オランプ・ド・グージュ「黒人についての考察」

【原典:Olympe de Gouges, Réflexions sur les hommes nègres, 1788】
【オランプ・ド・グージュは「女性と女性市民の権利宣言」(1791)の作者として有名ですが、それに先立つ1788年、黒人奴隷制度を主題とした自作の劇「ザモールとミルザ、あるいは幸福な難破 Zamore et Mirza ou l’Heureux Naufrage」を書き、コメディ・フランセーズで上演しようとしました。ここに訳したのは台本に附された文章で、さまざまな障碍から上演は先延ばしになっていました。結局、最初の上演が実現したのは1789年です。本文中の〔〕は訳註です】

 黒人という人種の悲惨な運命が、ずっと気がかりだった。物心ついた頃、まだ考える年頃でもない子どもの時分に、はじめてひとりの黒人女性を見たときから、わたしは黒人の色について思案し、疑問を抱くようになった。

当時わたしが質問できたひとたちは、わたしの好奇心も思考力も満足させてくれなかった。黒人は野蛮で天に呪われた存在とされていたが、わたしが大きくなってからはっきりと理解したのは、黒人は暴力と偏見によって恐るべき奴隷状態にされたのであり、性質とは全く関係なく、白人の不正かつ多大な利益のために他ならないということだ。

久しく前から、この真実を確信し、黒人の惨状を熟知していたので、わたしは最初の創作演劇で黒人の物語を主題とした。多くのひとが黒人の境遇に関心を持っていたが、わたしがコメディ・フランセーズの反対に遭わなければ上演しようとしていた衣装と色で舞台に上げようと考えたひとはいなかった。

ミルザは土地の言葉を保持していた、この上なく愛情に満ちた言葉だ。それはこの劇に興を添えると思ったし、見巧者もことごとく同意見だったが、役者は違った。わたしの劇がどう受け止められたか、これ以上こだわるのはやめよう。わたしは観客に劇を見せているのだ。

話を戻そう、黒人の恐るべき境遇についてだ。いつになったら変えられるのか、あるいは少なくとも和らげられるのか? わたしは政府の方針について何も知らないが、政府は公正であり、政府においてはかつてないほど自然法が意識されている。あらゆる基本的な悪習に対して、政府は適切に目配せしている。人間はどこでも平等だ。公正な王は奴隷を求めない。忠実な臣民がいると知っているのだ、そしてフランスは、全く無名の島々にまで権益と野心が棲みついて以来1人のために1000人が死んでいる不幸者たちを、見捨てはしまい。ヨーロッパ人は、血を求め、強欲によって金(きん)と名づけられた金属を欲するあまり、幸福な土地の性質を変えてしまった。父は子を認知せず、子は父を生贄にし、兄弟は互いに争い、屈服させられた者は家畜のように市場で売られた。つまり? 4つの世界〔ヨーロッパ、アフリカ、アジア、南北アメリカのこと。全世界〕で商売となっているのだ。

人間の取引! ……何ということだ! そして自然の情は震えないのだ! 黒人が動物だというなら、われわれも同じではないか? 白人はその人種とどう違うのか? 色だ……。どうして金髪で蒼白の人種はムラート〔白人と黒人の混血〕のような褐色の人種に対して好意的になろうとしないのか? この傾向は黒人からムラートに対してもそうだ。人間の色には、自然の生み出したあらゆる動物、植物、鉱物と同じく、さまざまな色合いがある。どうして昼は夜と、太陽は月や星々と争わないのか? すべてが多様だからだ、それが自然の美しさである。どうして自然の作りしものを壊すのか?

人間は自然の最も美しい作品ではないのか? オスマン人は、われわれが黒人を使うのと同じように、白人を使う。しかし、われわれはオスマン人を野蛮で非人道的だとは思っておらず、われわれもまた服従よりほかに抵抗しない人間に対して同じ残虐をはたらいている。

しかし、ひとたび服従に飽きられるときがきたら、アンティル諸島や東インドに住む者たちの野蛮な独裁は何を生み出すだろう? あらゆる種類の叛乱、軍隊の武力でいっそう酷くなるばかりの殺戮、毒殺、ひとたび叛乱を起こされた人間の行なうであろうあらゆることだ。奸計によって大規模な植民地を得たヨーロッパ人が、もっと自由で平穏であっても自分の肥沃な土地を耕すであろう不幸者たちを朝から晩までめった打ちにしているのは、非道ではないか?

ごく些細な過ちに度を越した罰を下されるのでなくとも、彼らの境遇こそ最も残酷であり、彼らの仕事こそ最も悲惨ではないか? 彼らの境遇を変え、改善方法を考えるのに、この人種が、完全な、あるいは限られた自由を悪用すると恐れなくてよい。

わたしは政治をまったく知らない。広範な自由によって、黒人は白人と同じくらい重要な存在になるだろうと言われている。ひとたび彼らが自身の境遇を自分で決められるようになれば、自身の意思についても自分で決められるようになり、自身の子どもを自分で育てられるだろう。より正確に、より熱心に働くだろう。もはや党派心〔ピリピ人への手紙2:3〕に苦しめられず、他の人間と同じように自ら立つ権利は、彼らをより賢く、より人間らしくするだろう。有害な策略を恐れる必要もないだろう。ヨーロッパの労働者と同じように、自分の土地で自由な農民となるのだ。自分の畑を離れて外国に行くことはない。

黒人の自由は少数の脱走者を生むだろうが、フランスの田舎の住民と比べればごく僅かだろう。若い村人は、成長して体力と勇気を身につけると、たちまち首都を目指し、召使や荷物持ちといった立派な仕事に就こうとする。百人の召使がひとつの職を争っているのに、田舎では農民不足なのだ。

この自由は、失業者、貧者、あらゆる種類の胡乱な臣民を無限に増やす。すべての人民に対して賢明かつ有益な制限が設けられるべきであり、それが君主や共和国の手腕である。

わたしの生まれ持った知識でも確実な方法を見つけられるかもしれないが、提案はやめておく。政府の施策について、もっとよく学び、もっと明るくならねばならないだろう。前にも言ったが、わたしは何も知らないからこそ、よしあしにかかわらず自分の考えを手当たり次第に示すのだ。わたしほどこの不幸者たちの境遇に興味を持ったひとはいまい、わたしが彼らの悲惨な歴史を題材にした劇を構想して5年目になるのだから。

わたしがコメディ・フランセーズの役者たちに勧めたいのはただ一点、そしてこれが生涯で一度きりの頼みとなるだろう。黒人の色と衣装を採用してほしい。またとない機会なのだ、そしてこの劇の上演が、野心の犠牲者である彼らにとって、期待どおりの効果をもたらすことを願っている。

衣装は、この作品の面白さの少なくとも半分を担っている。フランスの第一級の作家たちの筆と心を動かすだろう。わたしの目的は達成され、野心は満たされ、色彩によって劇は低俗どころかむしろ高尚なものとなるだろう。

わたしの望むとおりに劇が上演されるのを見たら、わたしは計り知れないほど幸せだろう。後世のひとたちのため、この脆弱なあらすじには、感動的な絵が必要なのだ。そのために筆を揮おうという野心的な画家たちは、最も賢く有益な人間性の創始者と看做されるだろう、そして画家たちの意見はこの劇の弱点を補強し、より主題をはっきりとさせるだろう。

だから、皆さん〔ここでは「(コメディ・フランセーズの)皆さん」の意〕、わたしの劇を上演してください、公平であれば既に何回も機会が訪れていたはずなのに、もう長いこと順番待ちをしています。台本が必要だったならば、ここに印刷されています。しかし、わたしが国民全員とともに望んでいるのは、上演なのです、国民はわたしを裏切らないと確信しています。わたしのことでなければ自尊心の塊のように思われる感覚ですが、これは黒人を支持する世間の叫びによってわたしの心に生み出されたものに他なりません。わたしを正しく評価してくださった読者は、この事実に納得してくれるでしょう。

しかし、皆さん、わたしがモリエールやメルシエ〔ルイ=セバスチャン・メルシエ(Louis-Sébastien Mercier, 1740-1814)〕を愚弄しているというなら、わたしは弁明しなければなりません、わたしはメルシエを愛し、さまざまな点において高く評価しています、これまでメルシエは皆さんに酷評されてきたからです。メルシエは本当に誠実な人間です。三文文士のおべっかも低俗な嫉妬も我関せずの人物なので、あなたがたが彼を評価できなかったとしても、わたしは驚きません。わたしはあなたがたに多くの不満を持っていますが、あなたがたも自分の望むときには公正でいられると信じています、しかし公正であろうとしない場合が多いと認めねばなりません。あなたがたは、性格のため、また勿体ぶった言いまわしを駆使する文才のため、偽物を好みます。感動的な表現が苦手なようですが、それこそあなたがたが上手く捉えねばならないものです。さて、最後の話に移らせてください、つらい話ですが、それだけにあなたがたに伝えられると信じています。さようなら、皆さん、わたしの考えを読んだあと、あなたの好きなようにわたしの劇を上演してください、稽古はしません。わたしの権利はすべて息子〔オランプ・ド・グージュにはピエール=オブリー(Pierre-Aubry de Gouges、1766-1802)という息子がいた〕に譲る。息子はその権利をうまく利用して、コメディ・フランセーズの作家にならずに済むだろうか? もし息子がわたしを信じるならば、息子は雑文書きにはならないはずだ。他方で、わたしは息子が全面的な衝動に流されるのを止められなかった。ノワイヨンの娘は、すぐさま作家を得た〔1788年、ノワイヨンの町で、カトリーヌ・ヴァッサント(Catherine Vassent)という若い女性が排水溝で倒れていた下水掃除の男たちを助けた。この話はたちまち広まり、カトリーヌはオルレアン公から賞金を受け、アカデミー・フランセーズからも表彰された〕。オルレアン公の思し召しもあって、彼は筆を走らせた。わたしもいくつかの些末な部分で協力したと認めるが、この小話の目的を抜きにすれば、とても容認できる作品ではなく、匿名のままにしておくこともできた。しかし、下手な文章だとは思うが、最終巻の末尾に載せる。成功するのでない限り、いつまでも謎に包まれたままの作家がいる。ただ、わたしは平凡な文章が恥だとは思わないし、意図にも時勢にも免じて大目に見てやらねばならない。もっとも、息子はノワイヨンの娘の構想を練り直し、友人のひとりとともに喜歌劇を書いているが、これは一定の成功を収めるだろう。わたしはこの作者を皆に知らしめ、また彼の最も悪い部分がわたしの文体でもあることを受け入れねばならない。せいぜい一時間かけて、わたしにはもはや改善の余地がなくなり、息子もわたし以上に賢いわけではなかったから、この分野におけるわたしの凡庸さは、息子の最初の習作を拙くしただけだった。どうか大らかに息子を見てほしい、そしてわたし自身には最大限の厳しさで臨んでほしい。あらかじめ容赦を乞うておく。そして、読者がわたしを許しやすいよう、読者に思い出してもらいたいのは、ザモールとミルザ、そして英雄たちの世紀についてだ。わたしが悪い母親として良き母親の話題に触れたことなど、読者はたちまち忘れてしまうだろう。

(訳:加藤一輝)

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