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「響け!ユーフォニアム」を見たら、軟式野球部で万年ベンチだったコピーライターの魂(ソウル)が浄化された話(ネタバレあり)

お久しぶりです。 盗塁死 改め 小川サトキです。

転職後、まともにnoteを書くのははじめてかもしれません。

というのも、転職する前(3年前)の僕はというと、留年やら就活失敗やらとにかく「不幸芸」で売っていたため、実生活が満たされてしまった今、特に「伝えたい」ことがなかったというのが実情でした。

では、なぜ今回わざわざnoteを書いたのか。
それは、
熱い『使命』を感じたから───。


タイトルを見た方はお気づきかもしれません。
そう、僕は「響け!ユーフォニアム」という名作を、3年間の沈黙を破ってでも語り継がなくてはならない使命を感じてしまったのです。

ご紹介が遅れました。
「響け!ユーフォニアム」とは、言わずと知れた京アニの名作です。簡単にいうと、北宇治高校吹奏楽部に入部した主人公の黄前久美子が、全国大会金賞を目指す話です。

僕はこのアニメにかつてないほどどハマりし、最終話で滝のような涙を流し、その足で原作小説¥7,700分を一括で買い占め、OPやEDだけでなく吹奏楽の楽曲まで普段聴きするようになってしまったという、沼の成れの果てみたいな生活を送っているわけです。

そして「ユーフォ」への熱を、需要を無視してTwitterで語り続けてはゴリゴリとフォロワーが減り続ける毎日を過ごしています。

それでももう、アニメの放送はない。原作は買ったけど、いずれ終わりが来てしまう。そうなればもう、コンテンツの難民状態です。

だからこそ、まず自分が語る場を作らなくては、この熱を消化しきれない。というか、語るにしても140字じゃキリがない。

そう思って、ここで最終回を見終わった後の所感を洗いざらいしゃべりたいと思います。

まず、なぜここまで「ユーフォ」にハマってしまったのか。
それは、タイトルにもあった通り「僕の魂(ソウル)」が浄化されたからなんですね。

すみません。カルト宗教の勧誘記事ではないので、まだ閉じないでください。

僕がユーフォをすべて見た後の1番の感想。

それは「こんなに可愛い女子高生の話を見て、なぜ俺みたいなオッさんが、自分の青春を愛せてしまうんだろうか」です。

僕は、「ユーフォ」を「けいおん!」以上「ダイヤのA」未満、と位置付けています。(わかりづらかったらすみません)

要は「のほほんとした学園モノ」と「熾烈な争いを常に繰り広げる熱血モノ」の間、というポジションだと思うのです。
(主人公のいる北宇治高校吹奏楽部は、最初「昔は強豪校だったものの、今では県大会突破も難しい弱小校」という位置付けでした)

で、僕は思うんです。「日本の部活の8割が、これくらいの立ち位置なんじゃない?」と。

別に死ぬほど練習が厳しいわけでもないけど、「楽しけりゃいい」ってわけではないし、やるなら勝ちたい。
そんな青春を送ってきた人がこの国のほとんどなんじゃないか?と思うわけです。(どんなトーナメントでも半分の高校は初戦敗退するわけだし)

だからこそ、北宇治高校吹奏楽部の温度感は、色んな人にとって心地いい物語になっていると思うんですよね。

で、吹奏楽をテーマにする「ユーフォ」は、「コンテストメンバーに選ばれて、大会で演奏できるかどうか」ということが大筋として話が進んでいきます。

その中では、頑張ってもメンバーに選ばれなかった先輩や、先輩からメンバーを奪ってしまった後輩まであらゆる人間模様が描かれます。

野球部の大会は年に3度ありますが、吹奏楽部の大会は年に1度。一年の集大成がオーディションに現れると考えると、かなりの死活問題だとわかります。

僕は、タイトルの通り中高大と「軟式野球部」という世にもマイナーな部活に入っておりました。
野球歴は10年。我ながらよく続けた方です。
しかし僕は、運動神経が悪すぎるあまり10年のうち8年半をベンチとして過ごすという野球人生を送ってきました。

だからか知りませんが、僕は「選ばれなかった」ことをアイデンティティとして生きてきました。

どれくらいのアイデンティティかというと、自分の個人事業主としての屋号に「bench」を採用するくらいです。

屋号にしたとはいえ、ベンチ生活の全てが「いい思い出」だったかというと別にそうではなく、「あのときちゃんと考えて練習してたらなぁ」なんて一人振り返ることも年に2,3度はあります。

野球なんてすっぱり辞めた今も、月一で野球している夢を見ます。

それでも僕が「bench」を屋号にしたのは、それでも前を向こうという意思表示のようなものでした。

だからこそ、『ユーフォ』の「選ばれる、選ばれない」の物語は、決して他人事に思えないわけです。

で、すみません。ようやく、ここから3期まで見た感想に入るんですが。
<ここから先ネタバレ注意>====================










ユーフォの12話、アレみなさんどう思いましたか??

僕は、あの展開に救われた気がします。

最後の最後、全国大会のオーディションでソリに選ばれなかった久美子。
「どうせなら皆が幸せになる展開が良かった」「無駄な原作改変」
そういった声も多く見ました。

でも、僕は思うんです。「久美子や麗奈は、本当に幸せじゃなかったの?」と。
確かに、オーディションの直後は死ぬほど悔しい想いをしたかもしれません。
僕も「小川、いったんノックから外れてランナーやれ」とはじめて言われた瞬間、「全てが終わった」と思ってグラウンドから飛び出したかったし。

でも、最終回で高校生活最後の全国大会が終わって、エンディングで4年後に久美子が先生になったことがわかって。
その間の彼女の大学生活は、作中では1秒も描かれませんでした。
けど、あの大吉山での悔しさをたまに思い出しながら、それでも教職の授業をとったり、大学のオーケストラに入部したりしたんだろうな、と僕は思うわけです。きっとね。(原作まだ読んでないので、もしその辺の続きが書いてたらすみません)

何が言いたいかって、たとえ選ばれなくても、人生は続くってことです。
ちょっとした心のトゲを抱えながらも凛と前を向いて、最後に滝先生と同じ教壇に立った久美子の存在に、僕は心救われましたよ。

だから「あのエンドは可哀想」「誰も幸せになれない」と断罪してしまうのはあまりに早計だと、ベンチのコピーライターは思うのです。
それは傍観者のセリフじゃねえか!!!!!と。

「最後の大会は悔しかったけど、その経験も活かして、久美子が先生になれてよかった」それで納得しまうのは、僕がオッさんになり、悔しさに鈍感になってしまったからなのでしょうか。

なぜ僕がここまで久美子に肩入れできるのか。
それは、彼女が「普通」だったからかもしれません。

1期から3期のメインテーマのひとつとして、「才能のある麗奈」と「普通の久美子」が、互いに影響を与えあう様子が描かれていました。

音楽の道をブレずに突き進む麗奈とは対照的に、久美子が姉に「音大行くつもりないのに続けて意味あるの?」と聞かれたシーンがありました。

その時久美子は、「意味あるよ、私、ユーフォが好きだもん。」と答えるんです。

これに共感しないコピーライター、います??

好きだから特別になりたい。好きだから上を目指したい。いろいろ大変かもしれないけど、「好き」は「普通」を超越できると思っています。

正直、僕も同じです。

電通に入れなかった。博報堂にもスベった。社会人1年目で情けなく営業をやめた。今から頑張っても、TCCなんてはるか遠くに見える。それでも、コピーで特別になりたい。

ユーフォという作品は、ベンチウォーマーの青春を肯定してくれるどころか、もう一回僕を青春に連れ戻してくれた気がします。

「特別になりたい」といえるようなアートディレクターの存在が欲しくなりました。まだまだ青春してもいいよって、誰か僕に言ってください。

最後に

ここまで僕がハマったアニメは、7年前に見た「steins;gate」以来でした。
つまり、僕にとっては7年に一度の名作というわけです。

俺…ここから7年間、名作に会えないのが怖ェよ…
だからこれを最後まで読んでくれた皆さんには、人生が狂わされるくらいの名作アニメを教えて欲しいわけです。

お願いですので、コメント欄に書いていってください。

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