見出し画像

手をつなぐ二人の距離は 第10話

10

「晴ちゃん、ちょっと相談があるんだけど」

 次の日、いつものようにリビングで予習、復習を終え、一段落した所に那由が切り出した。
「これから本屋さんに行かない? 駅前の、精文館」
「急だね、何か欲しい本があるの?」
「永野さんと、何を話せばいいのか分からないの」
 話が見えない。
「大きな本屋さんに行けば、自己啓発の本とかいっぱいあるでしょ? 物知り晴ちゃんに、永野さんとの会話に参考になりそうな本を教えてもらおうと思って」
 僕はひっくり返りそうになった。
「広い意味では探し物でしょ?」
 また、海での約束を持ち出してきた。
「僕に分かる訳ないし、女の子同士のトークの方法論なんて本を読んで分かるものとは思えないよ。那由の方がまだ知ってるんじゃないか?」
「自慢じゃないけど、クラスの女の子と挨拶以外したことないから」
 まあ、そうか。僕は少し考えて、
「ついてきて」と、那由と一緒に外に出た。

 ビアンキを走らせた先は、近所にある郊外型の古本チェーン店。僕は少女マンガが置かれた100円均一の棚から、10冊ほど抜き出して那由に渡した。
 学校帰りの高校生が数人、周りで立ち読みをしている。彼らから見て、少女マンガを大量買いしようとしている僕は一体どう映るだろうか……そんな思いは、押さえつけておく。
「女の子の心理なら、少女マンガを読めば参考になるんじゃないか?」
「なるほど、さすが晴ちゃん。探し物ならおまかせだね」
 那由は何の屈託もなくうなずく。
「私、少女マンガってほとんど読んだことがないんだよ」
「テレビは、結構見てたのに」
「家には兄ちゃん達のお下がりの本しかないし、寮はマンガ持ち込み禁止だったし」
「なるほど」

 家に帰り、僕は夕飯の支度に掛かった。今日はわかめと油揚げの味噌汁にポークソテー、レタスサラダにでもにしようかと考えながら米を計っていると、
「うぎゃー!」
と叫び声が聞こえて、リビングから那由が飛び出してきた。びっくりした僕のエプロンの裾を捕まえ、ひっぱる。
「晴ちゃん! 私にこれを読ませてどうしようって言うの!」
「な、何が?」
「このマンガ! 物語の半分でもう主人公達が、チチチ、チューしてるよっ!」
「あー、僕もそのマンガ、読んだことないからなあ」
「知ってて選んでくれたんじゃないの!?」
「適当に、一巻で完結してそうなのを選んだだけだから……何、そんなにひどいの」
「ひどいって、何でこんなマンガが日本中に流通してるのかってくらいに」
 えらい言い様だ。作者だって一生懸命描いただろうに。
「でも古本屋にあったって事は、世の女の子達はそういうの買って読んでるんじゃないのか」
 僕は、米をとぎながら答えた。一回目の水はすぐ捨てて、米は二回目の水の中で撫でるだけ。
「私みたいに『キーッ』ってなって、すぐ売っちゃったのかも知れないよ」
「そうなると、100円の棚からばっかり選んできたのは失敗だったかな」
 もう一回水を入れて、流して、もう一回入れて、水加減して炊飯器の内釜をセット。
「永野さんがこういうマンガが好きな人で、こういう思考法をする人なのかどうか、という根本的な疑問も湧いてきた」
 ……そうかもしれない。
 那由は、さらに続ける。
「永野さんは音楽が好きなのは分かっているんだから、共通の話題を作るのだったら、永野さんの好きな音楽を私に教えてくれる方が早いんじゃないだろうか」
 その手があったか。
「じゃ、夕食終わったら、応接間でCD聴こうか」
「うん、その方が建設的な気がする」
「女の子全般を想定するのと、永野さんと話せるっていうのは確かに別な話だ」
「でしょでしょ? だって、私と話せても、他の女の子達とは絶対話が通じないよ」
 那由は何故か胸を張って言った。いばるところだろうか。

 夕食後、母さんは部屋に仕事をしにいった。僕と那由で片付けをしていると、リビングで充電していた僕のスマホが短く鳴った。敦からだった。
『今から、来られないか? ちょっと相談があるんだ』
 場所は、日曜に待ち合わせる予定のハンバーガーショップだった。
 友達から呼び出されるなんて、悲しいかな初めての経験だ。那由との約束は、永野さんと会うまでまだ日にちがあることだし、後にさせてもらおう。敦からの話が終わって早く帰れれば、それからでも良いし。
 キッチンに戻り、敦から呼び出されたことを切り出すと、那由は笑って言った。
「あー、良いじゃない! いいよー、片付けは任せておいて。春木くんによろしく」
 そう言って、那由は食器を重ねていく。いつもの鼻歌と、例によって食器ががちゃがちゃぶつかる音がする。
 良かった。那由は気にしていないようだ。
 母さんの部屋に向かい、ドアを開け夜間外出の許可を取ると、母さんは机に向かったまま片手をあげた。OKだということだろう。僕は、敦に『了解、これから向かう』と返信した。
 外に出る準備をして玄関を出ようとすると、那由が見送ってくれた。
「できれば、早く帰ってきてね」
 この一言、やっぱり嬉しい。
「那由も、お皿割らないでね」
「ぷー!!」
 つい照れ隠しで、からかってしまった。

 ビアンキにまたがり、僕はハンバーガーショップに向かった。日は沈んだばかりで、まだ薄明かりが残っている。日曜には那由と走る道。下見にもなるはずだ。
 十分ほどで到着すると、窓から制服姿の敦の姿が見えた。敦もこちらに気がついたようで、右手を軽く挙げてくる。ビアンキを駐輪場に止め、いつものように二重に鍵を掛けて店に入った。
 敦の前には、チーズバーガーの包みと飲み物が手つかずのまま置かれていた。
「ごめん、どれくらい待った?」
「気にすんな、五分くらいだ」
「とりあえず、僕も何か買ってくるよ」
「俺が呼び出したんだ、飲み物くらいおごるぞ」
「ありがとう、でも大丈夫だよ。僕もいっぱい相談に乗ってもらってるし、お互い様だ」
 僕はウーロン茶を買い、席に戻った。
「何時まで大丈夫なんだ」敦が訊いてきた。
「まあ、九時ってところかな」
 今は七時半ちょっと前だ。
「部活が終わって直接来たからな、メシ食いながら話させてもらうよ。あ、これ、日曜のチケット」
 敦は、鞄からチケットを二枚取り出した。受け取って礼を言い、なくさないように財布にしまっておく。
「一時間くらい付き合ってくれ、穗積さんには悪いけど……って、なんか新婚さんを連れ出した会社員みたいな会話だな」
「まだ中三だけどね」
 敦はチーズバーガーをほとんど一口で口に入れ、オレンジジュースでそれを流し込んだ。入れ物が、一度に半分ほど空になった。
「聞いて欲しいのは、佳音のことなんだ」
 敦の言葉が、ため息と共にはき出された。
「先に、ひとつ訊いてもいいか」
「なんでもどうぞ」
「僕を相談相手に選んでくれたのは嬉しいけど、どうして僕なんだい」
「どういう意味だ」
「敦なら、他に友達がたくさんいるだろ? 何で僕なのかって」
「知り合いと、友達は違う」
 敦は、少し間をおいて続けた。
「吹奏楽部なんて大所帯にいると、自然と人を見る目は養われるものさ。うつ病って、真面目に物事を考えた奴がなる病気だろ? 俺は、他人の問題を真面目に考えてくれる奴が必要なんだ」
 病気の認識はともかく、敦は、いま褒めてくれているのだろう。たぶん。
「あと、お前は人間関係がほぼゼロだから、話が漏れる気遣いもないし」
「……敦、僕はお前の正直な所が好きだよ」
 僕は初めて敦を、面と向かって『お前』と呼んでやった。
「お褒めの言葉ありがとう」うわ、憎らしいな。「話をもどすぞ。今度のコンクール、お前らをふたり組で誘ったろ」
「ああ」
「その時、佳音を連れてきて欲しいんだ」
「なんでだよ、自分で連れてくればいいだろ」
 僕は、体育館での会話を思い出して言った。敦は僕の質問には直接答えず、続けた。
「俺は幼稚園からピアノをやっててさ。小さい事から音楽が好きでいつでも弾いていたかったんだけど、小学校には合唱部しかなくてさ。運動部に誘ってくれる奴もいたんだけど、俺はどうしてもクラシックの話が出来る奴が欲しかったんだ」
「そこに、永野さんがいた、と」
 敦は頷いた。
「佳音もヴァイオリンとクラシックが大好きで、クラスメイトの女子どころか他の合唱部員とも話が合わなかった」
 知らなかった。永野さんは、もっと、こう、「一般的」な女の子だと思ってた。というか、那由以外の女の子は誰でも「一般的」なのだと思いこんでいたのかもしれない。
「佳音の話について行けるのは俺だけだったから、おかげですぐに仲良くなれた」
「良かったじゃないか」
「最初はそれで良かったさ。話が通じる友達ができて、ただ嬉しかった。でもさ、違うんだよ」
「違うって?」
「小六になったころ、俺たちが付き合ってるんじゃないかと噂を立てられた。その時、佳音は言ったんだ。『本当じゃない噂なんて、全然気にならないよね』って。そこで、俺は自分の気持ちに気がついた」
「キツイな、それは」
「もうひとつ、俺は、佳音がオーケストラ部のある私立中学を受験してた事を、全然知らされてなかった。当たり前に、豊橋二中に一緒に進学するもんだと、勝手に思ってた」
「ますますキツイ」
「今でも、俺と佳音は良い音楽仲間だよ。佳音の学校のオケ部にだって、俺くらい佳音と話が合う奴はいない。まあ、総譜を見ながらレコードを聴くなんて変わり者、そうそういないから」
「それはそうだろうな」
 敦は、溶けた氷で薄まっているだろうジュースを一口飲んだ。
「合唱部でも俺はずっとピアノを弾いてたし、佳音のヴァイオリンソナタの伴奏もした。佳音は俺を『音楽仲間』としては見てくれているけど、俺でないとダメ、って訳じゃない。実際、お前とも楽しく話してたし」
「試したのか、お前」
「それがすべてじゃないけど、そういう目的もあった。悪かった、謝る。お前には穂積さんがいるから、ああいう事が出来た」
「おかげで、色々あったんだぞ」
「その『色々』を詳しく聞かせてくれたら、もっと謝るぞ」
「…………次の機会にしよう」
 僕も、ウーロン茶を一口飲んだ。渋くて冷たい。
「俺、名古屋の高校に行くんだ」
「へっ」いきなり全然違う、しかも衝撃的な話を聞き、思わず変な声が出た。
「まあ、引っ越す事が決まっててさ。当然、今までみたいには佳音に会えなくなる」
「そうか……」
「というか、このまま放っておくと、人間関係そのものが消滅する気がする。一年後、道で出会っても軽く挨拶してそれっきり、くらいに」
「…………」
「佳音との繋がりは、ヴァイオリンの伴奏を頼まれることくらいなんだ。でも、俺が名古屋に行ってしまえば、それも難しくなる。佳音も、わざわざ名古屋から俺を呼ぶなんてことはしないだろう。呼ばれもしないのに、佳音のところに押しかけていく度胸はない」
 それは、そうだろうけど。
 面と向かってコンクールに誘って、断られたときのダメージは想像に難くない。でも。
「……それでもさ、やっぱり自分で誘うべきじゃないか? だいたい、僕たちはまだ一回しか会ったことがないんだし、お前からの方がまだ自然だよ」
「……やっぱり、そうか……」
 敦はオレンジジュースの蓋を開け、氷ごと一気に飲み干してため息をついた。

「コンクールって、何時間くらいなんだい?」
 今度は僕から質問してみた。那由が聴いていられる長さだろうか。
「朝から夕方までやってるけど、俺らの出番は十五分くらいだ。二曲だけだし」
 それなら、音楽には飽きっぽい那由でも大丈夫かも。
「俺はトランペットと、お前の自転車をやるんだ」
「自転車?」
「チェレスタ、ってことだよ。お前の自転車、ビアンキだろ? いい奴に乗ってるな」
 そういう事か。確かに僕らの自転車はチェレステカラー、天空の色。チェレスタは『天国のような音色の』って意味だっけ。
「お前、チェレスタも弾くのか」
「ああ、ピアノも、チェレスタも、トランペットも」
 器用なやつだな。
「よく考えたら、俺、中学生活のほとんどは音楽に費やしちまった。ピアノの腕も上がったし、入部したときに偶然振り分けられたとはいえ、トランペットも大好きだ。代わりに成績は、お前と比べても全然パッとしないけどな」
「僕の場合、中学生活の三分の一以上を病気療養に費やしたんだけど、それに比べれば」
「俺も病気みたいなもんだ。音楽と、佳音と」
 いや、一緒にされても。
「『恋は世界で一番美しい病気』って、誰かが言ってた。自分でコントロールできるんだったら、それはホントに好きになってはいないらしいぞ」
「自分でコントロールできない……」それなら確かに、似た様なものかも知れない。
「変な話だけどな。実際、距離って大事だと思うんだ」敦が、ぽつんとつぶやいた。「スマホもパソコンもあるじゃんって言うけど、やっぱりしょっちゅう顔を合わせているから、また会いたくなるんだよな。人間って、忘れる生き物だから」
 敦の話は、とりとめがない。「たまに会ったって、『久しぶり、懐かしいね、元気してた』それだけで話が続かなくなる。そんなもんだ。わかってるんだ。だから、逆らってみたいんだ」
「その台詞、なかなかカッコ良いな」
「ありがとう。でも、お前に言われても嬉しくない」
 弱気になっても、敦は敦だ。
「佳音に俺の演奏を見てもらう、最後のチャンスなんだ。でもさ晴宏、問題は来てもらった後だ。俺はその後どうすればいい?」
「どうすればいい、って言ってもなあ」
「……なんで昔みたいに、トモダチってだけではいられないのかな。お前らはどうなんだ」
 来た。来るんじゃないかとは思ってたが。
「わかんないよ。でも、一線を越えたくなるって気持ちは分かる気がする」
「『一線』って表現、やらしいな」
 敦が、ニヤッと笑う。
「人に相談してるってのに、何でそんなに高飛車なんだよ」
 その高飛車な物言いを、おとなしく聞いている僕も僕だけど。「思っていることがあるなら、ちゃんと言わなきゃ」
「お前もな」
 そして、またお互いに黙り込む。僕は、話題を変えることにした。
「日曜には、付き合わせることになって悪いね。まあ、僕も那由と一緒に来るけど」
「お前らは一緒に来るのが当たり前だと、俺は思ってるぞ。もしどっちかが一人で来たら、その方が驚きだ」
 何も言い返せない。
「まあ、謝る必要はないと思うけど。佳音は、根に持つ奴じゃないし」
「那由の気が済まないらしいんだ。ごめん」
「お前が謝ることじゃないだろ。なんで、穂積さんの行動にいちいち干渉するかね」僕は言葉に詰まった。
「……自分で自分を客観的に見るのは難しいって事だよ」
「違いない」珍しく、敦が僕の意見に同意する。「外から見てると、分かるんだ。言っていいか」
「……いいよ」返事をするのに、多少の勇気が要った。
「穂積さんは、お前のことを『自分を100パーセント理解してくれてるパートナー』だと思ってる。でも、実際の所、お前は穂積さんに合わせてるだけだ。それは、逆にも言える。お前は穂積さんに『自分を100パーセント分かって欲しい』と思っているけど、穂積さんはお前のことを分かっている訳じゃない」
「お前は、本当に僕が聞きたくないことをズバズバ言うね」
「……考えれば、俺も人のことは言えないか」
 敦は食べ終わったチーズバーガーの包み紙を丸め、トレイを持って立ち上がった。
「じゃ、また明日。お前に相談できて良かった」

 家に帰ると、那由が玄関まで飛び出してきた。
「おかえりー。えらく長い話だったね」
「ああ、まあね」さっきの、『100パーセント理解して欲しいのに、互いのことを100パーセント理解している訳じゃない』という敦の言葉がちらつく。
「春木君、永野さんはもう怒ってないって言ってた?」
「敦がいうには、永野さんは根に持つタイプじゃないってさ」
「そっか!」ちょっとだけ、ホッとしたような顔。「ほかに、何の話してきたの」
「人生相談」
「人生相談?」
「敦は、高校進学と同時に名古屋に引っ越すんだってさ。考えることが色々あるんだよ」
「春木君なら、どこでも上手くやっていけそうだけどなあ」
 僕もそう思っていた。社交的だし、分析も的確だし。でも奴の悩みを聞いた今は、ほんの少し共感すら感じる。
「じゃ、CD聴こうか。約束してたでしょ」
 那由はオーディオルームに僕を引っ張っていこうとする。でも、待てよ。那由は、本当に音楽を聴きたいんだろうか。僕に気を遣って、永野さんに話を合わせようとしているだけなのじゃないだろうか。
「うーん、まあやめとこうか」
「え? どうして」那由の丸い目が、もっと丸くなる。
「永野さん、音楽に本気だから。付け焼き刃の知識じゃどうにもならないよ」
 これは本当。僕でも、全然足らない。
「ふーん」
 そう唸って、那由は僕の手を離した。

 那由からの交換日記は、今日も帰ってこない。
 あんなに日記なんて簡単だって言ってたのに。もうすっかり元気そうなのだから、ちょっとくらい書いてくれてもいいのに。

(続く)


次のお話はこちらです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?