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ー12ー エッセイ


私はまた、このnoteの場でエッセイを書き始めた。


私にとって
エッセイは、生きていく為に。



自分にあった出来事を順番に、
1つずつ振り返って。

頭の中のごちゃまぜで
絡まり合った糸をほぐしていく作業。

幼い頃、文字が書けるようになってから
誰にも親にも口に出して言えない環境で
生きてきたから

とにかく思ったことをつらつらと
書くことで発散・整理してきた。

これは、自分なりに生きていく上で
身につけた術。

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書き進めている途中で、ふと、
誰に言われる訳でもなく
Twitterを始めた。



ーーあ、そうだ。エッセイを書くのはいいとして、
より多くの人に見て欲しい、という
自分勝手な気持ちから始めたんだった。



リアルな友達は一切いれていない。
‘‘ちびすけ‘‘として始めた。

最初は同じような症状や病気を抱えている方を片っ端からフォローした。

そして思ったことを呟き始めた。


Twitterから長く離れていた私は、
『スペース』という機能が追加されていることを
初めて知った。

最初は入ることは出来なかった。
何となく、怖かった。


でも、勇気をもってはいっていった。

最初は自分を偽っていた。

そこには、優しい世界もあった。
けれど、変な人も沢山いた。
心がざわつくこともあった。


いつしか、素の自分を出せるようになって
それもまた認めてもらえたことも沢山あった。
繋がりが深くなることで気付くことも多かった。

徐々に繋がりが増えていく中で、
色々な価値観や考え方、
それぞれの生きてきた過程があって
話すこと、聞くことが面白かった。

信頼してみたい人は
何人かいた。

お互いに悩みを吐き出しあったり、
励ましあったり。

傍から見たらただの傷の舐め合いかもしれない。

でも、私にとっては
誰かに話を聞いてもらうこと

ある時は、誰かに寄り添って話を聞き、
「ありがとう」
そう言われることで自分の居場所はここにあるんだって

自分は居てもいいんだって
自分勝手にだけど。
そう思うことが出来た。

でも、自由であるけど
自由じゃない。

人と何かしらの形で繋がる以上は
嫌になることも
嫌に感じさせてしまうこともある。

自分で自分が分からなくなる時もある。
でも、自分の1つの信念は貫こうと思う。

私のこのエッセイを読んでくれる人も現れた
その事実がなんだか、とても嬉しかった。

あわよくば
私の紡ぐ言葉が、何かを感じる
ひとつの、きっかけになると良いな

なんて。


私のことを見つけてくれた人も居た。
でも、それはまた別の話。



私にとっては、今が踏ん張り時。
経済的にも、環境的にも、崖っぷちに立たされている。

それでも、私はしぶとく
もう少し生きてみようと思う。

そう思えるようになってきたんだ。


空来、私、もう少しここでやっていってみるよ。
色々やるべきこともまだ沢山あるけれど、
1つずつ、やっていくよ。

我儘だけど、それまで一緒に居てね。
ちゃんと、片づけたら

ちゃんと、準備したところに
埋葬、するからね。

今度、その場所に行って下見もするから。
安心して。光が射していい場所なんだって。


いつも、いつまでも。
私の中で空来が生きていた
事実は消えないから。消さしやしないから。

私の心の中にはいつも空来が居るよ。



私は、大丈夫。

1人だけど、独りじゃない。

そう、思っていいかな。


おしまい。



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