八犬伝を読み比べる

このCD-Rには何が入っているのだろうと開いてみると、20年ほど前に訪れた南房総の画像が現れた。
館山を訪れた時のもので、館山城内には辻村ジュサブローの人形が飾られ、いまだにNHKの新八犬伝推しの、南総里見八犬伝一色だった。

当時を思い出し、文庫本も開きながら回想したい。



里見義実が構えた滝田城跡に登り、次に訪れたのが伏姫が隠棲したとされるこの「伏姫籠穴」
木立を渡る風、余韻嫋々として一帯に深山幽谷の気がみなぎる。

曲亭馬琴が28年の歳月を費やして完成させた長編伝奇小説は、フィクションの枠を超えて史実とクロスオーバーしてしまった。
妖犬八房とともに滝田城を出奔してこの場所に移り、やがて自らの純潔を証明するために自害した伏姫の数珠が四散し、仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の玉を持つ八犬士が生まれた。
水滸伝そのままの始まりだが、勧善懲悪譚の発端となったのが富山(とみさん)中腹の籠穴である。
狸に育てられたという八房の墓標もあり、それだけこの物語が万人に愛され読み継がれていることがわかる。


時は足利室町の御世。
関八州に飛び散った玉を持つ八犬士がやがて集い、里見家再興に獅子奮迅の活躍をする物語は誰もが知っているところだが、伝奇ロマンは伏姫籠穴まで仕立て上げてしまった。
全十巻から成る岩波文庫本は未読だが、手元にあるのは以下の三編。
登場人物はどれもが個性豊かに描かれている。


「八房よ、敵将の首を獲って来たら、我が娘伏姫をお前にくれてやろう」
義実が館山城主の安西三郎景連に攻め込まれ、滝田城あわや落城かという場面で、義実は藁にもすがる思いで飼い犬の八房に言った。
その言葉を理解したかのように八房は滝田城を駆け下り、敵陣に単騎飛び込んで景連の首を持ち帰った。
この功績により伏姫は八房に嫁して、件の洞窟で暮らすようになる。

風太郎本(朝日文庫)
富山の山は、まれに晴れた日には、館山の入江や、遠く州崎の岬が見えることもあるが、たいていは雲にとざされていた。
そこにも、やがて例の谷川に落ちる岩だらけの渓流が、段をなしてながれていた。そこから少しはなれて一つの岩屋があり、その出口に近いところに、まるで経机のようにひらたい岩があった。
その岩窟で、干し草をしとねとして伏姫は暮らした。八房はその外で寝た。
伏姫はなんどか八房にいった。
「八房、約束通り、私はお前の妻になりました。けれど、それはただ心の中でのことです。それ以上、私に近づいてはなりません」
八房は、岩屋の中にはいって来なかった。


鎌田本(角川文庫)
こちらは義実の家臣、金腕(かなまり)大輔孝徳の台詞として描いている。
探すこと一年余り、私は、富山の奥、渓流に沿うた杉林のなかに、ひっそりとした洞があるのを見つけたのです。その洞のなかに、褥のような茣蓙と共に茶碗などが置いてあり、人の生活していた跡があるのを見つけました。もしやと思って杉林のなかに潜んで待ちうけていると、伏姫が八房と共に山から降りて来たのです。伏姫は楽し気に八房に語りかけ、まるで本当の夫婦のごとくに見えました。

山手本(春陽堂)
真夜中すぎとおぼしいころ、富山の山路にわけ入った。富山は安房国第一の高峰といわれ、頂きにのぼれば遠く那古、州崎、七浦のあたりまで海を見晴らす。山中には人里なく、巨樹生いしげって昼なお暗い森林の下を、わずかにきこり道がいばらに埋もれ、つづらおりに分けのぼっていくのだ。
中腹をすぎるころ、谷川を一つわたった。金色の月かげを砕いて躍る清流を、伏姫は夢にともなくうつつにともなく、まあきれい、と見とれているうちに、八房はなおも山深く進んで、ふと立ち止まった。前脚を折り伏して、おりよといいたげである。
「ここはどこです」
姫は八房の背をおりて聞いた。見ると、さっきの広い清流が目の下に帯のごとくにひらける山峡に立っていて、前に一つの洞窟がある。まるで鑿で彫ったような石の門があり、北から西はそびえしげる松柏を自然の垣とし、南面する洞窟は、やや西に傾きかけた月かげ差し入って明るげである。
「八房、ここが私たちの住みかなのですか」
伏姫はなにか物珍しく、つと中へ入ってみた。昔世捨人でも住んでいたことがあるのだろうか。古びた経机が南を向いてすえてあり、その前に、これも古びた円座が、朽ちもせず、火をたいた灰のあとさえわずかにみとめられる。
これなら、十分、雨露はしのげそうだ。が、人里遠く離れた深山の奥、山気しんしんと肌に迫って、夜だから鳥も鳴かず、聞こえるものはこずえをわたる小夜嵐のみである。



虚実の境界も曖昧なまま妖かしの迷宮に漂った。

時代は下って、里見家はやがて江戸幕府により倉吉藩に配流され、やがて領主の里見忠義が没する。
この時に八人の家臣が殉死したが、その戒名すべてに「賢」の字が入ることから八賢士と称されている。
また倉吉から分骨した墓が館山城の裏手にあり、馬琴はこの八賢士を八犬士のモデルに構想を膨らませたと考えるのも、あながち的外れなことではないだろう。
いずれにしても「尼子十勇士」や「真田十勇士」と並び、「南房里見八犬伝」は、主君への忠義や武士道の本懐を余すところなく描いた痛快娯楽小説である。

最後に八犬士の名を記してこの記事の締めくくりとする。
犬塚信乃、犬川荘助、犬山道節、犬田小文吾、犬飼現八、犬江親兵衛、犬坂毛野、犬村大角。


付記

山手樹一郎本が一番読みやすいかも知れません。
山田風太郎の本は、かつて朝日新聞の夕刊に連載されたものですが、本編と、それを創作する馬琴の姿も書き込んであってなかなか本編に没頭できず、少々煩わしく感じました。
鎌田本はポルノまがいの内容に換骨奪胎され、結末ではなんと八剣士のうち七人が死んでしまうというトンデモ本です。

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