山田菊『八景』第六部「松島」

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日本の北、太平洋に面して、とてつもなく反対の世界たるアメリカに向かって、大日本帝国の名高い浜がある。

宮島に並ぶほど美しく、詩人や版画家に霊感を与えてきた。けれども入口に鳥居はない。松島伊達家の領地にくっついている、小さな衛星が大きな惑星から離れられないように。けれどもその外には、無限、宇宙があるのだ。

宮島は帯留め、松島は指先の指輪だ。

8世紀からこのかた名高い岸辺を、いかに描こう?そのとき日本人が攻め入って、スラヴ人に似た先住民のアイヌ人を追い出した。

それで思い浮かぶのは、伝承に曰く、あるアイヌ娘が囚われの美女として北国から京都の御所へ連れてこられたという。それが、有名な歌人で深草の少将の恋人であった小町なのだ。

この甘美な入江に来ると、ふたりの愛の記憶が思い出される。ふたりは本当にここへ来たのだろう。ある晩わたしは岸辺にふたりを見たのだ。

これは、ふたりの言っていたことだ。

待つ島

I

松島や!
その魅力を描けない無力さに
芭蕉は三度叫んだ。

深草 これはあなたのための庭です、空と雲の二重の穹窿に覆われています。穹窿の端には白い水平線が、天蓋の周りには松が、ただ松だけが立っています。
わが恋人よ、あなたはきっとこの天蓋からも庭からも出ないでしょう!

小町 いとしの大名の庭ができあがった。招いている。贅の只中で、望み、嘆いている、けれどもわたしは彼を残して松の島へ行こう。ぼやけた海の上、白い湾の弧に、もう垣間見えている。松の丘の翼が、もう羽根のごとく入江に飛び出ている。

深草 理想的な愛の庭です、自由なのだから。ご覧なさい、海が島々を囲んでいます。出て行きたければ行くがよい、とわが地は言っています。しかし大いなる愛とは行って帰ること、島の周りを漂う舢板で、この地の松脂や潮の青い香りをどこよりも好み、枝の筋や、夜の靄に落ちる黒い影の色合いに帰るのです。

小町 あなたはわたしを庭に入れてくれるでしょう、言葉少なに、揺蕩う海の上に。あなたの恋心のうちに存在と自然が溶け合います。あなたの穏やかな心は円天井のように置かれ、わたしをすっかり閉じこめます。
最初の日、あなたがわたしに与えてくださった島々は、静かな水面を抱いているようでした。灰色の鳩たちが翼と声を震わせて藁屋根から飛び立ちました。
消えゆく夕日が静かに煌く。遠くにも島々が見える。繋がれた小舟は音もなく待つ。すぐに出立しましょうか?

II

島々や
千々に砕けて
夏の海
芭蕉

深草 急ぐことはありません。島々は湾に漂っていますが、逃げはしません。みな晩には帰ってきて港に繋がれるでしょう。
まずは朱色の木橋で岸に繋がれた島へ行きましょう。若い釣り人が糸を投げ、ふくらはぎを太陽に晒しています。紫色をした萩の中に雀が巣をかけています、騒がしい烏はあなたの歌声にも動じません。涅槃への入口の島、不老の島、妃たちの島をお見せしましょう〔それぞれ毘沙門島、不老山、十二妃島のことか〕。
洞窟や仏像、宗教的あるいは詩的な伝承が石に刻まれています。お好きなら、盲人が浮き出し加工のページを撫でるようにして石の板をじっくり眺めてみれば、きっと楷書や草書の意味が分かるでしょう。もっとも、実を言うと、誰も気に留めず通り過ぎてゆくのですが。それぞれの心には、もっと不可解で漠とした印象が残るのです。
引き潮に釣具が繰り出します。豊かな枝の竹林が稲田を囲んでいます。稲穂の垂れる季節です。
あなたは黄色がかった海に気づきます。単調な小舟を追うのに飽きましたか?四角い御堂や笠をかぶった灯籠、傾いだ鳥居は、もう見ましたか?けれども、島々の松、その形を全て知り尽くしましたか?刻々と色が変わり、それぞれの松に勢いがあります。束にしようにもまとまらないでしょう。
真っ直ぐに伸びた松には尖った葉が茂っています、身軽な松は地面に枝を刺しています、苔に覆われ角の生えた球をつけた松もあります。傘松は日傘を広げ、海運船が岩を出て竜のように水を飲みに行きます。ある舟が燦然と現われ、別の船をかすめます。風が吹き抜けて木の葉をかき鳴らします。
嵐があなたの周りの松を撓め、松の様々な声を聞かせてきたら、何と言いますか?
松が好きなら、木を案じて雪の重みを恐れるでしょう。春になったら松も跡形もなく消えてしまうのではないかと恐れるでしょう。
わたしの入江はお気に召しませんか?浜辺の砂利があなたの不機嫌な足を傷つけましたか?弁慶義経がそこから北へ逃げ、武士の心にの愛を持って行きました。わたしは義経ではないから、あなたを大いなる逃避行に誘う必要はありません、ただ穏やかな島々の入江に誘うだけ……

III

小町 あなたの声よりも近くに、静かな瑞巌寺があります。直立する杉林のほうが、手招きする腕よりも、わたしを引きつけます。
放っておいてください。政宗は青銅の兜の下で一言も発しません。その不動がわたしを誘います。観音が手を傾けて水と慈悲を注いでいます。観音は美しく善良で、観音はあなたを待っているのです、求める者であるあなたを。
わたしは長年の望みで寺を満たしたい。力強く苦しみながらのたうつだろう、鉄製の龍が手水に巻きついている。静かな水面に身を映し、鼻をつけながらも飛びこみはしない!
政宗が戦の後に休む寺、従者と共に寝起きする部屋、慌ただしい朝の石庭、いまや何と静かで質素なことか!
茣蓙の藁は擦り切れている。狩野の襖絵には、堂々たる不死鳥が今なお羽根を立てて、金色や緑色の稲田が枯れるのを眺めてきた。
足を滑らせてゆく風のない広い廊下、使われない部屋や見捨てられた聖者、忘れられた栄光と敗者の孤独が、どれほどわたしを和らげることか!

深草 わたしが辛抱づよく待っていると、あなたは苦しく困った様子で寺から出てきます。
平らな入江を、霞んだ岸から離れてゆく船を見てください。皆つらい苦難を受けずにいるのでしょうか?受け身の島、周囲がむき出しになった島は?
頼りない格子に垂れ下がる熟れた瓢箪を見てください。ああ!膨らんだ果実の重み、葉と蔓の艶めき!

IV

松島や
夏を衣装に
月と水
芭蕉

小町 わたしは秋の七草と韻律を摘む。いとしいひとと長月の月待ちをしている。

深草 あなたの衣は夜明けのように輝いています。風が起こって裾から素足が露わになったら。

小町 夜まで待ってください!帯を結んだばかりです、あなたが喜ぶと思って金襴緞子を締めたのです。横になってください、いとしいひと。舟底に手足をゆったり伸ばせば、あなたの目は恋人の静かな体よりも入江へと向くでしょう。

深草 幾重もの袖を着こんでも、豊かな黒髪の陰で艶めくうなじに、わたしの欲が滑りこみます。

小町 艫櫂の軋みが聞こえるでしょう!松と船頭がわたしたちを見ています!

深草 だから夜のしじまに舢舨を進めたらよかったのに。舟の前を巡礼者たちが通り過ぎ、信心ぶかい航跡に通夜の灯が揺れます。わたしたちと相見えようと水平線で待ち構えています。
松島は入江に向かって小島の群れをばら撒きます。見てください、一日じゅう枝に風がざわめく、しかし日本の地は愛する群島を引きとめます。ゆるやかな岸辺を侵食しながら、海はゆっくりと島々を散らばらせ風化させます。亜麻色の台座に波が奔流を刻み、弓なりに穿ちます。島々は皆そこにあり、親しげに身を寄せあいます。
あなたの待っていた月が淡い夜を切り裂きます。周りに暈が広がっています。どうぞ目に神秘の炎の燃えるがままに、吐息で柔らかい唇の震えるがままにしてください、あなたの貞節は守られます。

小町 けれども揺れる灯籠が近づいてきました、何の秘密に惹かれてでしょう?倦むことなく金色の印章を海に投げこみ、海もまた倦むことなくそれを濡らし、持ち去り、送り返します。

深草 恋人よ、あなたの魅力の数々が、わたしの胸で、巡礼者の航跡の灯籠のように漂っています。わたしの恋心は倦むことなく君の欲望へと向かい、口づけで君の顔を埋めてしまいそうです。

小町 穏やかな海と暗い風に流されて、ひとつひとつ、ふたつふたつ、白く、赤く、死にゆく者や死んだ者や老いた者が、音もなく舟をかすめてゆきます。

深草 この静けさに、あなたの心は沈みます。魂の表面に浮き出た心根は、日が暮れて夜になると、わたしのところへ来ます。あなたの思いがひとつひとつ届きます。それはわたしに触れると消えて、もはやむなしいものとなるのです。

小町 いっそう憂鬱に、あるいは疲れ切って、灯籠が岸に着きます。金色の光が迫りくる岩壁を照らします。

深草 あなたは疲れ果てているようだ。恋人よ、わたしの番です!あなたはもう気力がない、もはや持てないのです。

小町 そう、わたしの目は閉じ、おあつらえ向きのあなたの脇腹に身を凭せます。

深草 灯籠の影が揺らめいています。鷺の声が夜に響き、蛙の声が絶えません。見えない岸辺で鈴虫が囁いています。
疲れて眠るあなたを抱きながら、わたしはもう何も求めません。
水草が海面に絡みつき、冷たい表面で覆っています。月光が網を広げています。ほら、金色の網目を魚が跳ねては落ちるのが聞こえます。島々の袂に灰色の影が落ち、頂には身を捩った松があります。
お眠りなさい、朝顔が夜に項垂れるように。

金華山

金の花の山

小町 山へ金色の花を摘みに行く、と言いましたか?お望みならば行ってきてください。その島は群島の端にあって、女人禁制です。あなたを待ちながら、入江に素晴らしき松の影を見つけましょう!それぞれの島の形を覚えて、帰ってきたらお話ししましょう、帰ってこなかったら忘れてしまいましょう。

わたしは一日じゅう竹のような雲が空を覆うのを眺めていた。侵食する波に岩の襞を傾げたり、割れて砕けたりして消えゆく島々を見た。波が洞穴に泡を飛ばす。石門から蒼い海が、青い空が、岸が見えた。円錐状の島が松を戴き、別の島は禿げて奇妙な横顔を見せている。問う島もあれば答える島もあった。

黄色い砂と黒や灰色の岩々でできているらしき海岸が見えた。柔らかく滑らかな丘もあれば折れ曲がった丘もあり、どれも木に覆われていた。岩の向こうに島々があり、島々の向こうに半島があり、銀の海岸があり、果てには青みがかった山脈と水平線が見えた。

舟で行くと、小島とそこに生える曲がった木のあいだを、針の穴を通るように陸地が滑ってゆく。小島が本当に入江を漂っているように思えたのだ。八百八島の形があって、その日わたしは釣りをしなかった。

いとしいひとは金華山を物思いに耽りながら歩いてゆく。楡の木陰を、侍女たちを従えてゆく、巡礼者たちの中では一番裕福なのだ。名物の花を探すのも忘れている。撞木に打たれて寺の鐘が鳴り、寺の赤銅色が葉叢の下で光り、参道は海辺へと続き、苔が厚くなっている。

いとしいひとは考えごとをしながら木々の根をまたぎ越してゆく。ほかの巡礼者たちが、清水や烏、山と積まれた雪や石を、神に捧げていた。それらに覆われて幸福の神が潰れている。いとしいひとは重しを加えようとはしない。

霧雨が綿毛のように肩に降る。水平線に霞がかかる。この山の頂からは何も見えない、他にどこへ行けと?黄金の花が咲くとき、茎は高く伸び、葉は枯れている。いとしいひとはもう飽きて、腹を空かせて寺へ戻ってくる。
坊主が縁側を行く。白衣をまとい、黒光りする帽子をかぶっている。聖域では鏡が2枚、あたりの巡礼者や釣り人の顔を映している。祝詞を唱え終わると手を叩く。この短かい拍手は闇に弾け、こだまもなく消える。夏は美しくあるべくして美しかった、天皇の徳のおかげである。僧侶たちはそれを確認しに来ただけなのだ。

寺の料理番が畳に配膳し、焼貝を重ねる。寺は大きな旅館のようで、安らぎと喜びを感じさせる。旅人たちは皆で金華山の酒を飲むが、悪酔いしないのだ。

やがて240人の巡礼者たちはそれぞれの寝室へと散ってゆく。

いとしいひとは特別な客で、貴賓室へ戻って鹿の声を聴きながら眠りにつく。一雫また一雫と露が萩の枝をつたってゆく。

子の刻、ちょうど一日の終わりに、質素な屏風の文字がその日の哲学的な格言を告げる。いつでも何がしかの真実が一日の消えゆくことを思い出させるのだ。

伊達家の紋が頭上高くに彫られ、その後ろには板張りの御成の間がある。けれども小さな寝息が漏れている。いとしいひとは重たい布団を見つける。それは泉か、山頂から降りてきた雌鹿か、鹿を追いかける月か?あるいは島々か、恋人の呼び声か?

恋人は眠っている、豊かな髪は分かれ、下敷きになった袖には皺が寄っている。

島々の美しさを前に季節が過ぎてゆくのを夢にみる。夜のとばりが瞼のようにすっかり昼を覆っている。ふたりは隔てられながら、前もって時が用意していた身震いを和らげた。それで、この夜には失われた本能が物事を惑わせ、本能を思い出させたのだ。

屏風には牛馬が動き、泉がこんこんと湧く。十二生肖が目覚めて歩み、恋歌が長々と綴られ、とっくに手足の落ちた達磨が祈りを唱え、達磨は赤い衣をはだけて尼僧に笑いかける。

いとしいひとは、ひとたび飲めば心をつなぎ、七頭の蛇を眠らせ、神々を踊らせるという酒を飲まなかったのか?真紅の盃に酒が注がれ、金色の花が開く。

恋人の許へ帰ろう、と彼は呟く。彼は発ち、道を忘れるために金華山に草履を置いてゆく。

塩竈

塩の岸

ようこそ、いとしいひとよ、と彼女は言う。ここに大明神の社のすいかずらが、引潮のあと岩間に残る結晶のように白く咲いています。港の売り子から買った魚があります、ごちそうを作ってあげましょう。

小さな神馬が石畳を跳ねながらわたしを運んでゆく。濡れた梨の木にはもはや葉がなく、欄干はもはや色褪せている。のろまな亀が清めの水を跳ねかす。いとしいひとよ、ここから一緒に発ちましょう、島々や松のことを語りたいのです。

金華山の金色の花はどこですか?

深草 その花は、なみなみと注がれた盃の中と、あなたの顔にしか見たことがありません!
わたしは藻の香りのする手をあなたの髪へと伸ばします、膝がこわばっていて座布団を蹴ってしまいます。

小町 わたしたちの出てきた港は黒くて真っすぐな帆柱に覆われています。光がわたしたちを追って海を走ります。入江を塞ぐ岬は控え目で青みのある靄に包まれています。青白い水面が岬を闇に押しやり、海峡を広げています。
見てください、小舟が帆を水面に映して帰ってゆき、黒い葉叢の島々が松島のほうへと急ぎます。あなたがわたしを求めるほどに、わたしがあなたを待ち焦がれるほどに、光が水面を浸すように速く。
帰る晩です、潮が釣具の上まで満ちています。小島はわたしたちの進路を塞がぬよう間を開けています。入江の水面は穏やかで、より速く進めそうです。わたしは黙っています、幸せで、心穏やかなのです。あなたの島々から貰ったものを愛しています。
ほら、松島の明るい岸辺が最後の岩の向こうへ遠ざかります。黄色い星が、水場に集まる鹿のように群れをなして、岸へと落ちてゆきます、そして金色の花は煌めく茎から海へと落ちます。

深草 いや、恋人よ。あれは盃が丘の斜面に酒を注いでいるのです。鹿は跳ね、星は消え、花は落ちます。黄金の盃、その変わらぬ流れを見てください、どれほど満ち溢れていることか。これからも、晩に帰るたびに、わたしたちが口をつける盃は一杯なのです。

すめらぎの
御代栄えむと
東なる
みちのく山に
金花咲く
読み人知らず、8世紀〔大伴家持の作とされる〕

東京恵比寿、福の神の村にて

(訳:加藤一輝/近藤 梓)

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