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ー11ー独り。堕ちていく、燃えてゆく

堕胎後、私の頭の中は暗闇だった。
暗闇の中を彷徨いつづけた。

手術の翌日、私は妊娠中に飲めなくて鼻詰まりが酷くて寝られない程であった為、
耳鼻科に通院に行った。

痛むお腹を押さえながら。
でも歩くことはしんどいからバイクで向かった。

受付を済ませ、
待合室の椅子に座った。

目の前を小さい子どもを連れたお母さんが通った。
小さい子どもを見た瞬間、目が潤んだ。

でも、私は
小さい子どもから目を離すことが出来なかった。

涙が溢れ落ちた
ハンカチで目を押さえた。



診察室に呼ばれ、
妊娠をしていたから定期的に来られなかったこと、
堕胎の手術を終えたばかりのことを伝えた。

そこに関しては触れられなかった。

以前飲んでいた薬を処方された。
ふらふらしていたので
めまいの検査をし、頓服も処方してもらった。

薬局に処方箋を渡して、1時間程度待つとのことで
一旦外出した。



辺りのひと気の少ないところで座り、
職場の園長に電話をいれたり
話をよく聞いてくれた先輩・パートの職員
牧師さんやNPO法人の方などに

退院をして無事でいることの連絡をいれた。
その間も涙は流れ続けていた。
せめて、電話口では
涙声にならないように自分を取り繕った。


その後、近くのショッピングモールにある
スーパーへ向かった。

独りで生きて行く為の、食料調達。

食品を選んでカゴの中に入れていく
その間も何故か涙が止まらなかった。

薬を受け取り、バイクに跨って帰ってる最中も
ヘルメットの中で泣きながら運転していた。

ーーーーーーーーーーーーーーーー


職場のパートの方が、流産でお子さんを亡くした時に
呼びやすいように水子に名前を付けている
という話を聞いた。

名前を付けてみると、お祈りをする時とか
呼びかける時に呼びやすいかもね。


そう言われて、私自身も考えてみた。
インターネットで検索してみたりもした。

恐らく男の子だったことから

‘‘空来(そら)‘‘

そう私の水子に名付けた。
名前の由来は、

‘‘一度は空に戻るけれど、またこの世に帰って来たら
今度こそ、幸せになって欲しい‘‘

そう、願いを込めて。


ーー火葬の前日。

私は、独りで火葬に立ち会おうとしていた。
親も誰も呼ばずに。
その為だけに、牧師さんを呼んだりNPO法人の協力者を
付き添いで呼ぶのは違うと思ったから。

NPO法人の方が、第三者の話し合いの場で
彼に提示してもらった免許証の住所から、
どうやら実家の母親が自宅で講師をしていることが分かった。

そして、私に教えてくれた。



その講師の方の顔写真を見ることも出来た。
名前も勿論書いてあった。

彼の母親であると確信した。


それから。
妊娠届を出す際に彼に書いてもらった住所と
免許証の実際の住所が少し違うことが分かった。


書き間違えだなんて
そんなこと思えるはずもなかった。

初めから、逃げられるようにしていたの?

じゃあ、この私にあった出来事は無かったことにして
彼は両親にも何も言わず無かったことにするだろう。

そう、私は考えた
彼に対して何とも形容しがたい気持ちが表出した

怒り・憎しみ・嫌悪・蔑み・軽蔑



私は彼の母親に自分から電話することを決めた。
会ったこともないけれど。

その日の内に、
彼の母親に伝えたいことを携帯のメモに連ねていった。

いざ話すとなると、絶対、泣いてしまうから。
上手く伝えられないから。

そして、出来上がった文章を基に
念の為、別の端末でボイスレコーダーで記録をとった状態で
彼の母親に電話をした。



まずは、出た先の相手が彼のお母さんであるかの確認をした。
それから、
‘‘彼とお付き合いさせていただいています〇〇と申します。‘‘
から、始めた。

信用してもらえるように、彼から聞いていた家族の情報を伝えた。

彼の母親は、彼が私と付き合っている話はよく聞いていたようで
私のことを知ってくれていた。

「〇〇の辺りに住んでらっしゃいますよね?」
その言葉でそう確信した。


そこから、事実の経緯を説明した。

〇月に彼の子を妊娠したことが判明したこと
安定期に入ったら親に報告しようと彼が言っていたこと
私は既に両親に伝えていること。

しかし、私の悪阻が酷い時期に
私の振る舞いや冷たさから一度一方的に彼から堕胎するように言われ出ていかれたこと
その後、一方的に安定期に入ったら引っ越し・入籍をしてやっていこうと。
そういう形になったこと

そこで、私は
彼の言動に不信感を抱いたり、1人で育てようかとも思ったこと

しかし、私の両親の理解と協力が得られないこと
たくさん考えて色々な公共機関に相談したこと

第三者を入れた話し合いの場で、
何を話したかボイスレコードにも残っていること

そして、もう堕胎の手術は済んでいることを伝えた。

ーー彼の母親は絶句していた。



手術の時の状況や休職している現状の説明もした

そして、明日火葬であること。

涙声になりながら、
言葉に詰まりながらも、伝えられた。


彼の母親は動揺を隠しきれていなかった。
そしてあまりに深刻な話に立ち眩みすらしているようだった。


良ければ、詳しい状況なども含めて直接会って話したいので日程を調整できないか伝えた。


すると、彼の母親から
「明日の火葬に行かせてください。こんな状況で彼を連れて行かないわけにはいかないので、話をします。」
と。

私は、彼が火葬の日程を知らなくて良いと言った以上、私は彼に対して憎しみの気持ちも怖い感情もあり、会いたくないこと、来てほしくないことを伝えた。



とりあえず、彼の母親は彼の仕事を終わるのを待って直接話をすること、すべきであることを言っていた。

一旦そこで通話は終えた。


その後、しばらく経ってから
彼の母親から連絡がきた。

彼の母親からみて旦那さん、つまりは彼の父親に、別居中ではあるけれど、思わず連絡をいれたこと。
彼の父親が彼の職場に電話をしたようで、話をしたところ
彼より一方的に電話を切られたこと。

そう伝えられた。

彼の母親からは、私自身の精神的安全の為に、連絡や電話などがきても出なくていいことを伝えられた。


ーー案の定。
彼よりLINEがはいっていた。

「なんで母親に連絡したの?」
と共に、不在着信が入っていた。


怖かった。とにかく怖かった。
すぐにでも彼が、私の家に来てしまいそうで。
いつ来るか予測すらつかなくて。

そうなったら警察に通報することは勿論考えていた。
オートロックはついているものの、入ろうと思えば乗り越えられるほどの塀。

あの場で合鍵を回収しておいて本当に良かった。



それでも、しばらくは、
いや、今でも

家に帰ってきて入る前には周囲を警戒している。

いつもは開けたままで寝る窓も、
閉めて寝ていた。

とにかく怖かった。



彼の母親が火葬に来てくれるとのことで、
これまでの彼との付き合いからこの経緯に至ったまでを
書き起こして印刷した。

念のため、見せられるように、
エコー写真と母子手帳も準備した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



ーーー火葬当日。

私は喪服なんて持っていなかったから。
就職活動をする時に買ったリクルートスーツを着て自宅からタクシーで火葬場まで向かった。

駅から行くと彼に出くわしそうで怖かったから。

タクシーに乗りこみ、道中はざわざわして仕方が無かった。


朝早くてバタバタしていて、タクシーの配車も時間通りに来なくてギリギリに火葬場に到着した。

後から、タクシーに携帯を忘れたことに気づくくらい、
焦っていた。


そして、火葬場に着き、案内された。

ーー彼が、いるかもしれない。

そう思っていた私はとにかく不安で仕方なかった。
でも、彼の母親が間に入ってくれるだろう
そう思っていた。

痛むお腹を押さえながら階段を登り、待合室に向かうと
彼の母親らしき人のみ、座っていた。


そこで初めて、‘‘初めましての挨拶‘‘をした。


火葬の手順の説明があった。
私は、私が産まれた時には両親の親が亡くなっていた。
火葬や葬式などに参列したことがなかった。

初めての火葬の場が、我が子だなんて。
誰が予想するだろうか?
どのような感情を想像するだろうか?

でも、それは私にしか分からない、出来事。



火葬の前に、我が子と再び対面した。
勿論。涙は堪えられなかった。

彼の母親にも見てもらった。
泣いていた。


お祈り、見送りをして
その後、焼けるまで待合室で彼の母親と2人きりになった。
そこで、私は今までの経緯を印刷したものを彼の母親に渡した。

彼の母親は、頷きながら
パラパラと捲っていった。

同時に、第三者を交えた話し合いの場でのボイスレコーダーの文字起こしと、
その場で私が読むはずだった彼に宛てた手紙の原文をそのまま渡した。


30分程度で我が子が焼えていった。
幸い、骨が残った。

骨壺にいれるやり方が分からない私は
正直に、初めてなのでやり方を教えて欲しいことを火葬場の人に伝えて
彼の母親と共に行った。



ーーあぁ。骨になってしまった。
これで、本当に、空来は空に
還るんだね。

でも、またこの世にまた帰って来たら今度こそ幸せに、なるんだよ。


「必ず償わせます。」
と彼の母親から言われた。

そして、
「彼とはちゃんと話をします。けれど、今すぐに話をしてもきっと彼は混乱してしまって、受け入れられないと思うんです。なので、頃合いを見て話をします。」


頃合い?彼にとっての?
私は?私の現状はどうなるの?


ーーーー彼の母親は、手ぶらだった。





骨壺を受け取り、電車に揺られて帰りは帰った。
携帯をタクシーに忘れたことでなんだかんだあったのだが。

家に帰ってきた私は虚無感しか感じなかった。
手術の時の感覚が忘れられない。
痛むお腹。未だに出血も止まらない。

ふらふらしていた。

それでも、私は書類の整理や
骨壺の置く場所を決めた。
どこが、一番、空来にとって居心地が良いだろう
風が通るだろう?
そんなことを考えながら置き場所を決めた。

本当は隣に花を添えてあげたかったけれど
買いに行く元気は無かった。


それからは、どう過ごしていたか
あまり覚えていない。

けれど、痛むお腹を押さえながらも
動かずには居られなくて
気分を変えようと部屋の模様替えをしたり
今まで出来なかった掃除をやり続けた。


一回目の休職の時と、同じようなことをしていた。
当時一緒に居てくれた人に
「大掃除でもしてるの?」

と、言われたことを思い出した。


でも、私は‘‘私‘‘を止めることは出来なくて。
ただ、ひたすらに動いていた。

そうしていないと、色々な感情が嫌でも
湧きだしてしまうから。


ーーそれでも。

夜になると決まって私は泣き続けた。
毎日のお祈りは欠かさなかった。

‘‘空来、ごめんね。ママが弱くて産んであげられなくて。許してくれるかな。約束してたのにね。破っちゃってごめんね。今からでも、一緒に空に行くの、間に合うかな。一緒に行きたいよ。‘‘


そんな事を嗚咽混じりに、
骨壺の前で口に出して語りかけていた。

毎日、毎日。
それを繰り返していた。

死んでしまいたかった。

母には堕胎したことは伝えずに、流産してしまった
という体で伝えようとしていたけど、まだ出来なかった。

父には、退院した時にLINEをいれていた。

「なんと言ったらいいか分からない。
でも、こうなることは自分でも分かっていたんだよね。」


そんな事を言われた。


一週間くらいはずっと希死念慮が消えることはなかった。
ただ、空来の後を追いたかった。
それだけしかなかった。



退院してからちょうど一週間後、
術後経過を見るために通院した。

特に、遺留物などもなく
異常もなかった。

私は、低用量ピルの処方を求めた。

ーーーもう。こんな思いは2度としたくないから。


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精神科には継続的に行った。
夜に眠れない、中途覚醒が多いことを相談し
睡眠薬や導入剤が増えた。増えていった。

食べられないことを相談しても、
「無理にでも朝と昼は食べなさい。10キロとか体重が減ったら入院させざるを得ないからね。」

そう、言われた。




職場の園長が家まで来てくれることになった。
諸々の手続きや、お金関係の話をする為に。

園長は大きな箱を持って来た。
その中には、1人じゃ到底食べきれないほどのケーキ・プリン・シュークリーム・ゼリーが詰まっていた。

園長なりに女の子だから、
とか色々考えて買ってきてくれたのだろう。
その気持ちはとても嬉しかった。

けれど、普通の食事も喉を通らない状態。
甘いものはそこまで得意じゃない
私にとって、心の中で苦笑いをした。

退院祝いって。おめでたい退院じゃないんだけどな。
なんてそんなこと思っちゃ駄目なのに。

ダメにしてしまうのは申し訳なかったので、
職場のパートの方に事情を説明して、
私の家まで食べに来てくれることになった。

その時に、綺麗なオレンジ色の花を
買ってきてくれた。

すぐに空来の傍にお花をお供えして、
一緒にお祈りをした。


その方と一緒にだったら、少しはケーキを食べることが出来た。
そして、職場の子どもの様子の話や
職員の状況の説明をしてくれた。

そして、帰って行った。



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まだ、抗うつ剤の処方は再開されていなかった。

保健師の家庭訪問が、1週間に2回くらいのペースであった。
私がどうにかならないように、気にかけてくれる人はいた。

それでも。自分からその保健師さんに電話をいれられない
曜日・時間帯はどうしようもなくなったこともあった。

命の電話にも、何か所も電話を掛けた。
繋がるところはひとつもなかった。

いつしか、泣けなくすらなった。
そんな気力も無かった。

こんな状態で仕事に復帰なんて出来る訳なかった。

精神科の主治医(妊娠してからかかっている方。以前は他の先生だった。)
に相談した。

‘‘今の私の状態って何なんですか?どうして抗うつ剤が出ないんですか?‘‘

そこで、主治医からは、あくまでも堕胎による喪失感からくるもの
と言われた。

一旦はそこで終わった。



次の診察の時に、
休職の為に、診断書を書いてもらった。
堕胎による精神的負担からくるうつ状態の悪化
と記載された。

そして、そこでやっと、抗うつ剤の処方がされた。


飲み始めてから、思い出した。
あぁ。この飲み始めのこの感じ。
下の方からせりあがってくるような気持ち悪さ

でも、あの時、居てくれた人はもう居ない。
寝る前に気持ち悪さから泣き出す私の手を握ってくれる人は
もう、居ない。

独りだ。1人で耐えた。耐え続けた。





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