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ナナメさん#006 もっちゃん さん

もっちゃんさんのプロフィール

・30歳・女性・大阪府堺市出身

・通った学校について:堺市立成美高校→桃山学院大学 国際教養学科 国際教養学部 2回生で中退

・部活動:中学校時代はバレーボール部、高校時代は軽音楽部

・好き(得意)だった教科:国語、英語

・嫌い(苦手)だった教科:数学

・卒業後の略歴を教えてください
大学中退後、医療事務の資格を取得し、クリニックの受付や総合病院でのドクターアシスタントの仕事をしました。その後、英語を活かした仕事をしたいと思い、貿易事務の仕事に就きました。海外出張なども経験する中、海外に出たい思いが強くなり、ワーキングホリデーでニュージーランドへ行き、現在はオーストラリアにてワーキングホリデー中です。

・現在の家族構成
父・母・妹が3人います。全員、日本にいます。
私はニュージーランドで出会った彼(日本人)と旅を続けています。

・趣味
読書、映画鑑賞、料理、ヨガやジムでのワークアウトなど身体を動かすことも最近好きです

・休日の過ごし方
ブログを書く、カフェめぐり、お菓子作り、友達とランチ、図書館で本探しetc

・好きな音楽
GLAYの大ファンで日本にいる時は母とよくライブに行きます。
今は、声のない、サウンドだけの音楽を好んで聴いています。

・おすすめの本
大きな音が聞こえるか

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学生時代から海外や英語への興味を持ち続け、ニュージーランドとオーストラリアへのワーキングホリデーを実現。人生のパートナーと目標を見つけ、ご自分のペースでしっかり歩みを進めるもっちゃんさんの、これまでの道のりをお聞きしました。
(尚、文中の写真はすべてワーホリ中に撮られたものだそうです。楽しさが伝わってきます!)

もっちゃんさん4

中学生時代から抱き続けた、英語への興味

――もっちゃんさんは、早くから英語に関心を持たれていたようですが、英語に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

きっかけは、音楽でした。
中学生くらいから、母の影響でGRAY大ファンで。歌に出てくる英語の意味を知りたくて英語辞書を引いていたのが始まりだったと思います。その後、海外のバンドも聞くようになりました。

――なるほど、それで高校も英語が学べるところを選ばれたのですね。高校時代には初めて海外留学をされたとのことですが、これは学校のプログラムだったんですか?

希望者が参加するもので、他校と一緒にまとめて行きました。
オーストラリアのブリスベンという都市での2週間の短期留学で、地元の家庭にホームステイしながら、10日間ほど学校にも行きました。

――初めての海外、何か印象に残っている事はありますか?

海外の人はお米を食べないと思っていたので、お米が出てきたことにも驚いたし、バスタオルは1週間に1回しか洗わないと言われたことや、学校には車で送り迎えされることにも驚きました。

学校に通っていた時、バディになってくれた地元の学生がいたのですが、日本語でその子の名前を書いてあげたらすごく喜んでくれて、とても嬉しかった思い出があります。当時はそこまで英語も話せず自信をなくしていたんですが、そういう交流の仕方もあるんだなぁと学びましたね。

留学をきっかけに、大学生活への気持ちに変化が

――それで、大学も英語を学べるところにされたんですね。

はい。また留学したかったので、英語科があることと、交換留学プログラムがある大学が条件でした。家計の状況的に一人暮らしはできなかったので、バイトも出来るように家からできるだけ近いところを探しました。

――大学入学後、メルボルンへ留学をしたそうですが、今度の留学生活はいかがでしたか?

楽しかったです!勉強もたくさんして、英語がどんどん通じるようになる楽しさもありましたし、大学の付属の語学学校に通っていたので、色んな国の色んな世代の人とも知り合うことができて、本当に良い思い出です。
ホームステイ先もすごく良い家族で、楽しい思い出がたくさんあります!

――よかったですね…!それで日本の大学に戻られるわけですが、なにか心境の変化があったと…?

「自分のいる場所は大学ではない」と思ってしまったんですよね。留学生活が刺激的で楽しすぎたのか、大学で受ける授業がすごく退屈に感じました。
それに、私は大学の学費全額を奨学金でまかなっていたので、楽しくないことにお金をかけたくないと思い、退学しようと決めました。

――思い切った決断ですね。退学したいと伝えた時、親御さんの反応はいかがでしたか?

母親に電話で伝えたのですが、反対したり理由を聞いたりすることもなく、「決めたならそうしたらいい」と言われました。思っていたよりあっさりしていたので、当時は無関心だなぁと思っていましたが、今になって思うと、私の考えを尊重してくれていたのだと感じます。

大学中退後、仕事探しに苦戦

――親御さんのご理解が得られてよかったですね。それで、そこから仕事を探されたのですね。

はい。初めは、英語を活かして医療通訳のお仕事ができたらいいなと思いました。そこで医療事務の資格を取って病院やクリニックに応募し続けました。30以上は受けたかな…。それでも経験のない20歳を雇ってくれるところは、なかなか見つからなくて。
最終的に、大学の近くにあったクリニックでアルバイトとして働き始めました。

――ひとまず仕事先が見つかったのは良かったですが、ご希望の医療通訳とは少し違ってしまったのでしょうか?

中退して半年ほどで奨学金の返済が始まったため、とにかく働かなければ、という気持ちでした。当時はクリニックの受付とドラッグストアのレジを掛け持ちしながら、なんとか返済をしていました。

――掛け持ちですか…!慣れない仕事の掛け持ちは、大変ではなかったですか?

幸い、クリニックは優しい方ばかりだったので、そこまでストレスに感じることはありませんでした。若かったので体力だけはありましたし(笑)
ただ初めの頃は、接客のための言葉使いや、仕事としての責任の持ち方について注意されることが多く、落ち込んだりしたことはありました。

――それで、しばらくその生活をお続けになったんですか?

1年半ほどクリニックとドラッグストアの掛け持ち生活を続けた後に、大阪市内の総合病院でドクターアシスタントとして働きました。でも、元々希望していた医療通訳は、当時は仕事としての需要があまり無くて。しばらく働いた後、もっと英語を活かせて、海外へも行けるような仕事がしたいと思い、貿易関係の会社への転職を目指すことにしました。

もっちゃんさん1

異業種への転職を経験、そして海外へ出ることを決意

――異業種への転職に挑戦されたのですね。いかがでしたか?順調に進みましたか?

働きながらの転職活動だったので、結構大変でした。
それに貿易事務は未経験でしたから、面接すらしてもらえないことがほとんどでしたね。

――えー!厳しい…。ちなみに、貿易事務ということはTOEICの点数なども条件にあったのでしょうか。

はい、最低でも650点という条件が多かったです。高いところだと850点ってところもありました。転職活動中もTOEICの試験は受けてましたが、条件をクリアしていない求人にもどんどん履歴書送ってましたね(笑)

――おぉ、たくましい…。それで、採用になった会社はどのようなご縁で決まったのですか?

ハローワークの求人が応募のきっかけでした。その会社は歯ブラシをメインにオーラルケア用品を作っているところだったので、病院で働いていた経験が営業などにも活かせそうだということで、雇ってくださいました。
やる気があればいい!と、寛容な会社でしたね。

――良い転職先が見つかってよかったですね!お仕事では海外出張などもあったそうですが、初めての海外出張は緊張しましたか?英語の方は十分でした?

かなり緊張しました!英語力は十分ではありませんでしたが、なんとか仕事をこなせる程度にはありました。
英語は、貿易事務の仕事を始めてからの方が勉強しましたね。専門用語が多かったので苦戦しました。でも働きながら学ぶことができてよかったです。視野もかなり広がりましたし。

――そこから、海外へ出る道を選ばれるんですよね。どんなことを考えての決断だったのでしょうか。

仕事は充実していて、キャリアも順調に積んでいたのですが、ふと自分の年齢を考えた時に、海外に出るなら今がラストチャンスかも、と思って。
友達が世界一周の旅に出ていたり、ワーホリで色んな国に行ったりしているのも見ていたので、自分もやるなら今だ!と思いました。

奨学金の返済がワーキングホリデーへの行く手を阻む

――ワーキングホリデーに向けて動く中で、どんなことが大変でしたか?

資金の用意ですね。もう少し会社勤めをして貯金をすればよかったと思いました。会社を辞めた後、もう少し資金がほしくなり、結局1年間アルバイトをしました。もっと計画性を持つべきだったと思います。

――どれくらい用意されたのですか?

貯金目標は100万円でした。奨学金分を日本に置いていく必要があったので、貯金するのが大変でした。

――あ、奨学金の返済も続いていたんですね。

はい、今もまだ残ってます。あと10年払い続けなければなりません。奨学金がなかったら…と何度も思いましたね。奨学金の利用を検討している方は、本当に良く考えてほしいなと思います。

――奨学金のご負担、大変なんですね…。私はワーホリ行ったことがないのですが、経験者として、ワーホリに行くならどれくらい資金を用意すればいいと思いますか?

生活スタイルや英語力にもよると思うのですが、私は3ヶ月仕事がなくても生活できる金額を目安に考えていました。何ヶ月も仕事が見つからないという方もいるようなので、最低50万くらいは生活費と帰りの飛行機代として持って行った方が良いと思います。
もちろん、資金はあればあるだけ良いですけどね!私の場合、かなりカツカツで追い込んでたので…(笑)

――「あればあるだけ良い」は本当ですよね!私も留学時代はカツカツでしたから…(笑)

ニュージーランドでワーキングホリデーを満喫!

――ワーキングホリデーの行き先にニュージーランドをお選びになったのはどうしてですか?

友達がニュージーランドでのワーホリを経験していたので色々と情報が聞けたこと、日本人が少ないということがポイントでした。それからオーガニック先進国であることや、原発フリーという点も気になっていました。

――どちらの都市に滞在されたんですか?お仕事や住む場所はすぐ見つかりましたか?

はじめはニュージーランドの首都のウェリントンに着いて、ホステルに滞在していました。最初の2週間くらいは仕事がありませんでしたが、運良くクリーナー(清掃係)の仕事が見つかりました。友達が働いていたところだったので、友達の名前でコネ入社したようなものですが(笑)

――使えるものは何でも使わないとですよね!ところで、ワーホリは自由度が高い分、色々と迷いそうですが、もっちゃんさんはどんな風に過ごされていたんでしょうか。

行きたいところに行く、やりたい仕事をするという感じで、常に予定は未定でしたね。期間限定の仕事しかせず、仕事の期間が終わったら旅をして、旅の区切りがついたらまた仕事をする、という感じでした。

もっちゃんさん2

――おお…ワーホリの良さ満喫ですね!様々な人との出会いもあったと思いますが、特に影響の大きかった出会いにはどんなものがありますか?

現在行動を共にしている彼に出会ったことです。彼も日本人で、ワーホリで来ていました。ある時ルームメイトに誘われてハウスパーティに行ったのですが、そのパーティ会場になったシェアハウスに住んでいたのが、彼だったんです。

共に行動したいと思えるパートナーと出会い、オーストラリアへ

――そこから行動を共にするようになったのですか?

はい、そうです。二人のビザの切れるタイミングが違っていたので、二人で相談して、次にオーストラリアへワーホリで行くことにしました。なのでニュージーランドに私がいたのは半年くらいですね。

――結構大きなプラン変更ですね。迷いはなかったようですが、彼さんとは、自然に将来のことを考えられるようになったのですね?

そうですね、やりたいことが同じ方を向いていたので自然な流れでした。

――オーストラリアでの滞在地も二人で相談して?

コーヒーに興味があったので、コーヒーの街メルボルンに行こうということになりました。今はバリスタとして週4日30時間ほど働いています。住まいはメルボルンの中心地から30分くらいのシェアハウスで、彼と、他のシェアメイトと一緒に暮らしています。

――オーストラリアでのワーホリの目的は、コーヒーについて深く知ることなのですか?

はい、それも目的の一つです。それから、オーストラリアもニュージーランドもオーガニック先進国であり、エコも進んでいるので、そういった生活スタイルを実践して日本に持ち帰りたいというのもありました。ここで学んだことは、ブログでも発信しています。

――なるほど、では充実した生活を送られているのですね。

はい!そして、ワーホリ期間を終えたら、彼と世界一周旅行に挑戦する予定です!本当はすぐに出発と思っていたのですが、新型コロナの流行が収まってから行くことにしました。
世界一周では、とにかく色んなものを食べて、ローカルなところに行きたいと思っています。
これまでの旅の中で出来た友達を訪ねることも目的なので、観光よりも友達の地元を知って、ローカルな体験ができたらいいなぁと思っています。

日本へ戻ることを決断。そして新たな挑戦へ

――お友達を訪ね歩くのいいですね!美味しいものもたくさん紹介してもらえそう…!そして、その後は日本へ戻る予定なのですね。永住などは考えたりしませんでしたか?

はい、永住も考えました。日本に戻らなければいけない理由はないな、と。
ただ日本人同士のカップルで永住ビザを獲得するには、私達の持っているスキルではとてもハードルが高く、年齢的にも他の国へ行くことも難しかったので、日本への完全帰国を決めました。

――日本に戻られたらどんなことをしたいと思っていますか?

日本に帰ってからは、小さな農園と小さなカフェを持ちたいと思っています。
ニュージーランドとオーストラリアの生活を経験し、オフグリッド(電力会社などの送電網と繋がらず、電力を自給自足する)な生活に憧れるようになったことと、環境問題へ取り組む意識が高くなったことで、そう考えるようになりました。

――そうなんですね!同じく農業に関わる者として、応援させていただきたいです!さて、これまでの歩みを振り返られて、どんなことをお思いになりますか?

いかに自分が後先考えずに行動してきたのか、改めてわかったように思います(笑)
でも、どの経験も選択も今に繋がっているので、後悔は無いです。特に留学は、無理をしてでも行っておいてよかったと、本当に思います。

もっとやっておけばよかったと思うのは、勉強です。特にお金についての知識をもっとつけておきたかったと思います。あとは、旅ですね!もっと若いうちに無理ができる旅をしてみたかったです。これからの若い世代の方には、どんどん海外へ出ることをおすすめしたいです!

もっちゃんさん3

――ありがとうございました。世界一周旅行、気をつけて行ってきてくださいね!

身につけた英語を武器に、海外で自らの人生の可能性を広げてこられたもっちゃんさん。日本に戻られてからは、日本に暮らす私たちの視野を広げてくれるのではないかと思いました!

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もっちゃんさんのツイッターとブログはこちら。



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