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ナナメさん#010 寺田昌嗣さん

現在、経営者として、速読指導や学習法の分野でご活躍されている寺田さん。
しかし起業をしたのは成り行きだった…!?
公私にわたり荒波を乗り越えてきた、寺田さんの歩みをお聞きしました。

寺田 昌嗣(てらだ まさつぐ)さんのプロフィール

福岡市出身・男性・まもなく50歳

・通った学校について
福岡市立香椎第三中学校⇒福岡県立福岡高校⇒名古屋大学(法学部)

・部活動
中学:卓球部
高校:物理部(無線・電子)
大学:マンドリンクラブ(コントラバス担当)

・好き(得意)だった教科:政治経済/倫理・物理・数学・英語

・嫌い(苦手)だった教科:国語(小説・詩など)

・卒業後の略歴を教えてください
福岡県立高校/私立中学校非常勤講師⇒予備校(小論文)⇒福岡県立高校採用⇒中学校派遣
⇒高校復帰⇒退職⇒速読講座・文章講座・学習法指導で起業⇒九州大学大学院進学(現在、博士課程)

・現在の家族構成
妻と子ども2人(男の子)

・趣味
パソコン全般

・休日の過ごし方
子どもと遊ぶ、家族と出かける

・好きな音楽
クラシック音楽(バロック、ロマン派)
The Bangles

・おすすめの本
『成功の掟』(マーク・フィッシャー)
『成功曲線を描こう』(石原明著)
『対話篇』(金城一紀)
『陽だまりの彼女』(越谷オサム)

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一貫して教師を目指した学生時代

――寺田さん、今日はよろしくお願いします。早速ですが、教師になろうと思われたのはいつ頃からでしょうか。

小学4年生頃から、教師になろうと決めていましたね。公民に特に興味を持ったのは中学3年生の時。授業を受けて、社会や政治の仕組みにすごく興味を持ったんですね。大好きな先生で、授業自体がとても楽しみで。
更に高校1年の時に受けた政治経済の授業もすごく良くて、そこから「中学校の社会教師になりたい。特に公民を教えたい」と考えるようになったんです。

――なるほど、では大学も教師になるために、という目線で選んだのですね。

そうですね。ただ、学校の先生からは「中学校の教師になるなら福岡教育大学がいいだろう」と言われていたんですが、僕は政治をちゃんと勉強したいなと思って。国立大学で、政治学が学べる、名古屋大学を目指すことにしました。

――中学校の先生になろうと思っていたのに、実際は高校の先生になられたんですよね。何か考えが変わったのでしょうか?

大学で学んでいく中で、「受験のための言葉を教えるのではなく、相手の中にある思いを引き出せるような新しい教育を作りたい」と思うようになったんですね。それで、思考力を問うような授業をするなら高校の方が適しているのではないかと考えたんです。
更に、中学生は教師の言葉の影響を強く受けやすい年頃なので、自分の色を出すような授業をするのは避けた方がいいのではという思いもあり、高校教師を目指すことにしました。

高校教師として教育に取り組む。中学校への派遣も経験

――そして大学卒業後は地元に戻られて非常勤講師の職に就かれたんですね。

一年目は公民の新規採用そのものが無かったため、非常勤で働くことになりました。母校に教育実習に行った際に「来年の四月から非常勤枠があるから、お前来い」と声をかけていただいて。
次の年は非常勤枠がなくなるということで、高校の敷地内にあった予備校(著者注:現在は少なくなったが、いくつかの公立高校には、校内に浪人生向けの「補習科」が設置されている。寺田さんの母校には、その補習科が学校法人として独立した予備校が併設されていた)で小論文の授業を受け持つことになりました。

――そんなお仕事もされていたんですね。

その年に教員採用試験に受かって、3年目からは公民の教師として高校で教え始めたのですが、不思議に思うことが起こったんです。4年間ずっと高校1年生を担当してたんですけど、年々学力が下がっていくんですよ。テストの点数の話ではなく、議論する力が低下していると感じたんです。僕は授業で調べ学習をしたりディスカッションをしたりしていたので、そこをリアルに感じて。
中学校の現場で何が起きているのか自分で見てきたいと思ったので、交換人事制度(高校と中学双方の教師を2年間交換する制度)を利用して中学校に派遣してもらったんです。

――おぉ…それで中学校はどうでしたか?

そもそも派遣された中学校が結構過激な学校で。学年の二割が繰り上がりの計算ができないっていう…。ですから標準的な「中学校」が見られたわけではないのですが、中学校に特別問題があるわけではなくて、そもそも小学校から問題は始まっていそうだとわかったところで高校に戻ったような形です。
と言っても半年ちょっとで退職するんですが。

突然の退職・起業。順調に業績を上げるも、経営の大変さを実感

――え、そんなにすぐご退職なさったんですか?何があったのでしょうか…?

交換人事制度のお話をしましたが、あれって中学校に派遣される際、一度退職届を書かされるんですよ。そして戻ってくる時に改めて辞令交付という形になるんです。赴任する学校も変わるので、僕は見かけ上は「中学から来た先生」というだけの存在。「いきなり大事な仕事には就かせられないね」ということで担任も部活動の顧問も外されて、ちょうど閑職にあったんですよね。
そんな中で、家族に健康上の大事件が起こって、家に常時いる人が必要になったんです。それで僕が辞めようと思いました。それしか方法はないと。
とは言え代わりの講師も見つからないうちに辞めることはできないので、そこから1か月くらい勤務して、退職しました。

――では起業は家にいるために?そんなに急に何か始められるものなんですか…?

僕の場合、学生の頃から速読に取り組んでいたんですよね。縁があって読書会サークルに入っていたこともあり、本を速く、たくさん読みたかった。それで色々な速読講座を受けてみたのですが、あまり効果が実感できなかったんです。それなら自分で、と、自分なりにメソッドを考えてトレーニングして、速読ができるようになったんです。

もともとプログラミングが好きだったこともあり、トレーニングのためのフリーソフトを作成して公開したり、教員時代にもネット上で無料の速読講座を開いたりしていました。
フリーソフトは1日100件くらいダウンロードがあり、速読講座も定員の何倍もの申し込みが来ていました。メルマガ登録者数も3000近くあったんじゃないかな。それで、「だったらこれで食っていけるんじゃないか?」と思いあがってですね(笑) 勢いで辞めて、速読でビジネスをやり始めた感じです。

――そんな積み重ねがあったのですね。それならビジネスは順調に軌道に乗ったのですね?

ソフトのアップグレード版の販売と通信講座で、月々100万くらいは売り上げが上がっていましたね。教師時代からの仕込みがあったので集客に苦労しなかったのは良かったです。
ただ、うまくいっているものって必ずパクられるんですよ。「ビジネス速読」で売り出したら、それで商標取る人が出たり、「ビジネス速読協会」を作ったり、本を出したりする人もいましたね。

――それは気が休まりませんね…

そうですね。いつも「来月どうなるんだろう、来年は大丈夫だろうか」ってハラハラドキドキしながらずっとやってきましたから。
お金を稼ぐのって大変だなって思いますね。自分がやってることで相手が変われなかったらそれは教育として間違っていると思うので全額返金しましたし、しばらく新規のお客さんを取るのをやめてひたすら研究していた時期もあり…。そういうことを含めて大変だなと。だから一度、勤め人に戻ろうと思ったことがあったんです。

ビジネスを畳むことを決意。しかし思いもかけないことが…

――それはいつ頃ですか?

独立して8年経った頃ですね。家族の事情はもう解決されていて、自分がずっと家にいる必要は無くなっていました。
当時、仕事は軌道に乗っていて、年商2000万は超えていたんですね。でも、潤ってる実感がゼロなんですよ。事務所の家賃や講座の会場費、出張費。研究の方にお金が行き過ぎていたということもありました。集客も本当に大変で。
いつも何とかしのいでる状態で、それに疲れてしまって。今までの集大成として本を出したら、予備校に戻ろうと考えたんです。

――もともと勤められていた予備校ですね。

はい。当時の塾長が僕の学年主任の先生で、「いいよ、おいで」と言ってくださり、面接の約束をしたんです。でも当日熱を出して寝込んでしまって…、全てが流れてしまったんです。
そして、その夏に「これを区切りに身を引こう」と思って出した本が、10万部売れてしまったんです。当然反響も大きくて、今更「辞めて予備校勤めに戻ります」とは言えない状況になって…そのまま今までズルズル来たって感じですね(笑)

――なるほど、それで今に至られると。現在は家事や子育ても積極的になさっていると伺ったのですが、お仕事との両立は大変ではありませんか?

いやもう、難しいですよ。社員やパートさんを雇ったのも、自分の時間を作るというのが目的ですし。家庭の時間も作りつつ、時流をとらえてビジネスの方もどんどん変えていかないといけない。そこに時間を割きたいと思っているんです。

社会を変えるため、仕事の傍ら博士課程で学ぶ

――更に大学院にも通われているんですよね。

はい、九州大学大学院の博士課程に在籍しています。
僕は以前、速読さえできれば子供たちの学力は上がるだろうと考えていたんです。でも子供たちに指導していく中で、そう単純な話ではなさそうだと気づいたんですね。それで、「学力を上げるためには学校教育を変えなきゃいけない。そのためにはイチ経営者では社会からの信頼が得られない。社会を変えようと思ったら、きっと自分は研究者にならなければいけないのだろう」。そう思って教育学博士を目指すことにしたんです。

――どんなことを研究されているんですか?

読書教育研究です。速読を含めた読書技術の指導を、日本の教育現場に入れていきたいんですよ。現状では速読の指導は「学術的にはあり得ない」ということになっていて、全く相手にしてもらえていないんです。それをきちんと論文にできるくらいまで研究して、学術的に認めてもらおうとしているところです。

――速読ができるようになることで、子供達や若者にどう変わっていって欲しいとお考えですか。

実は速読ができるようになることが本当の目的ではなくて、本を読むようになって欲しいんですよ。速読ができるようになると、みんな驚くほど本を読むようになるんです。読書量がまるで変わってくるんですよ。

――たくさん本を読むことの重要性ってどんなことなのでしょうか。

僕の中では、読書は「自己教育」なんですよ。本を読むことで疑問を解決したり新たな問題を発見したりする。更に読書で得た知識をつなぎ合わせて、自分の知の体系を作り、応用していく。これは自分を教育して、自らの可能性を広げるということなんです。
自分を自分で教育できたら、変化する社会の中でも主体的に生きていくことができ、よりよい未来を手にすることができる。更にはそういう人たちのコラボレーションも起こってくるはずだと思うんです。だから僕は、読書って「自立した個人が手を取り合える社会」を作る力を与えてくれるものだと考えているんです。

――なるほど。とても大きなビジョンのもとに動かれているんですね。

けっこう茨の道ですよね。博士号は来年で取れるでしょうけど、その先の道のりは長そうです。一つ一つ頑張っていきますよ。


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教員から経営者へ転身するも、一貫して教育について考え、取り組んで来られた寺田さん。インタビューでも、お話の明確さや引き出しの多さに感嘆するばかりでした。「読書で生きる力を与えたい」という寺田さんの想いが、多くの人に届くよう願っています。

寺田さんのTwitterはこちら。
https://twitter.com/srr_terada


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