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世間体はすごい

 世の中には「したくなくてもしなければならないこと(勉学・労働・結婚など)」と「したいのにしない方がよいとされること(飲酒・喫煙・ギャンブルなど)」がある。したくないならしなければよいし、しない方がよいとされることはしないに限るが、前者のストレスを後者によって解消することは、人間の常である。嫌なことを生産的にこなして、時間・健康・金銭を損失するくらいなら、非生産的にストレスなく暮らす方がいいのではないか。みながこう考えるのを退けるため、わが日本国においては都合の良い言葉が受け継がれてきた。世間体である。


 他人の目を気にすることが、人々の原動力である。親は世間体のため、子どもによい教育を受けさせる。子どもも世間体のために学び、働き、結婚する。そして自らが親となった時に、子どもに世間体のための教育を施す。一方で、大酒飲みは酔態を晒す、喫煙は副流煙が出る、ギャンブルは金銭にルーズとして忌み嫌われている。すべて、世間体による批判である。


 世間体は、古からの呪縛であり、日本社会の洗脳であり、簡単には逃れられない制約である。人々は世間体のために勉学・労働・結婚を半強制的にさせられる(本当にしたくしているのであれば構わないが、わたしはそんな人をあまり見たことがない)。同じ理由のために結婚し、離婚できないなど、愚の骨頂ではないか。その内、我が子にさえあらゆることを強制するようになるのだから、人間の考え方というものは恐ろしい。世間体は目に見えないし、その社会に長く住みつかないと分かりにくいところがある。しかし、そのあやふやな概念は、人の行動を制限し、画一的にする。本能を抑制し、個性を殺す。「個性を活かせ」と方々で聞かれる現代においても、充分に機能している。


 世間体はすごい。

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