最近読み返したコミックに何故かパンデミックが多い

 

ここ何か月あちこちの片付けをしているんだが、懐かしいものが出てきたりすると読み耽ってしまうという定番の罠に引っ掛かってしまう、わけだ。


最初は、biomega [弐瓶勉]|wiki , amazon

今の人類もウイルスを作り出すくらいのことはできるまでになっているから事故にせよ故意にせよ、こういう事態が起こっても不思議ではない。 さてその場合どう行動するのがいいか何を用意しておかなければならないか、を改めて考える機会になった。 「洗礼」 という言葉は長く私に残っている。

先日書店に寄ったら新装版というか a4 くらいのが書店に並んでいたよ。


ところで。

何日か前に書いた記事は、実はワクチンを打った者は外観は変わらないけど人ではない別の何かになっていて打っていない者を追い込んでゆくという小説に感化されたとかじゃありませんので念のため。 私の認識は 〈 私ですら把握していること 〉 に書ききってあります(ここでは書けない、という部分が肝ですが ww)し。


次は、quo vadis [佐伯かよの(画)新谷かおる(作)]|wiki , amazon

美しい 「死」 なんてものは聞いたことも読んだことも画として見たこともあるけど私が目の前にしたことがあるそれはヒトのも動物のも植物のもどれも程遠いものだったから現実を重視する私の認識は 「決して美しいものではない」 だ。

しかし、優雅でありたいね、とは思っている。 i am a(c . なので。


ニンゲンとウイルスとは共生している。 とだけ書いても 「そのウイルスが体内にないと本体が生存を維持できないウイルスも居るんだよ」 という意味だことを説明しなくてはならない事実を以って私は誰を無教養呼ばわりするが毎度言うけど幸せとは別の次元の話であって他意はない。 他意などという瑣末なものに関わっている暇はないし。 知らなかったなら知ればいいだけなんだから。

物言いが気に入らないのは、分かる。 だって私じゃない誰かが同じように書いたならきっと私もそう思うし。 だからこれは私の " style " (スタイルではなく)だ、と。



えー、と。

長い年月をかけてニンゲンの首から下は少しずつ変化している。 適応、というやつだ。 首から上は少なくともこの二千年は進化はしていないが。

長い目で見ればワクチンを打った者も打たなかった者も相応の変化を遂げどこかに収斂してゆく。 いまこの時を生きている皆の願望に添っているかは分からないが誰が打っても打たなくてもそうは変わらないと思うぞ。

この先も、人為や恣意か或いは天然か、何れにしろ圧力で変わって行かざるを得ない。 それが我我にとって悪ければ滅び、良ければ次の苦悩を待つ、それだけだ。


恐怖に囚われるのではなく、もう少し落ち着いて観察し判断するを旨としたいものですな。


いのち短し恋せよ乙女。 自戒を込めて。

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