エンニオ・モリコーネ オフィシャル・コンサート・セレブレーション 人生で一番泣いた話
2022年11月6日(日曜日)に、以前よりどうしても観てみたかった
エンニオ・モリコーネのコンサートに一人で足を運んだ。
そこで、これまでの人生で間違いなく最も泣いてしまった話をしたい。
エンニオ・モリコーネは2020年7月6日に、91歳で生涯の幕を下ろした。
今回は、息子のアンドレア・モリコーネが指揮の
「エンニオ・モリコーネ – オフィシャル・コンサート・セレブレーション」
として開催。
私はそもそもエモーショナルなメロディに対し、心を打たれやすい。
エンニオ・モリコーネの音楽は琴線に触れることばかりで、いつも何かのタイミングでは聞いていた。
作曲家エンニオ・モリコーネとは?
エンニオ・モリコーネは、数々の映画音楽を作成してきたイタリアのマエストロ。
私の出会いは「ニュー・シネマ・パラダイス」(Nuovo Cinema Paradiso)。
ご覧になった方も多く、古い映画なのでネタバレについてはご容赦願いたい。
1988年の映画で、公開当時私は幼児で両親がこの映画に触れていたとは考えにくい。
いわゆるバブルの真っ只中で、今もそうだが両親や兄弟が急かされるように生きていた。
もしかしたら連れて行かれたのかもわからないが、何しろ青年になってからきちんと向き合って観たことを覚えている。
とても長い映画で、あまり触れることのなかったイタリア映画をシンプルに正面から受け止めて観た。
物語は、訃報から始まる。
主人公のサルヴァトーレは、自らの人生を回想するのだが…
イタリアの映画についての特徴を表している記述を観てみると、「スペクタクル史劇」と言われるものに当たるのだという。
人生を振り返り、さまざまな人との出会い。どうにも抗しがたい別れ。
後悔と夢、愛が丁寧に描かれることが特徴なのだそうだ。
「ニュー・シネマ・パラダイス」
は正に全てを兼ね備えていて、エンニオ・モリコーネの紡ぐ荘厳な音楽が映画と共に歩んだ人生と愛に対するテーマを丁寧に織り込んでいく。
この音楽が決定的で、ミュージカルではないのに関わらず音楽が全てのテーマを決めているかの如く心震わされてしまう。
青年だった私が観た頃には、サルヴァトーレの青年期までの気持ちにだけ寄り添えるだけの人生経験だったと思う。
ところが最後まで、作中何度も泣いてしまった。(泣きの映画では、基本あっさり泣いてしまう。)
この映画がきっかけで、折に触れてエンニオ・モリコーネが映画音楽を務めた映画をいくつか掘った。
豪華客船の中で生まれ、生涯船の中で暮らすピアニストの物語
「海の上のピアニスト」
一番好きな芸人がその映画から名前を取った
「アンタッチャブル」
ロバート・デニーロが葉巻を加えながら酒を燻らせるのは、この映画。
アンディ・ガルシアの確定的なスターへの道を作り、ショーン・コネリーが俳優として復活を果たしたと言われる。(当作品で、アカデミー助演男優賞を受賞)
また、主人公の立場が正反対のこれまたデニーロが主役を務める(アンタッチャブルはケビン・コスナーが主演)
「Once Upon a Time in America」
この映画はクラシックギャング映画として確固たる地位を築いている。
いずれの映画も監督は違うものの、それぞれの映画を撮った監督達は何度もエンニオ・モリコーネと一緒に映画を撮っている。
(ニュー・シネマ・パラダイス / 海の上のピアニスト / マレーナ 等 監督:ジュゼッペ・トルナトーレ)
(アンタッチャブル / カジュアリティーズ / ミッション トゥ マーズ 監督:ブライアン・デ・パルマ)
(Once Upon a Time in America / 荒野の用心棒 / 夕陽のガンマン / 続・夕陽のガンマン / ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト 等 監督:セルジオ・レオーネ(1989年没))
セルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネは小学校の同級生。
荒野の用心棒は、黒澤明の用心棒に感銘を受けちゃって許可なく作っちゃった映画なのに大ヒットしちゃって後から訴えられている。
それでも、遺作となる「Once Upon a Time in America」までエンニオ・モリコーネと様々な映画を作り上げた。
そんな映画音楽を500曲以上作り上げた、エンニオ・モリコーネのコンサート。
今回も、全て映画音楽からのプログラムになっていた。
エンニオ・モリコーネ「オフィシャル・コンサート・セレブレーション」のプログラム
私がエンニオ・モリコーネの作品として観てきた
「アンタッチャブル」
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」
「海の上のピアニスト」
がプログラムのPART Ⅰの冒頭に組み込まれている。
開場から開演の時間までは、「オフィシャル・コンサート・セレブレーション」のPR画像が流されていた。
その真下で、東京フィルハーモニー交響楽団の方々が音合わせをしている。
実はその段階でかなりヤバかった。
聞こえてくるメロディには知った曲があり、今から聴くことが出来るのだという感動。
会場では飲食の禁止が通達され(東京国際フォーラム)、そもそも会場にくる前から
「少し泣いてしまうだろうな。」
とは思っていたものの、この時点で
「泣いてしまって喉が渇くのでは?」
と心配していた。
開演5分前くらいまで、直前に流されていたPR動画はこれまでにどこかで宣伝したものを使用。
映像の演出はそこまで無いのかな?とちょっと舐めていた矢先。
息子のアンドレア・モリコーネは映像に流れる「アンタッチャブル」の名シーンと共に、東京フィルハーモニー交響楽団と力強い演奏を放った。
1年前に見直していた「アンタッチャブル」は、仕事上当時のアメリカの歴史を直近まで学んでいた私に取ってより意味を持って耳の奥深くまで届く。
禁酒法時代に大金をせしめたアル・カポネを追い詰めるのがこの映画のテーマだが、テロ行為とも言える爆弾によって尊い幼き命が失われるシーンは胸を打つ。
アンタッチャブルの中では全く武闘派ではない、財務省の役人オスカー・ウォレスが密造酒を運ぶ車から漏れたお酒をペロっと舐めるシーン。
禁酒法の無駄を端的に表して、不毛な争いと数々の命のやり取りが繰り広げられた「アンタッチャブル」のシーンに「勝利の誇り」と言う曲が涙腺を緩ませる。
「アンタッチャブル」は私の中でエンニオ・モリコーネが放つ音楽にある、心震わせるタイプの映画ではないのに関わらずだ。
次いで流れるのは、ラスト・シーンについて終ぞ正解をその口で答えなかったセルジオ・レオーネ監督作品で彼の遺作
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」
が映像と共に演奏され始めた。
ロバート・デニーロはこの作品でもやはりギャングを演じているが、後半のプログラムに登場する「ニュー・シネマ・パラダイス」と同様に回想から始まる。
主人公ヌードルスはデボラに恋するシーンに「デボラのテーマ」が美しく奏でられ、不良少年達が運命に翻弄されていくシーンが切り取られていく。
この映画もやはり禁酒法時代と終焉した時代。さらに数十年後の悲喜交々の人生が交錯した壮大な物語と恋と儚い愛に、エンニオ・モリコーネの厳かなオーケストラ「ポバディ」と「(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカの)メインテーマ」は視界が定まらないほどの涙を携えさせた。
そして、一人のピアニストの人生にフォーカスを合わせた「海の上のピアニスト」より「ザ・レジェンド・オブ1900」のハープがしっとりと響き渡る。
「ニュー・シネマ・パラダイス」の監督ジュゼッペ・トルナトーレがエンニオ・モリコーネのために作った作品と思わせるような映画だ。
私には、この1曲の入りでエモーショナルの極限に達してハンカチがびしょ濡れになるほどに泣いていた。
声を出さないので精一杯だったが、「海の上のピアニスト」が一曲で終わって助かった。
ところが、実はこのコンサートは2023年1月に上映される映画「モリコーネ」ともリンクして生前のエンニオ・モリコーネが何度も登場する。
当該映画の監督はジュゼッペ・トルナトーレ。
現在映画音楽で名を挙げるなら、ハンス・ジマーが必ず出てくるであろう。
そんな彼も出演する映画「モリコーネ」の様々なシーンが切り取られる。
映画を、音楽を、人生をエンニオ・モリコーネ自身がカメラに向かって語っている。
エンニオ・モリコーネの生前、一度コンサートを観てみたいと思っていたままついに叶わなかった彼の生み出した楽曲の数々。
そして、たくさんの楽曲について語るエンニオ・モリコーネ。
会場では息子のアンドレア・モリコーネが指揮を振り続ける。
その後もセルジオレオーネとエンニオ・モリコーネが共に作った映画
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」
「続・夕日のガンマン」
「夕日のギャングたち」
を組み合わせ、PART Ⅰラストにはヴィットリアーナ・デ・アミーチスの美しいソプラノで歌う「Sean Sean」「エクスタシー・オブ・ゴールド」でPART Ⅰを締めくくる。
幕間で涙を流しすぎて、水分補給をしにいくもまだPART Ⅱにはエモさ最上級の映画でもある「ニュー・シネマ・パラダイス」が残っている…
人生を切り取った映画とエンニオ・モリコーネ
先述したイタリア映画の特徴である、「スペクタクル史劇」
壮大な物語を歴史と共に綴っていくことをそのように表現し、特に人生を切り取ったような映画にエンニオ・モリコーネの楽曲は深く心を突き刺してくる。
私の人生のそばに常にあったエンニオ・モリコーネの音楽。
その中心は、「ニュー・シネマ・パラダイス」だった。
テーマ曲に合わせて、決定的に心を抉るのが「愛のテーマ」
実はこの曲、今回指揮を務めた息子アンドレア・モリコーネの作品。
「ニュー・シネマ・パラダイス」の音楽は二人の合作で、「愛のテーマ」は息子アンドレア・モリコーネが英国アカデミー賞を受賞している。
幼きトトは、世界中の子を持つ親が我が子が見せた笑顔と照らし合わせたであろう美しい笑顔を見せる。
トトの人生を決定づける映画技師との出会い、事故や別れ。夢を追う旅立ちと、彼のドラマとその機微。
映画のシーンと音楽がしっかりと体の芯まで届く。
もとい、映画の字幕に至ってはもう涙で滲んで全く見えない。
長い時間常に自分のそばにあり続けたモリコーネ親子の音楽が我々にも生じる様々な軋轢やすれ違い、これまでなんとか健康に歩んでこれた人生を祝福していた。
愛を持つべき人への憎しみにも似た感情が、自身のアイデンティティを犯されたと勝手に理由付け苦しんでいた数週間。
様々なものを傷つけ、誤った道を通っていた過去。
幼き頃から、幾度も大いなる奇跡と愛で救われてきたこと。
対峙することが叶わなかったエンニオ・モリコーネ。その息子アンドレア・モリコーネが奏でる「愛のテーマ」によって、
「人生とは愛と祝福でしかない」
ことと強く感じた。原点に還ったような感覚だった。
人生は愛と祝福
あまりの尊さに、嗚咽を抑えるので精一杯になってしまった。
一人で来て良かった、両隣は引いてたんじゃないだろうか。
それほどまでに、人生で経験したことのない号泣をしていた。
パートナーや、アイデンティティの一つにもなってるブランドを支えてくれる仲間。
我が子や両親に家族が目の裏に登場しては、オーケストラを紡ぐ面々と指揮をとる今は亡き父エンニオ・モリコーネと作ったアンドレア・モリコーネ「愛のテーマ」によって祖父の葬式を超えるほど泣いた。
火葬場で、今は亡き私の従兄弟が支えた言葉「骨になると諦めがつくんよな」によって祖父の亡骸を前にして涙が止まったことを思い出す。
その従兄弟には今、孫がいるのだという。
どのような夢に向かっていようと、みんな煩い悶えて暮らしている。
全ての人生に愛と祝福があって然るべきなのだ。と、大きな人生のテーマを叩きつけられた。
エピローグ
パートナーにすぐに会わなければ!
と急いで帰宅をした。
その間も涙が溢れ出ては、体を震わせて車窓の外を見ていた。
美しく輝く夕焼けに染まる帰路には、数多くの人々が歩んでいた。
日曜日の午後を幼き子供を抱きながら歩く父親。
犬を連れて歩く、親子。
子のサッカーを見つめる保護者。
非常に美しく、ここに暮らせていることへの感謝と還元を約束するように自宅へ。
あまりに泣き腫らした目を見て、彼女はトトのように笑った。
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