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鶴の一声と猫の手

久しぶりのnoteになりましたね。
精神病を患ってから3ヶ月が経ちました。最近は好調で、やっぱり適応障害が強かったんだなと思います。
環境が戻って寛解したみたいです。

断薬もして、今飲んでるのは花粉症の薬ぐらいです笑
いい意味で疲れるぐらいに毎日動けて、笑えて嬉しい限りです。年度始めの疲れでストレス性の目眩になるぐらいですから笑


さて、「精神病になって良かった」ということは全くないです。あんなの下手すりゃ人生が変わるほどの爆弾ですからね。ならない方がいいです。
ただし、精神病のおかげで新しい自分になることが出来ました。
精神に直結する病なので思考・性格はかなり変わります。

大きく変わったことは
計画が上手くなったことと他人を信じられるようになったことです。

今まで自分を助けるためにやっていたと勘違いしていた計画の仕方を見直せるようになりました。

今、僕が計画をするときに気をつけていることは
優先順位を付けすぎないことです。
優先順位が高いタスクって大体負荷が大きいです。
その優先順位通りにやるとかなりモチベと体力がすぐに削られます。あくまで経験談ですけれども。
後々、負荷が小さいタスクをやっているはずなのに辛い、進まないことが多いです。
その矛盾が精神的にキツいのが個人的にはあります。

なので、やれることからやることにしています。その間に優先順位の高い物を挟むことでどうにかなるのです。早くなくて大丈夫、間に合えば良いのです。
意外と見落としがちな手抜きの仕方かもしれません。

そしてそのタスクをやるにあたって他人の力を借りることがさらに自分を助けてくれます。
そんなのあたりまえのことなんですが、我々のような気質は変に職人気質なのでこだわりが強いのです笑

他人に頼ると自分1人のときより必ず質は落ちます。質っていうのは自分のこだわりとも言い換えられるかもしれません。
その質の低下が気に入らなくて自分1人で過重にやってしまう訳です。

でもそれって全部でやる必要あるんでしょうか?
全てに高い質って本当に必要なのかなって思います。

そもそも最初は他人に任せて後でそれを修正するほうが圧倒的に自分の理想に楽に近づくことに気付きます。

幸い精神病のおかげで周りに頼れる人がいることに気付いたのです。勘違いって恐ろしかったです。
自分が本当に何も出来ないときに他人の能力の高さに気付くのです。

そうでなきゃ気付けない。大変な偏見とステレオタイプが邪魔するみたいですね。



という自分を守るための2つの方法を手に入れたのでした。精神病のおかげで。
本当に小さな差でしかないのですが、とても今は楽です。自分のために疲れられます。恋人とも純粋に愛し合えます。



考え方次第じゃ精神病も鶴になるし、猫の手も集まれば自分の手よりも強い手になりうるのでした。

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