぎた頃、哲学を齧って転機が来た。哲学=西洋哲学である事実にまたも打ちのめされた私は、絶望と同時に、重厚な西洋文化を受け入れ、オリジナルを作るしかないと割り切ったのだ。

目が開くと先駆者はあちこちにいた。参考文献の『ピアニストは語る』は世界的なピアニストのインタビュー集で、筆者は台湾出身の焦元溥だ。インタビューは演奏と似ている。弱く叩けば弱く鳴り、浅い質問には浅い答えが返ってくる。エキスパートほど相手の理解を試すものだ。無知と見限れば上っ面しか話さない。彼のピアノ演奏に対する造詣は、西洋人の、それもトップレベルにあるピアニストの心を強く共鳴させた。内面を吐露した告白は、同等の情熱と知見なしに引き出せない。

本書は五年がかりで書いた『サカナとヤクザ』の後日談である。取材ではウナギの幼魚を調べるため台湾にも出かけた。せっかくの機会なので尊敬する焦元溥と、世話になった台湾の漁業関係者、なかでも宜蘭市の漁師たち、そしてこの本の訳者・出版社に礼を言いたい。あなたたちのおかげで2冊もの本を執筆でき、どちらも台湾で翻訳された。心から感謝している。

そしてこの本を手にしてくれた台湾の読者のみなさんへ。ありがとう。私はようやく世界の多様性を楽しめている。自分のルーツは忘れていないし、排外主義に陥ってもいない。アジアが好きだ。台湾の人々や街、そして食事は最高だ。でも西洋文化も好きなのだ。今は心からピアノやABBAの音楽が好きと言い切れる。

私の言葉があなたの心を響かせますように。先入観やコンプレックスを打ち砕き、新しい扉を開ける力となりますように。

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