アナトール・フランス「グザヴィエ・ド・メーストル」

【原典:« Préface d'Anatole France » dans Voyage autour de ma chambre, 1878 / Anatole France, « Xavier de Maistre » dans Le Génie latin, 1913】
【アナトール・フランスによるグザヴィエ・ド・メーストル評です。初出は1878年版『部屋をめぐる旅』(「部屋をめぐる夜の遠征」との合冊)の序文で、のち1913年刊の『ラテン精神』にも収録されています。本文中の〔〕は訳註、太字は原文イタリックです】

グザヴィエ・ド・メーストルはシャンベリで1764年に生まれ〔正しくは1763年〕、サヴォワの元老院議長の息子、そして、ご存じのとおり、少壮の頃から一家の誉れとなっていた若き元老院議員の弟だった。名家の末っ子には剣と絵筆しかなかった。サルデーニャ軍に仕え、余暇には風景画を描いていた。そうした風景画は、繊細で優雅な筆致によって抑制され、描かれている湖や山と同様、いささか印象に乏しく悲しげな雰囲気であるように、わたしは思う。もっとも、愛好家たちには評価されていた。

サヴォワ人は真面目で、誠実で、器用で、よき兵士であり、その地の豊かな自然の不思議を探究するのが好きだ。

グザヴィエ・ド・メーストルは、まさにサヴォワ人だった。山々を愛し、国王に忠実で、化学に夢中だった。驚くべき頑固さ、狭く深い才知、ジョゼフ伯爵を時代に逆らい続けさせた不屈の片意地とは無縁だった。穏やかな性格で、創意に富み、寛大で明敏で気さくな知性の持ち主だった。読書もしたが、それは若い兵士がしばしば熱中するようなことではなかった。26歳か27歳のとき、海軍連隊の、藁葺のアレッサンドリア〔イタリア・ピエモンテ州のアレッサンドリアは、神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ1世に対抗すべく、ローマ教皇アレクサンデル3世の支援によりロンバルディア同盟の一都市として急ごしらえで造られた都市なので、こう呼ばれる〕の駐屯地で、決闘を行なったために42日間の軟禁に処された。想像してみたまえ、もし仲間の兵士が同じような状態に置かれたら、どれほど酒を飲み、煙草をふかし、大あくびをしたことか。しかしグザヴィエには、孤独と闘う別の手段があった。あれこれ気ままに思いめぐらし、考えを記した。デカルトは、ナッサウ公マウリッツに仕えていたとき、同じ方法で、ただし比類ない真剣さで、軍隊生活の空白を埋めていた。「さいわい、わたしを惑わせるような不安も煩悶もなく、一日中ひとりで暖かい部屋に閉じこもり、自分の考えにふける時間がたっぷりあった」という〔『方法序説』第2部〕。

グザヴィエ・ド・メーストルもまた、不安も煩悶もなかったようで、『部屋をめぐる旅』を書きはじめた。独創的な主題であり、何でもないことについて何でも語ることができた。

軟禁されていた42日間のうちに、いくつかの章が書かれた。残りはそのあと少しずつ書かれ、すべて抽斗にしまわれていた、なぜならグザヴィエは本職の作家ではなかったからだ。公刊しようとは思っていなかった。謙虚であり、また印刷され本屋で売られ皆に読まれるなど考えるだに恐ろしかったのだろう。ただ、くだらないことを書いたと思っていたわけではない。

1793年、ローザンヌに兄のジョゼフ伯爵を訪ねたとき、原稿を渡し、読んでもらった。ジョゼフ伯爵は気に入って、翌年トリノで出版した。

フランス革命は1794年にはすでに古くなっていた。若い士官の本は目新しく、話題になった。短かい本で、皆が読んだ。元老院議員の弟の機知を、存分に味わった。皆が「〔ローレンス・〕スターンだ!」と叫んだ。

そう、だが些か潔白すぎるスターンだ。針がなければ蜂ではない。グザヴィエ・ド・メーストルは賢すぎるといわざるを得ない。一度も間違わないこともまたひとつの間違いなのだ、そうした過ちを犯している。だから、もっと突っこんでほしかったと思う。多くのことに触れているが、何にも深入りしてはいない。

『部屋をめぐる旅』の調子は、控え目な快活さから穏やかな憂鬱へと変化してゆく。けっして極端なことはしない。だからこそ、この小さな本は多くの者に訴えかける。わたしにとって、この本の心地よいところは、読んでいると善良な人間の心のうちへと入りこめ、親切で謙虚で繊細な精神とつき合う術を各ページから学べることだ。わたしは作者の愉快な形而上学は好きでなく、精神獣性についての思いつきは、18世紀の哲学者たちによるもっと上手く味つけされた軽口の後では、つまらなく思われた。けれども、繊細な知性と純真な魂には、心打たれる。

グザヴィエ・ド・メーストルには人間らしさがあるのだ。自分に正直であり、他者にも正直である。善良なジョアネッティのおおらかな主人であり、座布団の上で成長し年老いた哀れなロジーヌの親友であり、空想のオーカステル夫人の慎ましい愛人である。

自身を程よく和ませる術を知っている。喜ぶと同時に涙する。そして何より、アオスタの可愛い恋人の顔に浮かぶ、アンドロマケーの濡れた微笑みが魅力的なのだ!

泣きながら笑った。
Δακρυόεν γελάσασα.
〔ホメーロス『イーリアス』第6巻第484行、ヘクトールとアンドロマケーの別れの場面〕

トリノがオーストリア・ロシア軍に占領された直後、この街を離れる前に、『部屋をめぐる夜の遠征』が書かれた。この二番目の小冊子は、最初の小冊子よりもさらに短かい。まったく劣らず上品で心地よい。しっかりとした足どりで、思考の成熟を示している。最初の作品を損なわずに続編が書き足されたのは、文学では珍しい例だ。

(訳:加藤一輝)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?