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サバを読む【読みサバ】3尾目

鯖にまつわるあれこれを、読んで味わってみようという 「読みサバ」。早いものでこの連載も6尾目ですが今回のテーマは、
・・・って、

まだ3尾目やないか!

と思った皆さん、すみません。ついサバを読んじゃいました^^。
今回の「読みサバ」は、そんな「サバ読み」のお話です。

「サバを読む」、名詞化すると「サバ読み」。今でも会話の中で普通に使われている、現役感たっぷりの慣用句の一つと言えるんじゃないでしょうか。
意味は、数や年齢などを(自分の都合のいいように)ごまかすこと。

特に、年齢を実際より若く(or年長に)見せることによく使われる印象がありますね。昭和の芸能人なんかでは割とフツーにあったような記憶があります。一般人だと年齢をサバ読みする必要性はそうないかもしれませんが、体重や身長をサバ読みしたことがある、という方は少なくないのでは(サバやし含め)?

厳密には、実際の数より大きく言うことを「サバを読む」、小さく言うことは「逆サバ」と言うらしい。しかし、自分にとってよい方には「サバを読む」、悪い方なら「逆サバ」と使われることも多いようです。
肝心の語源はというと、江戸時代、魚市でサバを数えるとき、わざと早口で数えて数をごまかしたという逸話から来たという説が有力とされています。落語好きな方なら「時そば」(上方では「時うどん」)で銭を数えるときのあの件(くだり)を思い浮かべるとわかりやすいかも。

また、魚を求める先として魚市、あるいは魚商、魚店を「イサバ」と呼んでいたそうで、そこでは常に魚が威勢よく早口で数えられていたこと「イサバヨミ」から生まれたという説も、個人的には推したいところです。
イサバは「五十集」、また「磯場」とも書き、もともと漁場、魚市場、魚商人、水産加工業者などに共通して使われていた言葉ですが、江戸時代中期以降になると魚問屋や魚の仲買人を指すようになったと言われています(Wikipediaより)。

さらに、鯖街道(福井県小浜市と京都を結ぶ、かつて日本海から都へサバが大量に運ばれた道)が発祥という説もあります。水揚げ後、塩漬けしたサバを急いで運ぶのですが、都に着く頃にちょうど食べ頃になることから、日数をを少なめに言うことを「サバを読む」と言うようになったとか。はたまた、サバは傷みやすいため、運ぶ間に傷んでしまう分をあらかじめ加えて荷造りしたことから、多めに言うことを「サバを読む」と言うようになったとか。もはや元のサバの数がわからなくなってきそうです。

熊川宿の画像
かつて福井の湾岸と京都を結ぶ鯖街道の最大の宿場町として栄えた「熊川宿」

これらの諸説、どれもまずサバが非常に足の早い、腐りやすい魚だということがベースにあります。加えて、江戸時代には近海で大量に獲れる身近な魚であったため、できるだけ早く高く売りサバかなければっ!という関係者の焦りや意気込みみたいな心情がうかがえて楽しいですよね。

実はこのほかにも、ちょっと異色の説があります。それは、「サバ=鯖」ではなく、禅宗の寺院で行われる「生飯(さば)」という作法から来ているというもの。禅僧には食事のとき、餓鬼に布施をするために自分の飯椀から飯粒を5粒ほどより分けるという作法があり、これを「生飯(さば)をよる」と言い、そこから変化して「サバを読む」と伝わったという説です。

いきなり生臭さが消えて格調高くなりましたね。でもこれだと姑息に数をごまかす的な意味で使われるようになった経緯に若干の無理を個人的には感じます。まあ、サバニストとしては米粒よりサバを数えてる方が多幸感がありますしね。

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