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『手袋をさがす』 向田邦子

 二十二歳の時だったと思いますが、私はひと冬を手袋なしですごしたことがあります。
 その頃、私は四谷にある教育映画をつくる会社につとめていました。月給は高いとはいえませんが、身のまわりを整えるくらいのことは出来た筈です。にもかかわらず、手袋をしなかったのは、気に入ったのが見つからなかったためでした。
………
 今ふりかえってみて、一体どんな手袋が欲しくてあんなやせ我慢をしていたのか全く思い出せないのがおかしいのですが、とにかく気に入らないものをはめるくらいなら、はめないほうが気持がいい、と考えていたようです。

 私は若く健康でした。親兄弟にも恵まれ、暮しにも事欠いたことはありません。付き合っていた男の友達もあり、二つ三つの縁談もありました。
………
 にもかかわらず、私は毎日が本当にたのしくありませんでした。
 私は何をしたいのか。
 私は何に向いているのか。

 なにをどうしたらいいのか、どうしたらさしあたって不満は消えるのか、それさえもはっきりしないままに、ただ漠然と、今のままではいやだ、何かしっくりしない、と見にすぎる見果てぬ夢と、爪先き立ちしてもなお手のとどかない現実に腹を立てていたのです。

 これは本気で反省しなくてはならない。
 やり直すならいまだ。
 今晩、この瞬間だ。
………
こういう暮しのどこが、なにが不満なのだ。十人並みの容貌と才能なら、それにふさわしく、ほどほどのところにつとめ、相手をえらび、上を見る代りに下と前を見て歩き出せば、私にもきっとほどほどの幸せはくるに違いないと思いました。
 
 しかし、結局のところ私は、このままゆこう。そう決めたのです。
 ないものねだりの高のぞみが私のイヤな性格なら、とことん、そのイヤなところとつきあってみよう。そう決めたのです。

 私は極めて現実的な人間です。いいものを着たい、おいしいものを食べたい、いい絵が欲しい。黒い猫が欲しいとなったら、どうしても欲しいのです。それが手に入るまで不平不満を鳴らしつづけるのです。
………
私は、物の本で読む偉い人の精神構造にくらべて、造りが下世話に出来ているのでしょう。衣食住が自分なりの好みで満ち足りていないと、精神までいじけてさもしくなってしまう人間なのです。

 私は「清貧」ということばが嫌いです。
 それと「謙遜」ということばも好きになれません。
………
少しきつい言い方になりますが、私の感じを率直に申しますと、
 清貧は、やせがまん
 謙遜は、おごりと偽善に見えてならないのです。

 結局、この晩、私は渋谷駅から歩いて井の頭線に乗ったのですが、電車の中で、こう決めました。あしたから、今まで、私は自分の性格の中で、ああいやだ、これだけは直さなくてはいけないぞと思っていることをためしにみんなやってみよう。

 その頃、あまりのあわただしさに、一体、私は何をしているのだろう、と我ながらおかしくなって、銀座四丁目の交差点のところを、笑いながら渡っていて、友人に見とがめられ、
「何がおかしいのか」
 と真顔で聞かれたことがありました。
 もっと面白いことはないか。
 もっと、もっと
———好奇心だけで、あとはおなかをすかせた狼のようにうろうろと歩き廻った二十代でした。

 もしもあのとき、高のぞみでないものねだりの自分のイヤな性格を反省して、ほどほどのしあわせを感謝し、日々平安をうたがわずに生きてきたなら、私は一体、どういう顔で、どういう半生を送ったことでしょうか。
 神ならぬ身ですから、これだけは判りません。
 しかし、生れ変りでもしないかぎり、精神の整形手術は無理なのではないでしょうか。
 私は、それこそ我ながら一番イヤなところですが、自己愛とうぬぼれの強さから、自身の欠点を直すのがいやさに、ここを精神の分母にしてやれと、居直りました。

 いまの私にも不満はあります。
 年と共に、用心深くずるくなっている自分への腹立ち。
 心ははやっても体のついてゆかない苛立ち。 
 音楽も学びたい、語学もおぼえたい、とお題目にとなえながら、地道な努力をしない怠けものの自分に対する軽べつ———。
 そして、貧しい才能のひけ目。
 
 でも、たったひとつ私の財産といえるのは、いまだに「手袋をさがしている」ということなのです。

『手袋をさがす』向田邦子

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