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拳拳服膺

 本は好きですが、世間でベストセラーと言われるものは読まないので、養老孟司の「バカの壁」という本も読んだことはありません。でもYouTubeで出てきたので、この人の出ている動画を見ました。講演会の質疑の部分を切り取ったもののようです。

 質問者は、アメリカ人は組織の中でも自由闊達に動いているのに、日本人は閉塞感に囚われていると憂えていて、これを変えるにはどうすれば良いかと問います。

 養老孟司の答えていわく、確かに日本人は近代的な個人を確立できていない、安心して自由に個を発揮させるには、昔ながらの「家」に似た共同体に所属させるのが良いとのこと。ボクの意訳です。


 20年近く前、ファイナルファンタジーXI(エフエフイレブン)というゲームがありました。パーティーを組んでモンスターを倒します。同じサーバーに外国人プレーヤーも居て、一緒に遊ぶことができました。日本人は日本人同士が多かったようですが…

 モンスターの落とすアイテム(宝物)をパーティーの誰が取るかという問題。英語にdeserve という言葉のある通り、彼らは高レベの人に譲ることをします。そして、時間が来たら勝手に抜けていきます。個人が契約に従って組織に加わっている、というような感覚。

 ボクたちは平等主義。従って、宝物がメンバー全員に行き渡るまで抜けるわけにはいきません。ずっとダラダラとやっています。組織という感覚はなく、一蓮托生のいわば世間のミニチュア版でしょうか。

 彼らに世間はなく、あるのは個人だけなのでしょう。必要な時に組織を作る。目的ありきの組織。契約というか原理原則ありきの組織。たぶん。

 ボクらは常に世間の一部です。組織は作れません。親とか社長とか理事長とか天皇とか、誰か一番怖い人が居ないと秩序だって何かすることはできません。世間は怖いです。


 こうしたことは違いであって、どっちが優れているとかはないと思いますが、戦争には弱いでしょうねボクたちは。世界は世間の外側ですから。

 こうした違いに気づかず、個人が自由に力を発揮できるような組織とは何かとか議論するのはまぬけな気がします。組織の目的は個人の力を自由に発揮させることではなく、戦争遂行とか全く別のものでしょうから。もちろん、個人の力を自由に発揮させたほうが良いに決まっていますが、ボクたちはどうしても世間の皆様の目のほうが怖いから出る杭にはならないし、怖い人が利益を得るのは気に食わないので、利口な人は力を温存して適当にお茶を濁しているのではないでしょうか。

 こうした性格は直せないと思います。子は親を写す鏡だと言いますから。

 今朝NHKで、今年死んだ半藤一利さんを偲ぶのを流していました。ノモンハンなどの失敗を教訓として二度と繰り返さないようにと本をお書きになったそうです。お気の毒ではありますが、全くの無駄、徒労であったようです。

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