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僕とお笑い

先日「ドラフトコント2022」という番組が放送されましたが、用事があり観れなかったので「まぁ、見逃し配信どっかでやるやろ」と思っていたら、どこでもしていなかったのでなんとか録画していた友人に見せてもらうことで、事なきを得ました。

こんにちは、"国民的友達止まり"チャンハジメです。

今回は僕チャンハジメのお笑いとの関わりについて語ってみようかなと思います。

今思えば物心つく頃から、テレビにはお笑い番組(か教育テレビ、またはディズニーのVHS)が流れていて、既になんとなく"明石家さんまさんはお笑いの人"と理解していたように思います。
お笑いに関しては、さんまさんを見て育ったと言っても過言ではありませんね。

そこから幼稚園生ぐらいの時は爆笑オンエアバトル、小学生はエンタの神様はもちろん、明石家マンション物語なども子どもながら観ていた記憶があります。
その頃一度だけお笑いライブにも行ったこともありました。松竹事務所のライブで、オジンオズボーンやチョップリン、安田大サーカス、そしてTKOなどが出演されていました。
(まさか松竹が今のようなぐちゃぐちゃになるなんて、当時の僕は想像もしていませんでしたが…。)
社会人になってから自分のお金で、サンドウィッチマン、ハリウッドザコシショウのライブにも行きました。

今まで読んでいただいてお分かりになったかも知れませんが、本当に昔から僕にとってお笑いは生活の中に溶け込んでいて、いつもそばにいる青山テルマ状態な訳で、あって当たり前のものなのです。

それが人より少しお笑いが好きなのかもと思い始めたのは大学生の頃です。

大学では映画も好きだしシナリオみたいのを考えることも好きだし、ということで映画部に入りました。
お涙頂戴系は苦手、学生映画特有のエゴ丸出しみたいなことにもなりたくなかった僕は、みんなが笑えて、尚且つ自分が納得できて自信を持って観てもらえるような作品を目指していたのでコメディを作るようになりました。

最初は不格好で荒い作品でしたが、徐々に感覚を掴んでいき、上映会で観てもらうと笑ってもらえるようになりました。

と同時に気づいたのは、自分は映画作りではなくお笑いがやりたいんだ。お笑い芸人になりたいんだと考えるようになりました。

しかし結局なりませんでした。
覚悟が無かったからです。

現在活躍している多くの芸人さんは、養成所を出ている、学生時代からコンテスト等に出て結果を残しているという人がほとんどです。

僕はいわゆる学生お笑いを通っていないので養成所に行かなくては。でも養成所の学費等を払えるお金は無い。まぁ社会人を経験して芸人になった人も多いし貯金してからと、理由をつけてなりませんでした。

大学卒業後、働きながら趣味としてYouTubeで自分が面白いと思うものを発信していこうとしました。しかし社会人生活に挫折しこれからどうするか、というところで当時学費等諸々払えるだけの貯金があったので、逃げの一手として養成所の説明会に行きました。最初に行った2年後にも、もう一度説明を聴きに行きました。

ただその度に
「仕事が上手く出来なくて挫折して会社を辞めてしまう人間に、もっと厳しい世界に飛び込むなんてことが出来る訳ない。」
と思い芸人になる手前、養成所にも行きませんでした。

こうして覚悟も勇気も無いまま、死人のように今生きています。

それではここまで読んでくれて有難うございました。

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