ミシェル・ルヴォン「ジョゼフ・ド・メーストル」

【ミシェル・ルヴォンは、ボアソナードの後任として1893~99年に帝国大学で教えた法学者で、滞日を機に幾つか日本論も著わしています。これは来日前に書かれたジョゼフ・ド・メーストルについての短評で、1892年アカデミー・フランセーズ弁論賞を受賞しています。原典はMichel Revon, Joseph de Maistre : Prix de l'éloquence de l'Académie française, 1892, Paris : Librairie de la Nouvelle revue, 1892です】

アカデミー・フランセーズ会員アレクサンドル・デュマ・フィス氏に捧ぐ

ジョゼフ・ド・メーストルは対比の天才であった。これは彼の著作を読んで最初に気づくことであり、かつ更に深い研究の後にも残る概観である。彼の経歴や行動や書簡を調べると、一層この印象が強められる。人生における、思考における、また人生と思考の間における対比、そこにメーストルの全てがある。彼をよく理解するには、まずこの基本的な視座に立たねばならない。
実際、彼の名には、激しくも陰鬱なイメージの一群がつきまとっている。死刑執行人の血塗れた腕、戦場の恐怖、火刑台の上で爆ぜる肉体。しかし冷酷な名はまた甘美な記憶をひとつならず呼び起こしもする。というのも、依然として異端審問の反射に照らされた不吉な顔が、無邪気に糸を紡ぐ娘の額を覗きこむと、父は潤んだ目で微笑み、破顔して面を上げるのだ。わたしは確かに、伝説の食人鬼が暴れ、叫び、血を求めるのを見るが、しかし善良な異端者たちを連れて馬車でジュネーヴに戻るのも見るのだ、歴史は鬼が異端者を貪ったとは伝えていない。またわたしは、永遠の深淵を眺め、その深さを測ることで人間の恐るべき堕落を見積もろうという皮肉屋の顔を見るが、しかしこの驚くべき夢はただ夏の夜の悪夢にすぎない。悪の預言者が喋るのは、ネヴァ河の船上で、明るい宵に、沈みゆく太陽が木々の梢や宮殿の窓をを赤く染めるとき、熱帯の果物をオレンジの木々にまぎれたアメリカの鳥たちとともに運んできた遠くの船々が到着する時分である。
つまりメーストルは、愛と憎しみを、喜びと悲しみを、人間と悪魔を同時に見せる二面の怪物なのだ、一方で呪詛を吐きながら他方で微笑んでいる。ジョゼフ・ド・メーストルとは、冷酷な神や不屈の教皇、絶対的な王の使徒である。異端審問を喝采し、拷問を讃美し、死刑執行人に戴冠させる。あらゆる恐ろしい逆説の弁護人、あらゆる凄惨な皮肉の理論家、新人類を嘲弄し苛立たせるもの全ての博士である。しかし、情に厚い父親、親身な友人、田舎の優しい隣人、剽軽なほど陽気な話好き、古謡の快活な吟じ手、さらには宗教的革新派、政治的自由派、亡命貴族に対峙するフランスの擁護者、つまりは鷹揚な思想家にして魅力的な人物、それもまた一層ジョゼフ・ド・メーストルなのだ。したがって、その顔は実に複雑である、複雑なぶん面白い、しかしその様々な矛盾ゆえに狭量な人々からは過度に称讃されたり不当に嫌われたりもしている。

I
矛盾を強調するのは、それが主要な特徴、ジョゼフ・ド・メーストルの基調であるように思われるからだ。この人物は対立の錯綜であった、それを解くのは面白いことだ。けれども、そうした対立が例外的な事象だと言いたいのではない。まったく逆に、これほど普遍的なものはない。自然は対比から成り、社会も同様、したがってそこから生まれた天才の魂もまた然りだからだ。群集とは絶えず波打つ海のようなものだ。社会の海の底は不動で暗く、いかなる観察でも測深できない。しかし海面では、何と絶えざる浮動があることか!何と狂瀾怒濤の喧騒か!何と澎湃たる出来事の混淆か!何と多くの運動が水面を吹く突風のように何世代何世紀にも亘って過ぎゆくことか、戦争も革命も擾乱も様々きりがない!こうした常に動く複合系を前にした歴史家は、永遠に理解も把握もできまいと怖気づく。変転する光景を見つめ、何かに還元し、ある一瞬、うねりのひとつ、うつろう波ひとつの様相くらいは描きたいと思うが、煌めく泡、表面的な奔流を僅かに集められるだけで、そこから深い原因や発生源の動きを伺うことはできない。しかし時化は続く、限りなく多様な不変性で、千もの声のざわめきとともに。見定め難い物影が横切り、嵐の中でも自由な鳥たちが波の上で遊び、薄暗い光の反射を受け、飛び去ってゆく。この混乱にあって、どうしたら現在地を知れるのか、どの波が他の波を生じさせ、どのような深淵が透けて見え、どの叢雲が微光を降らせているか、どうしたら分かるのか?狂飆を突っ切る大きな神鳥の一羽を見据えたとき、渦潮のどの波から身体を潤す水滴を汲んでいるのか、天上からのどの光の反射で翼を輝かせているのか、どうしたら言い表わせるのか?
しかし、これがジョゼフ・ド・メーストルを上手く描写するために試みねばならないことなのだ、彼こそ激動の只中に生まれた天才、千もの相反する出来事に揺さぶられ、旧体制とフランス革命、13世紀と18世紀の間を往来し、近代精神と伝統旧習に交互に惹かれ、自らを押し流す1789年の疾風に抵抗しながらも容赦なく引きずられ、全方位から光と闇を受け入れ、いかなる批評家も定義できない対比に満ちた調和のうちに、そうした様々な要素を凝縮した天才である。定義を試みるつもりはない。ジョゼフ・ド・メーストルは、ひとつの型に嵌められるような天才ではないからだ。驚くべき多様性においてのみ一貫している動的な容貌、それを大まかな輪郭で素描するに留めよう、そして限界を押しつけることははしまい、メーストルの魅力とはまさに限界がないことなのだから。
過渡的な時代にあって複雑性は本質そのものである。出来事どうしの矛盾、理論の定まらなさ、事物や人間の移ろう脆さ、全てを覆う仄暗さ、こうしたものが過渡期の示す必然的な光景である。動乱の情況に現われる天才は皆、根本的な対立を繰り返す。フランス王政の崩壊、革命、ナポレオン!そうした時代に、早潮の干満、終わりなき運動と反動、絶え間ない打撃と余波、大衆の身震い、傑物を輩出する衝突、神聖な事態や醜悪な事態、全世界を照らす恐怖と崇高の只中で、それらの奇妙な反射を受けずに生きることはできない。つまり、少しでも観察眼や思考力のある精神ならば、内部に全く疑念や葛藤を持たない一塊均質の人間であることはできないのだ。
それゆえ、1753年にシャンベリで法服貴族の家に生まれ、イエズス会の教育を受け、旧法に長じ、山向こうの国、フランス革命の氾濫によって滅びた国で、サヴォワ脱出を強いられ、兵たちに荒らされた家で妻の出産に立ち会うまで帰還できず、憤慨し悲嘆し、亡命貴族たちに混じって流され、王領なき王の公使となり、妻子と離れての流謫は1803年から1817年まで14年間に及び、ロシア宮廷で、困窮し、衣食住もままならず、それでも伯爵や公使としての尊厳を保ち、地位に相応しく振舞い、君主の信頼と皆の尊敬を得、苦しくも誇りある人生の集大成にフランスにとって忘れられない著作を記すこととなる、そうした若き貴族にとって、単純さが基調となることはありえなかった。
他の者も、同じような環境に生まれ、同じような不幸に投げ込まれたら、同じような本を書こうと思っただろう。同じ苦しみが同じ憎しみをもたらし、同じ考えが同じ努力に向かわせただろう。しかしメーストル伯爵に並ぶ者はいなかった。そのうちのひとり、ボナルドに宛てて、メーストルは「自然は、あなたとわたしの精神よりも完全に一致した2本の弦を張れたことがあるでしょうか?……あなたが書かなかったことをわたしが考えたことはありませんし、あなたが考えなかったことをわたしが書いたこともありません」と書いている。明らかな一致、だがそれは一般論までだ。メーストルとボナルドの間には、類似もあるが差異もある。天才としての資質が違うのだ。同じ試練が、別々の才能を授かったふたりを、異なる形で襲った。ボナルドは、厳粛で、真摯で、謂わば堅牢である。しかし残念ながら、無愛想で、冷淡で、現実的でもある。メーストルは、躍動的で、発展的で、思考は軽やかで眩く、矛盾が真実であり、詭弁が強さであり、壮大な独創で、崇高な韜晦はしばしば顰蹙も買ったが、最終的には納得させていた、前もって認めさせていたからだ。つまり、真に優れた頭脳の、知的で自在な複雑さである。ボナルドは、確かに逞しい知性と立派な手法を持っていたが、あまりに足取りが遅く、辛苦の只中で鈍重すぎたように見える。しかしメーストルは、狡猾な政治家かつ鋭敏な夢想家で、自由思想家たちの平凡な哲学や卑近な良識を嘲笑し、最も高尚な思索、フランス的思考の滑翔する澄んだ場所にまで、羽ばたきひとつで達したのだ。その輝く頂に、ボナルドは至れなかった。梯子を昇っても着けないのだ、飛翔しなければ。ボナルドはもっと下、薄暗がりの中、しだいに遺徳を呑みこむ薄闇の中に留まっていた。既に著作は見捨てられつつある。ボナルドの古い書物は、黄ばみ、忘れられ、図書館で最も上の棚に追いやられている。栄光は漠とした名声に変わり、時とともに深淵に呑まれる。しかしジョゼフ・ド・メーストルの評価は高まり弥増している、なぜならメーストルは作家であり天才であったからだ。
天才と呼ぶのは、批評家によくある弱さに流されてのことではない。批評家は、無意識のうちに、本当の共感と密かな見栄を混同し、自身の崇める人物の価値を誇張する。しかし、ある才人を天才と呼ぶのは、ありきたりの讃辞を送っているのでないことは確かだが、といって他の才人たちより上位の神人のような存在とすることでもない。天才は、ひとびとが思っているほど珍しくはない。天才の優位性、それは度合の違いによるのだ、資質の違いではない。天才は、自身のうちに、単純な才能の持ち主よりも優れた何かを持っている、しかし他方で、才能のない者が天才の輝きを持つ!どれほど多くの人間が、手段や意思や幸運を欠くために、輝きを秘めながらも発揮していないことか!輝きを強めて光らせるには、数多の条件が揃わねばならない。きちんとした教育、揺るぎない勉学、絶え間ない努力、一貫した研究、多くの名士にとって重要であった忍耐。真や美は、それを得る術を知っている者にしか与えられない。力ずくで、絶えざる追求で、不断の思索で手に入れねばならないのだ。活力と愛がなければ、知性は無力であろう。そうして育まれた精神は、然るべき環境において働く。気候、交友、風俗、法律、様々な慣習。こうした身の回りの要素は、有利か不利か、引力か斥力か、ともかく何らかの影響を及ぼす。それで、環境と人間が合わさると、共鳴なり反発なりするのだ。強烈な出来事が炸裂し、熱狂と闘争を辞さない頭脳を揺さぶるときこそ、至高の輝きが際立ち、膨らみ、炎となり、周りのもの全てを光と熱で貫くだろう。間違いなく、わがフランスいにしえの高等法院には、無名で誇り高い、一生涯を司法に捧げ、夜明けから宮廷に詰め、夕方まで司祭の厳格さでもって働く偉大な司法官たちの中に、永遠に名を知られぬ多くの天才たちがいた。環境が欠けていたのであって、能力が足りなかったのではない。しかし革命が到来すれば、フランスと同様サヴォワでも有力な一門である司法官たちの中から、ジョゼフ・ド・メーストルのような人物が生まれるだろう。帝国の崩れるとき、天才は輝く。
天才のあらゆる条件、苦心の忍耐、順境や逆境、最終的かつ決定的な衝撃、それらをジョゼフ・ド・メーストルは授かったのだ。教育については、よく知られている。はじめに、祖父ドゥモッツの旧家で、厳しい徳育家であるイエズス会士たちの手によって、古典的な教育を受けた。続いてトリノで、知性を釣合よく形づくるのに最も優れた科目である法学を勉強した。この素晴らしい学問がしばしば刺に覆われて見えるのは、実業家や衒学者たちのせいだ。しかし法学は、それを真に尊ぶ者のために、哲学と歴史が親切にも身を映しに来る不思議な透明の泉を隠している。青年メーストルは、この聖なる泉の全て、然るべき人士にとって優しい乳母である文藝、法解釈、とりわけ普遍的社会精神の優れた結晶化であるローマ法、それから今日ではおそらく誤って蔑ろにされている神学、他のあらゆる学問を花冠として戴く哲学、こうしたものを汲み取ることができた。それで、とても力強くしなやかな人物となり、厖大な読書と広範な理解力を備え、知的注意力による傑出した記憶力を持ち、65歳になっても半世紀ほど前に読んだきりの『アエネーイス』を丸ごと諳んじ、頭の中に驚くべき量の知識を絶えず積み上げ、コプト語やヘブライ語に至るまで何にでも関心を持ち、大プリニウスのような人生を歩み、けっして散歩などせず、毎日15時間勉強し、並外れた辛苦のうちにあっても鈍化するどころか、一日15時間も考えることができるといって発奮したのだ。
その力強い精神をようやく明らかにするのは、もっと後のことであった。気分屋や粗忽者のように、時機の来る前に光を求めることはしなかった。穏やかで内省的な生活の奥で、ゆっくりと慎ましく円熟するがままにしていたのだ。こうした知恵を持つ者はほとんどいない、売文家は言うに及ばず、多くの才人たちが考え尽くすより何年も前に書こうと急ぐのだ。青年メーストルは、言うべきことを待ってから喋った。長いこと沈黙を守り、厳しい職責を愚直に果たし、興味よりも義務として司法官に奉じ、のちに死刑執行人の礼讃者となる彼は、しかし常に怯えながら死刑判決に向き合い、法を尊重し、モンテスキューのように訴訟手続に不満を言って時間を浪費することはなかった。訴訟手続は非常に哲学的なことであって、改革を怖れている民衆をそれとなく改革に向かわせるのに適した手段ではないからだ。だから彼は、司法官としての仕事と、勉強家としての貴重な余暇の間で、おとなしく過ごしていた。しかし間もなく革命の第一波が彼の秘められた雄弁を刺激しに来た。幾つかの小冊子、とりわけサヴォワの亡命貴族についての短い手記と、ジャン=クロード・テテュと署名された田舎人への手紙は、間もなくヨーロッパ中に響き渡り、報復と贖罪の壮麗な歌のように反響する声の、短くも抗しがたい序曲であった。

II
贖罪!この概念が、敬虔かつ熱烈な、超自然的なものを志向する彼の魂に、すぐさま現われた。論理的な歴史家が苦しい現実を這うところ、そのように身を屈められぬほど昂奮し、明瞭な分析を退ける派手な展望、出来事の人間的な説明を拒む預言的な呪詛へと向かっていたのだ。どの時代にも、とてつもない光景に目と心を驚かされた人間は、摂理の働きを主張してきた。人間にとって、災禍は神の鞭に、革命は天の罰に見えたのだ。キリスト教徒が勝ち誇っているとき、異教徒たちは神々に打たれているように感じ、蛮族が迫っているとき、キリスト教徒たちは恐るべき群勢を天の裁きの予兆と考えた。フランス革命を受けたサン=マルタンら神秘思想家たちも皆また同様であり、その啓示はメーストルに影響を与えた。メーストルは哲学者というより神学者であり、奇蹟について、すぐさま直観的にそのような視点にまで至ったに違いない、それでフランス革命を神の腹心の遥かな高みから考えるようになったのだ。
彼は悲劇に居合わせたのだ。ひとつの社会が俄に瓦解し、何世紀もかけて作られた巨大な構造が数日で崩壊し、貴族が打倒され掠奪され、凡夫が貴族となり、王が断頭台にかけられ、下層民が台頭し、ジャコバン派が勝利し、ついには常に世界に亘るキリストの輝く剣であったフランスがキリストを裏切る、こうした危機の全てが、運動の盲目な主導者を密かに導いているかのような、謂わば完全なる運命によって、鮮やかに進められる。この大惨事によってメーストル自身も家族や財産を傷つけられ、目まぐるしい展開を間近に見て驚きどおしであった。身を寄せる古い構造が崩れるのを聞き、轟音に耳鳴りがした。こう考えたのだ、「全く理解できない!どうして世界一罪深い者たちが世界を席捲しているのか?……」(これは彼自身の言葉である)。理解しようとして頭を抱えこんだ。出来事の滅茶苦茶な絡まりを調べたが、不明瞭な動き、因果の密集、観察では測り知れない闇しか見ることができなかった。結局、乱された心は、血塗れた光景に囚われ、この謎に相応しい本質的な言葉を見つけたと思った。暗闇の場面の只中に光の入口を見出し、その裂目から神の手が現われ、罰を下し、天上の驚くべき微光で地上のあらゆる場面を照らしたのだ。
メーストルは神の前に跪いたのち、見事に立ち上がった。いまや預言者は気を確かに持ち、しっかりと立って、悪魔のような革命に面と向かい、これから格闘しようという恐るべき敵を前にして、いっぺんに憤激と恍惚で震えた。どんな武器で戦うか?残された武器はただひとつ、本であった。『フランスについての考察』を書いたのだ。その本で彼は、手慣れた不気味な皮肉を用いて、真冬に実をつけた夏の果物のように奇蹟的に生じた革命が、至上の力によって展開され、自身の知らぬ目的に向かって突き進み、行く手を阻むものを全て吹けば飛ぶ藁のように旋風に巻き込み、革命を導いていると信じている人間を運んでゆき、驚きながら引きずられる革命の主導者を権勢の絶頂に持ち上げ、誰かの望むとおりに演奏させられているのだから決して間違った音を出さないヴォーカンソンの自動笛吹き人形と同じにするものだ、ということを示した。このときから、ジョゼフ・ド・メーストルは自身の能力も弱点も全てを披瀝し、革命は好敵手を得たのだ、革命の栄光と狂気、残虐性と理想主義を持ち、革命のように不条理で、革命のように天賜の反革命家である。
この革命をメーストルは憎んでいたが、敬服してもいた。革命の壮大な性質に衝撃を受け、驚嘆とともに観察したのだ。革命の犯罪を嫌ったが、美しさを認めた。桁外れの複雑な現象として捉え、ほとんど共感的な畏怖でもって、恐怖と魅惑の出来事であると正当に評価した。彼が革命のうちに神聖な悲劇を見たことを考えれば、自然な対比である。王党派、カトリック教徒、惨劇の犠牲者でありながら、素晴らしい感性である。亡命者にありがちな狭量さ、打ち負かせない相手を貶めようとし、革命を偶発的な暴動にまで矮小化し、革命の勝利よりも同盟の成功を望むような小心は全くない。もっと心の広いメーストル伯爵は、自身が過酷な戦いを挑むこととなる巨大な敵に敬意を示すことができる。革命の理想の性質を復元し、たとえ陰険な首謀者を嫌っていても、陰でうごめくつまらぬ人物の群れを上から一瞥しても、少なくとも社会の大規模な再生を為した無意識の職人たちであるという栄誉を彼らに認めたのだ。感嘆ゆえに彼らを許容し、昂奮ゆえに彼らを赦免した。美しく正直で高潔な、つまり一語で言えば、とてもフランス的な態度だ!
それゆえメーストルは精神においてフランス人なのだ。このピエモンテ人はフランスを崇敬している。熱烈なカトリック教徒にして血気盛んな王党派である彼は、王権を一掃し教会の十字架を打ち倒した国を愛した。抑えがたく激しい恋情で惚れこみ、フランスの栄誉を誇り、欠点に寛容で、フランスを貶めるようなことには全て目を瞑り、美しくすることなら何でも熱狂するのだ。叙情的な昂奮でフランスを称揚し、見事な文章で讃美し、うっとりした言葉で擁護する。フランスを「天国に次いで最も美しい王国」と躊躇なく呼ぶ、この言葉は彼の本質的な思考を凝縮している。フランスがジャコバン派によって栄えるくらいなら他国との同盟のうちに解体されることを望む「髪粉を振った鬘〔18世紀の貴族のこと〕」に憤慨するのだ。もしフランス軍が敗れ、影響力が翳れば、それはヨーロッパの均衡の恐るべき崩壊、世界の激しい動揺となり、予期できぬ結果をもたらし、おそらく数世紀に亘る殺戮となり、人間性は必ずや取り返しのつかない愚昧に陥るだろうということを、無自覚な味方に説明する。このことを書簡や小冊子や大著の中で絶えず何度も繰り返している。フランスの残像が彼の思考に取り憑き、摂理によるフランスの使命という概念が彼にとって絶対的な教義のように重要となる。「フランス人のために為された神の御業〔Gesta Dei per Francos〕!」この言葉の深さを、メーストルは頭と心でどれほど感じていたことか!フランス人は本当に現世での神の腕であり、法と理想の番人であり、ときに些か軽率で素朴なドン・キホーテじみているとはいえ、常に雄々しく立派であることを、どれほど理解していたか!だからメーストルは寛大にもフランスの罪や悪行から立ち直り、一時的な堕落が束の間の偶発事にすぎないこと、気高い軍人はいつも短い逆境のあと再び武器を手に立ち上がり、陽気に、激しく、無欲で、それまでのどれよりも強くて純粋な次なる十字軍に備えていることを、重々承知していた。
これほど真正で透徹したことはない。そう、フランス人には天からの使命があるのだ。諸国民の永遠の歩みにおいて、常に群れの先頭におり、前線の先を進んでいるフランス人が見える。理想への信頼と尊敬を誓った騎士であり、聖なる使命を与えられているのだ。その最も極まった表現、心臓の鼓動、神聖な狂気の顕現のうちに、人間性の認識がある。フランスの古い鬨の声は、われらの喜びよ!〔Montjoie !〕である。暢気な勇敢さ、軽やかな気分の叫びだ、神聖だから喜ばしいのだ〔もとはフランスの守護聖人を称えて言った「われらの喜び、聖ドニよ!Montjoie, Saint Denis !」なので〕。初期の標語は、神よフランスを護りたまえ、である。何者かがフランス人に告げる、前へ!……するとフランス人は騎馬に跨り、素晴らしい冒険、偉大な手柄、雄渾な戦いを求めて出発する。世界を横切って堂々と騎行し、世界の四方に剣光を煌めかせ、衆人に切り込み、一群の古びた考えを薙ぎ払い、過去の城壁を打ち倒しに行く。自らのうちに、いにしえの騎士の勇敢さ、かつては聖杯の騎士の魂であり今は法律家の魂である高い志を持っている。諸国民が顔を上げれば、高尚な領域を天翔け、気高い雲海で夢想をめぐらせて跳ね回り、精神の見えざる限界を押し広げ、思想地理学の動的な地図を作り変えているフランスが見える。国粋主義者はフランスによる偉業の隠れた射程を知らずに称讃し、嘲笑的な外国人はフランスが他国を利していることに気づかず侮蔑する。しかし当人は、愚かな称讃も無分別な嘲笑も気にかけない。自由と正義による行ないを倦まずに続けるのだ。フランスが迫ってくると、抑圧する者は震え、抑圧される者は恃みにする。夢想家たるフランスは罰を与え、勇者たるフランスは哀れみを知っているからだ。しばしばフランスは戦闘に敗れ、血に塗れ、傷つき、対価を払わされているが、それが何だというのか。その代わりに、永遠なる布教、尽きせぬ善意の横溢、天才の自覚があるのだ。雄々しい姿は誇りに満ち、優れた英雄気質によって休みなく冒険を続け、いつでも好人物たちから喝采で迎えられるのは、フランスが常に神から祝福される騎士道の精華であり、人間の根本である勝ち誇った熱意を負けているときでさえ常に持ち、苦労すら気高いということに報償を見出すからなのだ。これがフランスを正しく愛するために知るべきことである。それを理解していたのが騎士の心を持つメーストル伯爵であり、だから今度はわれわれが彼を愛する番なのだ。
ジョゼフ・ド・メーストルのフランス崇拝は、また別の、さほど練られてはいないが重要な考察によって説明されている。わたしは彼の国体観について述べたい。メーストルは確かに、フランスの国体のうちに政治的理想の実現を見たのだ。メーストルは、われわれの公法の古くからの伝統に魅了された。彼の想像力は、遠い起源、微かな痕跡、君主政に力と同時に秘密も与えた慣例や習慣の漠然とした集合に、自ずと至った。明快で皆に知られた、削除や加筆のある成文憲法は、けっして人民を惹きつけないだろうと思った。「表明されたことは害をなすが、表明されなかったことは害をなさない〔Expressa nocent, non expressa non nocent〕」という、法律に対する有名な嘲笑は、トリノでしばしばメーストルのノートに現われたに違いない。全てを説明し、統制し、規定してはいけない。人間の献身には、もっと多くの限りなさと詩情があるのだ!人間が良心によって働き、共同作業に奉じるには、伝説をまとった偶像、数世紀来の謎のうちに育まれた民族にとって直観的な信仰、何の不安も留保もない信念となった愛郷心が必要である、何かしら永遠なるものに結びつくことには心地よい感覚があるからだ。
この感情は、人間の心についての実に繊細で正確な観察に基づいているが、18世紀には全く認識されていなかった。18世紀の啓蒙思想家たちは、冷淡に理を説き、むなしく思考し、すべてをむき出しの光の下で見た。社会体制を、白日の下に屹立し、はっきりと明確な輪郭や際立った立体感を持つ、簡単に測定も描写もできる石造建築のように考えていた。人間とは重さも価値も均一な単位や材料であり、それを使えば算術によって自在に体制を建てたり壊したり建て直したりできると思っていた。これほど間違った、作為的な、生きた自然に反することはない。それゆえ、そうした観念学者たちをジョゼフ・ド・メーストルは忌み嫌っていた、少なくともメーストルの著作を読んでいたナポレオンと同じである。奇怪な構築物に毅然と向き合い、ヴォルテールすら武器として向け返し、勝者の笑いで攻撃する。容赦ない嘲笑が炸裂し、瓦礫を一掃し、物事の現実性、つまり万物の流転する生、人間の制度の限りない複雑さ、知覚できない進歩、絶えざる変化、真摯な観察者であれば名状し難いものの前に立っていると分かって竦まざるを得ない無数の機微、そうしたものを回復させるのだ。こうした困難を、観念学者たちは考えもしなかったが、メーストルは深く直観する。そして観念学者たちに、一国の中枢器官たる憲法は織機や消火ポンプのように用途に応じて決まった工程で作られるものではなく、自然と歴史による必然的かつ自発的な産物であり、それについて哲学者は何もできないと、いみじくも断言する。人間は、種を植えることはできるだろう、しかし木を創造することはできない、不可能だ!国体は尚更だ、生きたものなのだ!せいぜい少しずつ改良したり、枯れた枝を剪定したり、新しく接木を試みたり、すべて慎重かつ繊細な手によって、無遠慮な処置で傷つけぬよう行なうことが許されているだけだ。行き過ぎるならば、より軽率でない担当庭師が必要である。つまりはこれが、われらが思想家の見解であり、歴史学者から哲学者への、実践的な知恵から軽薄な理論への見事な回答であり、人間の制度に魂を与える空間的集中と愛すべき伝統を与える時間的永続性を、一語で言えば、命の源であり栄華の秘訣である恒久的一体性をもたらすことのできる、唯一の体系なのだ。

III
しかしメーストルは論理に長け、大胆で、普遍化する術を知っている。当然その思想は伝播し、連なる波によって拡散し、政治の領域を中心として、そこから直ちに宗教の領域に達する。教会は王権の近くにあり、フランスからカトリックまでは遠くないからだ。したがって、政治体制の理論を鮮やかに概説したのち、自ずと宗教制度の理論に至る。君主政の永続的一体性をもたらす原理について説明したのち、カトリックにおいて永続的一体性を打ち立てるものを擁護する。王の権威を称讃したのち、教皇の権威を称讃する。『フランスについての考察』で威勢よく登場したのち、必然的な敷衍として『教皇論』がある。
この本はひとつの戦いである。18世紀に対する二番目の戦場である。『教皇論』は1819年、クロワ=ルースとフルヴィエール、労働と夢想、ふたつの丘を持つ都市リヨンで刊行された〔クロワ=ルースの丘には絹織物街が、フルヴィエールの丘には大聖堂と古代ローマ劇場がある〕。当時、教皇が復権していた。ナポレオンは教皇に戴冠してもらったが、それは無駄なことだった、間もなく教皇はナポレオンに対抗するヨーロッパ同盟を支持したからだ。フォンテーヌブローの囚人となった教皇は、試練にあって堂々と頭を垂れ、そして再び立ち上がり、苦しい恥辱から自身の変容を引き出して、かつてなく尊い存在となっていた。それ以来、信仰者たちの間に、共感と尊敬の強い反動が起こった。かつての信徳が夢見られるようになった。カトリックは沈黙していた。この期待の只中でメーストルは喋った、それが時機だったのだ。革命が政治と同じく宗教においても無秩序をもたらし、哲学の混乱によって社会が動揺し、摂理による事物の性質や人間の素直な直観を排して推論に代えようとしたために制度と同じく信仰においても推論が全てを乱していることを指摘した。衆愚政治に絶対主義を対置した。宗教的無秩序を終わらせるために神権政治を説いた。もちろん、当時の情況であれば、これ以上に尤もなことはない。宗教的勢力によって起こされたイギリス革命のあと、懐疑主義者かつ自由主義者たるホッブスは、政治にも宗教にも無関心であったところから一挙に無神論的専制主義を唱えるに至った。不信仰の啓蒙思想家たちに煽られたフランス革命のあと、メーストルはキリスト教的専制主義の理念を人民に示さねばならなかった。教義を揺さぶった18世紀は、ついに権力を崩壊させた。権力を再び堅固に立ち上げるには、教義を復興せねばならない。そして、一体性と伝統から成る指導的権威や、他の教義すべてを締める無謬性という最上位の教義なしには教義を保持できないのだから、メーストルの論理は「キリスト教の要諦たる教義とは教皇権である」という根本原理に至った。
これが、思想領域において彼が大胆に試みたカトリック復興の趣旨である。この野心的著作のために、哲学や歴史や法学から、使える要素を何でも借りている。法学や政治からは、最終的な、いかなる政治体制にも不可欠の、したがって決して間違わないと看做されるべき最高審級という概念を採っている。歴史からは、最初のローマ司教〔ペトロのこと〕が昇った死刑台から始まって、間もなく民衆の信仰によって立派で名誉ある玉座に上げられ、栄光の極みに達したという、教皇の権威が常に増大する光景を引いている。カトリックは、まごうことなき真実の伝説によってコンスタンティヌスから与えられた永遠の都を持ち、あらゆるキリスト教徒に対して力を及ぼす永遠の女王たる教皇庁が座し、すべての君主を裁定し、臣民を虐げている君主を廃し、祝福も破門も同じ手から等しく確実に発し、文明を庇護し、不正を罰し、世俗的かつ宗教的な二重の力によって世界に認めさせるのは神の絶対的支配のみなのだ。メーストルは、哲学から理性を、神学から証拠を、キリストから証言を、学者から筋の通った論証による称讃を、夢から空想を引き出す。こうした驚くべき積み重ねの頂上に、大聖堂の塔の尖端のように、白い法衣をまとう慎ましい老人の讃美された姿、無謬にして至高なる教皇の姿を打ち立てるのだ!ゴート族のようだとされた信仰の禁止から20年後、ヴォルテールの栄華から40年後のことであり、罵声を呼ぶのではなく、未来を否定することなしに偉大な過去を理解し尊敬する寛大な精神による称讃をかき立てながら起こったことだ。
しかし、それで全部ではない。ミケランジェロの大壁画のように見事な情景が輝かしく広がる中に、批評家たちは染みを見つけたような気になる、血の染みだ。勝ち誇ったカトリックは、その力を拒絶する者に対して、しばしば残酷であったように見えるのだ。神権恐怖政治、自由な思想家を縛る鎖、死刑執行人、火刑台を持っていた。これらを全て正当化し、暴力の理由を説明し、カトリックの栄光の上に漂って穢しかねない最後の疑念まで消し去らねばならない。メーストルは、こうした企てを前に尻込みする男ではない。あらん限りの力をふり絞り、持てる限りの弁舌を尽くして、宗教裁判で弁護を行なう。わたしは何を言っているのか、弁護だって?もっと上だ、メーストルは恥ずかしくも情状酌量に頼る弱腰の弁護士ではない。役を引っくり返し、弁護を論告に変え、犠牲者が間違っていたことを証明するという、もっと大胆な方法を知っている。だから弁護などしない、告発するのだ。カトリックは、異端の挑発を受けており、正当防衛の状態であったから、自身を守るために首尾よく異端を殺したのだ、と述べる。どうして異端は教義を傷つけ信徒を戸惑わせに来たのか?なぜ異端は黙らなかったのか!何が異端を喋らせ、人心のうちに疑いの火をつけさせたのか?黒い放火魔たる異端の開祖に対して、火刑は正当な罰である。どうかカトリックが誤った虚像の足下に屈するのを止め、被告人席から告訴人席に移って、堂々と立ち、顔を上げ、赤い染みなどひとつもつかない白貂の法服をまといますように。
現代の寛容さは、こうした主張に反発し、身震いする。どうして異端が自由に思考していたのか?精神の世界は定められた不可侵の安息地だからだ。なぜ異端は黙らなかったのか?異端の信者たちは、初期の殉教者たちと同様、疑い深くも臆病でもなかったからだ。何が異端を喋らせたのか?良心だ。こうした回答が押し寄せて来る。異端審問を復権させるには、信仰に陶酔し、親切心から厳しくしており、魂を救うために肉体を罰し、力ある者を天国に送り、福音の炎を通り抜けさせていたのだと示さねばならなかった。こうした崇高な戯言で異端審問官を美化して赦免することもできただろう。しかしメーストルは、こうした弁明など全く考えない。異端審問はカトリックの平和を守る猛々しい守護者であり、宮廷人にはもっと政治的で計算ずくな行為に見えるのだろうが、それだけにいっそう法学者にとってはおぞましく見える抑圧の実行者に他ならないと考える。これはメーストルらしくない、理屈っぽいからだ、もはや愉快な詭弁でない、生々しい傷に触れているからだ。傷ついて震えている者の前で示威行為をしてはならない、また施しを求める貧者の前で講堂の冗談を言うのは趣味が悪い。
こうした厳しい評価を、誰もが『ロシアのある貴族への手紙』に対して抱くに違いない、また全カトリック教徒も同意するであろう、『教皇論』や『フランス教会』に対してはそこまで厳しく思わないにせよ。教皇の擁護は、いかに尊大で臆面なく構成されていても、ガラス杯のように軽くて脆い、有用性という疑わしい同一の基礎の上に乗っているからだ。全編に亘って統制が多すぎる。信仰のほとばしり、神そのものに任命されたがゆえに至高であり何世紀にも亘って神から息を吹き込まれているがゆえに無謬であるキリストの助任司祭〔教皇のこと〕にひれ伏す信徒の歓喜といったものは、あまり感じられない。人間的な慎重さを理由に教皇の至高性を、政治的な擬制の上に教皇の精神的無謬性を打ち立てる、とにもかくにも実利的で非宗教的な政治家による瑣末な議論が多すぎるように思われる。いつも風に吹かれ、絶えず憎しみを向けられ、休みなく揺さぶられ続ける教会のような建物を据えるには、何と馬鹿げた基礎、粗末でぐらついた石組か。別の支えが必要である、神聖さだ。神秘的で架空の観念的な大聖堂は、魂のいる天で、起源を覆い隠して不可思議な謎の輝きで超自然的な魅力をもたらす雲の上に浮かぶ、見えない信仰によって支えられてのみ存続できる。これは技量の優れた者には分からぬことであり、利発ゆえに素朴にはなれないメーストルにも理解できなかった。下層民や、下層民に理想を描いてやる藝術家にはよく知られた神秘の扉は、彼の頭になかったのだ。宗教のうちに愛の夢想ではなく実利的な均衡を見た。宗教を擁護するのに、穏やかに説明すべきところ、外交官や訴訟人のやり口を使った。平易であるべきところ、マキアヴェリズムの濫用に夢中になった。高慢な神殿、貴族的な不器用による建造物、ヴィクトル・ユゴーをひどく憤慨させ、正しくないにもかかわらず美しい詩句によってユゴーの創作意欲を刺激した「正義や義務に反して建てられた恐るべき大聖堂」を建てた。要するに、挑発し、突撃し、罵り、苛立たせるので、純朴な者は説得されるどころか反発するのだ。
しかし欠点をあげつらうのは止めよう。戦いの只中に投げ込まれ、武器の選択肢も戦闘の全体像も持たなかった戦士について話していることを忘れてはならない。それに、弁証法の過剰によって、敵を怒らせ、憤慨させ、強引に俗信から抜け出させることで、顰蹙を買うような、中道の者にとって初めは無茶苦茶に見える、しかし後には筋の通った自然なものに思われる過激な断言に、ゆるやかに戻ってくるようにさせる意図がなかったと、誰が言えよう?聞いてもらうには大声で叫ばねばならなかったのだ。それでメーストルは、懸命になって、声を張り上げ、罵詈雑言や嘲弄や詭弁をふり撒き、常識や良識をも顧みず、あらゆる手段で敵を不快にさせ苛立たせる。聖ペテルブルクの観測所で、フランス人を、パリ市民を考える。助言をくれた友人に「これを入れて、さらにこれを加えよう、それで向こうを怒らせられるだろう」と述べている。実際、腹を立てた読者は反抗する。欺こうとされているのに気づく。しかし読者の注意力は増し、とりわけ読者に思考を促して信仰に導くというメーストルの目的は達せられた。教皇や宗教裁判に対する伝統的な非難に対して、度を越した、挑発的な、しかし敵の異論そのものと同じくらい実利的な称讃で答える。俗物のヴォルテール信者は自分の信念が揺らぐのを感じ、中世こそ黄金時代と考えるまでには至らずとも、少なくとも中世を敬神による罪と聖職者の偽善の塊であるかのように言い募ることは止めるだろう。教皇の権力は歴史の偉大なる成熟の結果であり、宗教裁判は旧弊の野蛮さとして納得できることを、おぼろげながら理解したからだ。こうして著者の詭弁は叡智を生み出し、狂ったような見かけは優れた道理に帰着し、騒音は調和を成し、逆説は少しずつ良識と合致してゆく、逆説とは昂奮した良識に他ならないからだ。

IV
疲れを知らない論争家の三番目の戦場にも、同じ戦略がある。1821年に刊行された『聖ペテルブルク夜話』だ。いまや18世紀を形而上学的な領域まで追いかけるのだ。自身の体系をさらに拡張し、世界の普遍的な見方にまで結びつける。彼の思考は、現世の制度について確かな足どりで進んでいるのを見てきたが、ふいに翼を得て、最も高い思弁的な領域へと果敢に飛翔するのだ。哲学者たちの籠城する高慢な砦に飛びかかり、天に聳える頂で、信仰によって高められ鼓舞されて、最後の戦いにかかる。挑発や痛撃、巧緻で翼のある策略に目の眩む崇高な戦いだ、そこでメーストルは持てる限りの皮肉と天性の快活さを放ち、敵を火矢で攻めたて、論法の閃光を一挙に噴出させる。
これこそ確かに、若くて勉強熱心な時代から亡命生活の最後まで長いこと少しずつ温めてきた天賦の才が花開いている、「頭の限りを傾注した」決定的な著作である。この本は、それまでの著作と同様、革命に対する反動として理解できる。革命を間近で見た者は、おそらく当然のこととして摂理を疑った。どうして多くの不幸があるのか?どうして義人が打たれ悪人が称えられるのか?どうして国家の精華は刈られたのか?どうしてフランスの礎を成していた司祭や貴族が犯罪者のように罰せられたのか?どうして王の首は切られたのか?どうして卑しい顔が再び立ち上がったのか?どうして狂乱が氾濫し、「悪党支配〔canaillocratie〕」(これは彼の言葉である〔ならず者canailleと支配体制cratieを合わせた造語〕)が勝利し、血に飢えた者たちの神格化によって悲劇の幕引きとなるのか?こうした陰鬱な変転の全てにおいて、どこに神の論理があるのか?一般化して、この謎をあらゆる場所と時代に拡げて言えば、どうして世界に悪が存在するのか?どうして善はいつも裏切られるのか?どうして不幸の雨が延々と人間に降るのか?どうして不満の呻き声が上がって絶えないのか?どうして犯罪や戦争や疫病があるのか?どうして被造者は創造者によって何度も鞭打たれるのか?どうして悲しみがあるのか?どうして祈りを口にさせないような光景があるのか、アダムの末裔たるわれわれを結びつける不可解な連帯責任があるのか、理解し難い贖罪があるのか、魂に破滅をもたらす自由が与えられているのか、神の善意が休みなく襲ってくるのか、黙りこくって馬鹿にしたような不条理の問題が世界を支配しているのか?生のあらゆる矛盾を呼び起こす、恐るべき「どうして」だ!すさまじい問いかけであり、これ以上に難しい問いは形而上学に存在せず、思想家をひとりならず狂わせてしまう、だが恐ろしくも魅惑的な神秘の入口として常に心を惹きつけるであろう。悪の問題こそ運命の大いなる謎であり、根本的には人間と信仰の間に立つ唯一の重大な異議だからだ。ジョゼフ・ド・メーストルは、この怪物に挑むのだ。
驚かされるのは、取りかかるにあたっての自由なやり方だ。普通、神を正当化したい思想家は、まず断崖から遠ざかるものだ。勇気を出してよじ登り、切り立つ山の頂に到達しても、全く安心できない。急斜面を前に戦慄する。高い場所には畏怖を覚える。ゆえに思想家は尖峰から離れ、花咲く野原に弟子たちと慎ましく身を落ち着ける。そこで自然の素晴らしい秩序や植物の瑞々しさ、虫の輝き、生きものたちの巧みな構成、摂理による微笑ましい創造のあらゆる証拠を示すのは、実に安全で自己満足できるものだ。そのあとで、こっそり遠くから深淵を一瞥するとして、それは目の眩みやすい者が近づけば必ずや震えるであろう果てしない危険な深さを告発するためである。メーストルは全く違った方法で進む。聖ペテルブルクのプラトン的な散歩で、彼にはふたりの仲間がいる。フランス人の騎士、これは正直な人士で、知的で、誠実で、言葉に生気があり、かつての貴族を気高くあらしめた軽やかな良識と素朴な忠義を持っている。ロシアの上院議員は正教徒で、博識で、敬虔で、よく考え、得心するためにのみ質問する。ふたりの間で、激情に沸く伯爵は、激しい弁舌に込められた熱気が自分でもはっきりと分かる。話し相手ふたりを揺さぶり、洞穴や岩山を連れ回し、出しぬけに絶壁を見せる。その大きさと垂直線を皮肉っぽく提示し、眼前に包み隠さぬ自然を晒し、むごたらしい残虐や桁外れの嵐、彷徨する雷、それらの途方もない集結の中で亡くなる人間に対する容赦ない冷淡、底なしの渦の終わりなき移り変わりを詳述する。恐るべき見者の友人ふたりが、こうした過酷さは全て何の証拠なのかと聴くと、こう答える、摂理だ!
これほど論理的なことはない。この驚きと余談に満ちた会話的な手法、運動と変化と自由自在さから成り、哲学的対話の魅力である交叉点や予期せぬ分岐の全てを通る話術のうちには、主導的な考え、強く関連づいた体系が明らかに見て取れるからだ。摂理による三幕の劇に気づく。肉体的な悪、その由来である精神的な悪、さらに大元である原初の堕落である。はじめ神は不正であるように見える。悪人の幸福、善人の不幸、ありふれた嘆きをもたらす古くからの主題だ!しかし、どうか徹底的に神の法を探究してほしい。災禍は万人に区別なく降りかかること、義人が苦しむのは義人だからではなく人間だからであること、普遍的な法は被治者すべてに不公平なく適用されねばならないことが分かるだろう。これが義人の苦しむ理由である。しかし、どうして人間は苦しむのか?罪のためである。自由な人間は精神的な悪のみを為すのであり、悪が人間を穢すからだ。神が罰する悪の作者は神ではない。罪には罰が、不摂生には病気が伴う。公平な贖罪である。しかし精神的な悪そのものは、どこから生じるのか?原罪からである。確かに、自ら増殖する存在は、自分と似た子どもしか生み出せない。われわれの先祖がわれわれに罪と苦しみの多大な能力を伝え渡したとすれば、先祖自身が何らかの明白な驚くべき罪を犯したからである。大洪水は途轍もない背徳を推察させ、その背徳こそは驚くべき知性の証拠となる、学問はあらゆる罪状に対する唯一の尺度なのだ。黄金時代は遥か彼方である。人間の原始状態は、優れた直観、見事な言語、素晴らしい能力の時代であった。残念ながら、それらは全て未知の罪によってかき消された。この罪は、信仰も理性も行き詰る黒い点である、そこから不可解な謎が始まるからだ。秩序から混乱が生まれる。闇が光を証明する。摂理が悪の存在理由となる。可換性の法則〔ある者の罪に対する罰を、別の者が代わりに受けること〕が世界を司り、各世代が病のように原初の罪を受け継いでゆくのであり、人間が永遠に深淵へと落ち込むのは、わざわざ人間が自分で行なった当初の運動の恐ろしい何世紀もの加速のためなのだ。
こうした陰鬱な描写にあって、煌めく挿話が明るく際立っている。メーストルは堕落を語る。しかし言葉の粋を尽くして描写を磨くために話を止めようとする。この神学者は藝術家でもあり、文彩や鮮やかな比喩、言葉を重ねたりあえてぞんざいにしたりといったことを好むからだ。フランス語で表現するとき、観念だけで考えるのは難しいだろう。言葉があまりに魅力的で甘美なのだ。身近な美しさでもって、人間のように、言葉が次から次へと親しげにやってくる。漠とした頭から白い紙へ愉快に降りてくるから、否応なく言葉を撫で回すことになるのだ。可愛らしい罪である、いや原罪と言いかけるところであったが、われわれの言語に一度でも神々しい魅力を感じたことのある者なら誰もが犯す罪だ。ジョゼフ・ド・メーストルもそうしたひとである。だから心を込めて書き、それが引用されるというわけだ。その中に、有名な死刑執行人礼讃がある。
地獄のように壮麗なダンテ的描写は、死刑執行人がメーストルの体系において占める重要な役割によって、存分に説明されている。試練の法によって、死刑執行人は摂理の右腕として現われている。それゆえ教皇や王にも匹敵するほど奇妙に偉くなっている。さらには、教皇と王と死刑執行人の三位一体において、死刑執行人が恐るべき三角形の頂点に輝かしく屹立するのではないかと危惧される。メーストルにとって、このおぞましい存在は普通の人間ではないからだ。神に遣わされた残忍さであり、神の法に必然の道具であり、世界と同じく神によって特別に創られたものなのだ。著者もまた力を込めて創作した、かような強い描写を前にしては、あらゆる記述が色褪せてしまう。型を創ることは、世界を創ることでもあるのではないか?そのうえ人間の才能に何ができる?型が存在するからだ。型は、どんな存在の生よりも確実な人生を送る。型は実現された理想であり、散らばった抽象概念の凝縮であり、個々人は皆、単一で可塑的で不滅の、永遠に呼吸し鼓動するひとつの人物像へと練り上げられる。メーストルは死刑執行人を創ったのだ。
もはや死刑執行人は、フランスの古い慣習においてそうであったような、卑しい、浅ましい、不愉快な、捺印した委任状を軽蔑とともに机の下に放る高等法院の大法官から売り物に穢れをつけまいと必ず木の匙で取らせた零細穀物商まで誰からも蔑まれる存在ではない。人間社会から疎外され、概して誰にも触られないよう赤と黄の服を着て、都市の城壁の外、少なくとも晒し台の附属地に住み、ひっそりと生活し、通りすがりの迷い豚から取り分を徴収し、豚の頭を貰いものとして受け取り、絞首された者の脂を不治の病の薬として売る。陰鬱な、恥ずべき、這いつくばった、世間常識に裁かれ、消えない焼印を押され、癩病者や野生動物のように誰からも避けられる、死刑囚よりも忌むべき、つまり大衆から人間と豚の合わさった怪物のように看做されている人間である。また、中世ドイツの死刑執行人でもない、重大な社会的使命を帯びた官吏であり、敬うべきとされ実際に敬われてもいる、町役人の一員や裁判所の司法官でさえあることも多く、つつがなく死刑執行を続けたために爵位を貰うこともしばしばで、肩書や特権を誇りとし、バーゼルの「死の舞踏」のように武器を高らかに掲げている。ジョゼフ・ド・メーストルの死刑執行人は、このふたつの型のどちらかではない。どちらでもあり、さらに上の何かである。
メーストルが死刑執行人のほうへ進み出るとき、この炎のような目と黒い顔を持つバラモン教の罰神のように特別な人間は、人類を血で洗おうと構え、陰気と栄光を同時にまとい、惨めでありながら超自然的な任務によって美しくもあり、メーストルは死刑執行人を称讃と軽蔑で迎える。恥ずべき人間の汚れた手を取り、忌まわしい肩に素晴らしい上衣をかけ、司祭のような服を着せ、後光で輝かせ、世の中に向けて、死刑執行人は卑しいと同時に偉大でもある恒久正義の実行者であること、務めが高尚であるだけにいっそう低級であること、緋色の服を着ているだけにいっそう赤裸であること、血と詩にまみれ、下劣な仕事ゆえに美しく、おぞましいがゆえに崇高であることを示す。これが型である。死刑執行人の職務について、メーストルのあとでは何も言うまい。横木の下で骨が砕け、罪人が呻くのを、あらためて聞かせることはしまい。ある教授は、利発で雄弁だが節度を好み、授業でこのくだりを引用するとき、恐怖の極まったところでぱたりと止めた。聴講生に「あなたがたの感じられた恐怖が、もう続けるなとわたしに警告します。その恐怖は、ひとつの分別なのです」〔Abel-François Villemain, Cours de littérature française〕と言うのだ。ヴィルマンは間違っていた。われわれの神経に走る恐怖は、見事な創造に対する称讃に他ならない。もしメーストルがこの批評家の見解を聞けたなら、笑って返しただろう。というのも、おそらくこう思っただろうからだ、聴講生は、そのページから思想を、文体の表われた断片から哲学的主張を見抜き、抽象的な思索も生彩な技法も考慮して、最後には天才的な韜晦の源泉である力強く皮肉っぽく威厳ある叙情を理解できるだろう、と。
戦争について書かれた部分を評価するときも、同じように考えねばならない。根底には同じく真剣な思考がある。文体もまた同様に驚きを要する。哲学者の理論と、藝術家の描写だ。激しい論理は、豊かな想像力によって極度に高められ、描線の並外れた活力と豪勢な色の華侈によって鮮やかになっている。ここでもまたメーストルは優れている、なぜなら創造しているからだ。伝統の中で働きながらも、その描写を伝説的で不滅のものとする独自の手法でもって、伝統を変化させる術を知っているのだ。
彼の戦争についての考え方は、確かに月並みでない。通常、この奇妙な現象は、英雄の夢想、名状し難い災禍、かつては必要だったが今やそうでない歴史的事実といったものとして理解される。最初のものは軍人の見方である。二番目は博愛主義者の見方だ。そうすると三番目は、歴史と哲学、現実と理想を両立させられる思想家の見方である。三番目も、継続的な思索によって、前者ふたつの考えを介したのちに、ようやく至る見方でしかない。若者は軍人のように考えるだろう、軍人はある部分では子どもっぽいのだ。はじめに想像力が眩むとき、覆いを捲ってみようとは思わず、動転して恐怖に囚われ、血と泥の只中へと突進し、負傷者の腹を踏み潰し、煙と音に囲まれて、当てずっぽうに剣で突き銃で撃ち、といった人間たちの荒々しいひしめきを見ようとは考えない。太鼓と喇叭を先頭に、旗を風になびかせ、将軍たちが疾駆し、誇らしげに整列する中隊、その全てが晴れやかな日の燦然たる輝きの下で展開し気焔を上げる壮麗な光景しか見ないのだ。後になって若者は考える。戦争は閲兵式とは全く違うことを理解する。軍服の後ろに病院が見える。平和を愛するようになり、よりよい市民社会を夢見る。統計を読み、多くの死者と何百万もの損失という恐るべき負債を数える。この金があれば、人間を豊かにし、都市や港や鉄道を建設し、地峡を貫き、財政を均衡させ、貧民を救済できるだろうと考える。死者の頭を集めて星のように輝かせたら、八月の夜よりも白い天穹になるだろうと思う。結論として、軍隊の狂気に対する激しい嫌悪に至る。しかし間もなく、人間の思考は最後の進展をみる、それは全てを説明し調和させるものだ。戦争という人間の一局面は、かつては有用だったが、今や消え去ろうとしている。昔は、人間を近づけ、交易の大きな流れを作り、幼年期にあった人間を戦火で鍛え、雄々しい美徳を与え、運命の特異な変転によって詩や歴史、学問、法律にさえ目覚めさせた。今日では、進歩した人類にとって有害となり、文明を妨げ、野蛮を蘇らせ、諸国を毀損し、然るべき時に止められなければヨーロッパを破滅へと導くものであるから、徐々に縮小し、溢れる光を前にした暗い悪夢のように薄れてゆき、ついに戦争は消えて、人間において戦いというのは思想の挌闘や産業の競争という形でのみ為されるようになる定めなのだ。これが、歴史としても思考としても、人間の論理的な発展である。しかしジョゼフ・ド・メーストルは、この最後の統合すら越える。もっと遠く、もっと高みへ行くのだ。超自然的なものへと真っ直ぐに昇り、戦争を神聖なものと見る。
実際、どうやって説明しているのか?摂理によってである。戦争を何に結びつけるのか?神の計画である。戦争を何と考えるのか?永遠の供犠としてである。卓越した着想だ、認めるのは難しいが、しかし荒々しい美しさが読者の感嘆を惹く。戦争は原罪そのものと同じく永遠に世界に存在し、いくら人間が絶望して手をひねり皮膚を搔き毟っても無駄であろう。どんなに頑張っても消えない紅血を濯ぐことはできまい。悪の問題には幾つもの側面がある。戦争は、その最も激しく不朽の側面のひとつである。戦争を崇めるか貶めるかは問題でない。その存在を説明することが問題なのだ、それは堕落についての教義と現世における摂理の支配によって戦争を正当化することによってのみ可能である。主は自らを万軍の神と呼んだ、この称号を名乗ったのは全く偶然でない。主は世界に死の法を確立したのだから。生の世界に入るとはすなわち、恐るべき乱戦と向き合うことなのだ。生の世界では、生ける者は皆、絶えず他の生ける者の死を食べている。草は草を枯らし、獣は獣を貪り、人間は欲求や娯楽で自分より劣った動物を殺す。この万物を餌とする全能の存在を殲滅できる者はいないのだから、自分の肉体に対する掟を完遂するのは自分なのだ。戦争が存在する。人間は人間を殺す。強者が弱者を殺戮し終えたら、強者どうしの殺戮が始まるのだ。こうして大地は露に濡れるように血に塗れ続け、永遠の祭壇の上で絶え間ない供儀によって死の法が執行されるのだ。ゆえに戦争は神聖である。戦争は、世界の法と同じく、それ自体として神聖なのだ。戦争は勃発の仕方においても神聖である、人間は見えざる手に導かれた情況によって戦争へと駆り立てられる。結果もまた神聖である、勝者は与えるも奪うも見えざる手しだいの秘密の精神的な力によって決まる。影響もまた神聖である、誰が戦場で流された血の隠れた効果を知ることができよう?今世紀の物理学の限りを尽くしても測れないであろう超自然的で不思議な受胎である。この恐るべき神知学者の思想をもっと徹底的に知りたければ、『供犠についての註釈』の戦争に関する記述に当たることとなる。この恐ろしい光景の最終的な理由を、そこで見つけるだろう。供犠だ、血に塗れた供犠だけが、至高の正義を鎮める方法であり、野蛮人でさえ人身御供として行なっており、どんな異教にも知られ、ルクレティアやウェルギニアの自己犠牲として直観的に実行され、古代人の皆が揃って予見していたものだ、エルサレムの祭壇で神人の血が流れ、全世界を浸し星々にまで及び、普遍の贖罪となる驚くべき日を待ちながら。
この最後の犠牲について、メーストルは充分に理解しているのか?イエスを称えるが、イエスを愛しているのか?キリストに「血に塗れた犠牲者」以外のもの、冷たく抽象的な、大建築の基礎に据えられた無機物だが驚くべき力を持つ石、そうした以外のものを見ているのか?絶対的な美と限りない善である神聖な姿に屈服しているのか?人間を越えた輝きの透けて見える人間の顔に平伏しているのか?神があらゆる頭と心に見えるよう示した人間の一生のあらゆる段階を生きる理想、母の腕に抱かれた子、さえない学者たちの中にあって輝く青年、永遠なる愛の精神の師、山上におり、善良で、親しみやすく、優しい、天の微笑を浮かべ、あらゆる魂に寛大で、ただ偽善者にとっては恐ろしい存在であり、誤解され、裏切られ、裁かれ、侮辱され、われわれのために十字架にかけられ、生のために死に、復活のために埋葬されたのを、知っているのか?聖ヨハネのように、神の胸に頭を埋め、心の鼓動を聴いたのか?つまるところ、メーストルはキリスト教徒なのか?
疑うことはできよう。確かに、同郷人である聖フランシスコ・サレジオと比べてみれば、政治のためにキリスト教徒であるのとイエスの本当の弟子との間には大きな隔たりを感じられよう。わたしは彼が聖フランシスコ・サレジオのようでなかったといって非難するつもりはない。ジュネーヴの司祭は、アヌシー湖の岸辺で自らの魂を打ち明け、「アストライア」の時代を通じて、愛すべきキリスト教徒たちの中で過ごしたのだろう。メーストルは、ルイ16世が断頭台で死んだ後の時代に書いたのだ。キリスト教徒になれるからなるのであり、そのありようも様々に可能である。わたしが言いたいのは、本当のキリスト教徒というのは、憤激しているときであっても、イエスの心を持っていなければならないということだ。メーストルは持っていたか?心優しき司祭はどこかで「カトリックは進んで笑うものだ」と言っていた。透徹した考察だ!メーストルも笑う、しかし同じ笑いなのか?皮肉っぽい快活さは聖人たちの喜びと何と対照的だろう!ジョゼフ・ド・メーストルの微笑はヴォルテールの微笑にあまりにも似ている。18世紀の癖を持っているのだ。惹きつけるのではなく面喰わせるだろう。高尚だが陰険な嘲笑であり、穏やかな平静さを欠くがゆえに、神の友人の善良な微笑よりも悪魔の渋面に似ているのだ。この峻厳な宗教は、福音から18世紀を経て時代錯誤にも見えるヘブライ的なところを保持している。好戦的で、全く世俗的な事柄に深く関わりすぎる。合理主義者が知りもせずに手にしている国家の道具にすぎないのだ!「もし神がいないのであれば、神を発明せねばならないだろう」とヴォルテールは言う。「もしわたしが無神論者であったら、社会の安定のため、勅令によって教皇の無謬性を宣言するだろう」とジョゼフ・ド・メーストルは言う。この類似には説得力がある。メーストルはローマ・カトリックを自認していた。ともすればカトリックよりもローマに重きがある。カトリックとは帝国であり、ヴァチカンはカンピドリオであり、教皇は宗教的専制君主なのだ。一体性を志向するあまり、カトリックは政治的権威とは別物であることを無視しすぎている。伝統の継続を志向するあまり、異教の世界とカトリックとを隔てる溝に充分な注意を払わない。さらに、厚かましくもボシュエを叱責し異端呼ばわりして、ラムネーに道を開いてやるのだ。メーストルのキリスト教信仰は空っぽの寺院である。美しい石積みで、堅牢で、よく維持されいるが、神性が全く宿っていない。愛がないからだ。ひとびとを大聖堂の入口へと導くには、建築家の気配りだけでは足りないのだ。それ以上のもの、人間的な優しさ、詩人の感情と見識が必要である。これはシャトーブリアンの役目となろう。ただ、メーストルには別の役目があった、それによってこそキリストの忠実な弟子となったのだ。というのも、キリストもまた悪人と戦い、パリサイ人の正体を暴き、はとを売る者を追い払ったのだ、何と堂々たる鞭か!
彼は戦うために生まれた。支配者のような名前〔メーストルMaistreが支配者maîtreの古形であることを言っている〕からして既に、教導的な仕事を運命づけているかのようだ。法服貴族としての教育によって、そうなったのだ。様々な情況が、ごた混ぜになって、そうさせたのだ。世界の永遠なる嵐にあって、あらゆる反動は逆向きの作用から生じ、あらゆる逆流は反対の運動から生じたのだ。流れが流れを生む。波から波が生まれる。ジョゼフ・ド・メーストルはヴォルテールに由来している。矛盾のようだが、ひとつも矛盾はない。ふたりの人間が、これほど奇妙な類似を見せたことはない。両者ともに強烈で、好戦的で、活動的で、破壊者で、自陣のために激昂し、敵への敬意などなく、あとに残る試合の印象といえば、有用性よりも華々しさ、真面目な進歩よりも多くの力技なのだ。ヴォルテールは、キリスト教や中世や伝統の強力な敵であり、逞しい知性の神であり、指導者を求めていた自由な思想家たちの王であり、あらゆる過去の物事に対する喧しい諷刺作家なのだ。メーストルは、信仰や王権や騎士道的フランスの勇敢な守護者であり、市民であれ哲学者であれ理屈っぽい小者をことごとく箆で叩く教師であり、政治的かつ宗教的な専制主義の理論家であろう。このような対比が長いこと行なわれてきた、その目に見える対立は確かに直接の繋がりがあるのだ。メーストルはヴォルテールをよく読み、メーストルの独創性はヴォルテールの理論の真逆を言おうとするところにこそあることもしばしばであった。長所も短所も、敵対するふたりを衝突させるのだ。互いに比較されていると知ったら、どちらも怒ったであろう。それでも確かに、ふたりを隔てる革命を越えて、この敵対する兄弟は手を繋いでいる。ふたりの勇壮な戦いは、ひとつの決定的な法則によって説明できる。逆のものへの引力だ。ふたりの戦いはひとつの合致なのだ。この戦いを見た後世の人々は、ふたりの勝者を同時に称えねばならない。ヴォルテールは常に攻めも守りもせねばならない人物であるし、恐るべきメーストルのほうはといえば、ヴォルテールを過度に讃美する者たちと容赦なく罵る者たちの中にあって、正しく寛容と感嘆による公平な中間点を示すからだ。
メーストルは『聖ペテルブルク夜話』を携えて18世紀に対する最後の戦いを始めた。しかしヴォルテールばかりを攻撃したのではなかった。啓蒙思想家の先駆者にさえ、最後の前哨戦を企てようとした。老ベーコンを追及するまでは、さしあたりロックと戦っていた。軽やかで衰え知らずの文才を機敏に駆使した晩年の論戦では、奥行よりも才能を目立たせる悪意ある優雅さで、そう、これまで以上にヴォルテールに似て、最も重要な問題に触れつつ、啓蒙思想家が博識でも無知でもあり、勤勉でも浅薄でもあることを指摘している。メーストルのロックに対する議論ほど刺激的なものはない。干乾びた荒野を気の赴くままに歩く、完全なる自在さがあるのだ。概念の起源について、このイギリス人に産婆術を使い、その主張から予期せぬ結果を引き出し、自己矛盾させ、ひとつの文の中で是と非を結合させていることを示す。形而上学的理論が、軽やかな手つきによって生気を帯びる。その推論は情景的であり、論証は機智の表われである。あるときは死刑に居合わせた犬の立場になって、この特殊な殺戮について犬の抱く奇妙な考えを分析する。あるときは、雌鶏が雲の中に鷹を見つけ、動転し狼狽し、かつてない叫びを上げると、孵ったばかりの雛たちが震えて駆け寄り、母鳥の翼に転がり込むという例を挙げて、先天的概念を立証する。人間が無意識のうちに動物の原理を持っていることを分からせたいのか?動物が、人間と同じように星々や草木や人間の行動を見ても、天文学も植物学も法学も作り出さないのは何故なのか、そう問うているだけなのか?こうした理屈の全てが決定的というわけではないだろう。だが、それらは見事であり、この精彩に富む作家が社交家じみた振舞の下に何らかの哲学を隠していることは、言っておかねばならない。
ベーコンに対する論戦は、さらに輝いている。ベーコン!啓蒙主義者たちの崇拝の的であり、18世紀の父であり、国民公会の命令によって共和国の予算で著作が翻訳されたのだ、「理性の進歩を早めるために」!この過大評価がメーストルを苛立たせた。不当な輝きを急いで消さねばならないと考えた。かの有名な『ベーコン哲学論』で、この哲学者の体系をあれほど手厳しく破壊したのは、そのためなのだ。ベーコンは人間に新しい学問の道具を与えようとした。しかしベーコン以前の賢者たちはベーコンよりも進んでいたのだ。ベーコンは気象計のように好天を告げた、それでベーコンが好天をもたらしたと思われた。新しい器官を作ろうと考えた、新しい脚をつけるよう提案するのと同じことだ。歩行を助ける強力な方法だ!三段論法を帰納法に置き換えたかのように思われた、残念ながら帰納法とは簡略化した三段論法に他ならない。こうした方法は全て形而上学でしかない、天才には必要ないものだ。ラシーヌは、確かに言語を知悉していたが、優れた類義語辞典を作れたわけではない。17世紀に『法の精神』は書かれなかったが、もっと優れたもの、つまり素晴らしい法が作られた。このように残酷で辛辣で容赦ない批判が続く。ついに哀れな大法官の像は粉砕され、地に落ち、かつて高い台座に上げられていただけにいっそう低く落ちたかのように見えた。まったくそうではない。デカルトに感嘆されライプニッツに才能を引き継いだ偉人が、そのように失墜することはなかったからだ。しかしメーストルは痕跡を残した。桁外れの名声に挑んだのだ。一瞬、メーストルがベーコンを打ち倒したと信じられた。メーストルは、ベーコンを等身大に縮めただけである。ベーコンはもはや大胆な創始者ではなく、新たな学問の父だが後継者はいないのだ。それでも優れた知性の持ち主であるには変わりなく、とても豊かな想像力に恵まれ、その金言は哲学の宝物庫の中で、不朽の刻印をされたメダルのように、永遠に輝くだろう。

V
これが、最後の応酬の結末である。君主政の騎士、カトリックの闘士、帯刀の哲学者は、壮大な冒険を終わりにした。こうして導かれた形而上学の高みから、いまや見事な戦いの全体を観察できる。はじめは脈絡のない局地戦、通俗的な論戦、自陣の山で待ち伏せする散開兵の小手調べである。次いで、この熱烈な物書きは突然、自身の力に気づく。より広範な作戦を試み、大軍を動かす。そこから、君主政、カトリック、信仰のための三つの戦闘がある。最初の戦闘では、政治の領域に身を置き、王を擁護する。二番目の戦闘では、宗教の領域に移り、教皇のために戦う。三番目の戦闘では、形而上学の領域にまで昇り、神のために戦う。政治思想から宗教的姿勢、そして最後に哲学の砦において、絶えず18世紀を攻撃し、先人たちをも挑発し、特異な戦いを仕掛け、そして論争家としての生涯を終えた。
しかし、そうした戦いの全てにおいて、メーストルは奇妙な対比に満ちており、常に敵から武器や戦略や戦術を借り、でたらめに突き、無軌道な乱戦で何度も味方を撃った。攻撃を始めるごとに、命題には命題を、皮肉には皮肉を、見事に対置するのだろう。政治の領域において、革命は正義の爆発のように見える。それをメーストルは奇跡的な罰とする。社会は権利を持った市民による明確かつ単純な集団のように見える。それをメーストルは馴致を求める人間の本能による漠然とした集まりと見る。団結も過去もない新たな共和国を嗤い、旧来のフランスの一体性と持続性を称揚する。宗教の領域で、18世紀は懐疑論に対する安易な黙認を基にした都市を構想した。メーストルは知性の殿堂に力を導き入れ、実際の制度の中に教理を閉じ込めた。そして、理性の女神が戴冠している形而上学の領域の真ん中に、最も荒々しい形で信仰を据え、陰鬱な態度で、原罪という教義を即位させた。偉大なる嘲笑家ヴォルテールを容赦なく笑い飛ばし、尊大な理論家ロックを軽蔑し、悪意たっぷりに修道士ベーコンを哲学者ベーコンに対置した。しかし同時に、自分が攻撃している啓蒙思想家たちの精神を持ってもいたのだ。その軽薄さ、激しさ、機転と敬意の欠如を共有していた。歴史観や批評能力や実践感覚の不足も共有していた。断定的で、理屈家で、本人は嫌がるだろうが、誰にも増して観念学者であった。宗教を擁護するのはただ政治的理由のためであり、キリスト教崇拝を勧めるも愛はなく、要するに、かつて実生活で社会的統制を担う行政官であったのを、思想において務めているようなものなのだ。この研究の冒頭で、この天才は対比の化身であるとわたしが述べたのは、尤もではないか?
この思想家の著作の中には対比がある。この思想家と人柄の間にも対比がある。ローマの年配元老院議員たちは、議会や街頭では厳粛だが、公人としての一日を終えて夕方自宅に帰ると、礼儀を全て脱ぎ捨て、夕食後にはさくらんぼの種を天井に向かって飛ばして遊んでいた、という話がある。実際、この峻厳な絶対主義者は、家を訪ねてみると、この上なく優しい父親になっているのだ。熱烈な神権主義者が、かなりの異端者を友人に持っている。悪を預言する者が、温かく多感な心の持ち主である。手紙が公刊されたとき、そうしたことが確かに伺えたのだ。棘のある茂みの下で不意に見つけた一叢の桜草である、甘美な発見に批評家たちは嘆声を漏らした。考え違いをしていたのだろう、学説が生みの親に似ていることは稀なのだから。違っていても仕方ないことなのだ!ただメーストルの場合、対立が実に顕著である。幾多の恐ろしい姿、専制君主や死刑執行人や宗教裁判官といった、人間を苦しめる嘆かわしい者の全てが並んだ輝かしくも陰鬱な行列の連なりを見せられ、それらに枢機卿のごとく壮麗な紫色の服を着せて描く荒々しい力量に感嘆させられたあとで、突然、悪魔のような藝術家の目に浮かぶ涙に驚き、ダンテのような幻視者のうちに「何だか分からぬ涙させるもの〔nescio quid flebile〕」を発見する、何という驚きと喜びか!
ルクセンブルク美術館で『カイン一族の逃亡』というコルモンの陰鬱な絵を見たことがあるだろう。青白く容赦ない空の下、果てしなく広がって見える黄色い荒涼たる大地の上で、後ろに一族の皆を引き連れて、老いた殺人者が逃げている、この呪われた一団の懸命な行進ほど悲惨なものはない、天の報復に激しく追い立てられ、身を苛む罪とつきまとう罰の恐ろしさに打ちひしがれているのだ。しかしすぐさま、神に追われた一族の不吉な道程、恐怖に駆られて絶望に顔を伏せる孤絶した者たちの中に、神の恩寵を受ける一群を見出せるだろう、カインの息子のひとりが若い妻を抱えて優しく見つめ、苦悶の絵画のうちに、若さと愛の爽やかな光景をもたらしている。論理的な裁き手であるジョゼフ・ド・メーストルが、原罪で落ちぶれた人間性を鞭打ち、彷徨わせ、天から贖罪を迫られて惨めにさせるのも、それと同じである。しかし、この破滅への道は、恩寵に満ちた出来事を隠し持っている。恐ろしい描写は、悲しみも哀れみも忘れてはいない。休息の時があり、哀れなる人間に同情を注ぎ、人間の苦しみに微笑みかけるのだ。
根底には、物質的あるいは精神的な自然の、永遠の歴史がある。メーストルを生んだサヴォワという美しい国では、至るところ対立が表われている。山には塒が、断崖には温かい洞が、深淵には心地よい宿がある。アルプスの高峰は優しく花や鳥を迎え入れる。安全な峡間や苔生した窪地があるのだ。氷河を登り、巨岩を攀じり、あるとき急に天からの命令で固まった広漠たる海に迷う。不意に、その未開の地、「氷の海〔メール・ド・グラース氷河〕」の只中で、温かく心地よい天国に行き当たるのだ、そこでは香りたつ芝生に瑞々しく芳しい花が咲き、通りかかった者が休憩し、蜜蜂が蜜を集め、全てが四月の花束ひとつになって、自然の猛威に囲まれながら、仲睦まじく寄り添っている。メーストルもまた自分の庭を持っている。
ここでは評価ではなく引用をせねばならない。体系は分析できるが、魅力を解剖してはならない。幾つもの生きた物事が行なわれ、機智が飛躍し、心が歌い、涙が光り、魂の八雲が漂い、感情と思考の軽やかな筋が翻り、おかしな事件が去来して人生の悲しみに混ざり合い、若い娘たちが命を落とし、小犬のビリビが猿のように跳ね回る、この甘美な手紙の中から、わたしは3つか4つの箇所だけ挙げる。彼は娘に「いとしの娘よ、女性にとって最も愚かなことは、男のようにあろうとすることです。……女性の裁縫を物質的な有用性から考えてはなりません、そんなものは何でもないのです。裁縫は、お前が女性であり、そうあり続けていることの証なのです。裁縫という仕事には、とても繊細で清純な魅力があります。お前が熱心に裁縫しているのを見た者は「この若いお嬢さんがクロプシュトックを読むなんて信じられるか!」と言い、クロプシュトックを読んでいるところを見た者は「このお嬢さんがうまく裁縫できるなんて信じられるか!」と言うでしょう。ですから、娘よ、気前のよいお母さんに頼んで、かわいい糸巻きを買ってもらいなさい。指先を優しく濡らし、そして、ブルルル!……どうなったかわたしに言ってくれるでしょう」と書き送っている。息子の妻には「さようなら、わたしの愛する立派な子どもたち、もう離れ離れではおれません。この老いた腕と若い心で、お前たちを抱いているのです」と書く。親しい夫人には「花盛りのうちに散った若者は、とても恐ろしいことを経験したのです。不当な仕打ちだと言われるでしょう。ああ!ひどい世界だ!わたしはいつも、もし皆が共通の感覚を持っていたら、こうはならないだろうと言ってきました。25年ずつの生涯が皆に分配され、あなたが26歳を迎えたとしたらそれは誰かが24歳で亡くなった証なのだというふうに考えてみたら、確かに各々が身を屈め、せいぜい服を着ようと思うだけでしょう。あらゆるものを動かしているのは、われわれの狂気なのです。ある者は結婚し、ある者は家を建てますが、子どもが生まれないだろうとか、その家に住むことはないだろうとかいったことは、少しも考えないのです。にもかかわらず、何もかもが進んでゆく、それで充分なのです」と書く。友人には「去ってしまった、行ってしまった、一日に7里か8里も進みながら!ああ!親愛なる伯爵よ、わたしには言い表わす術がありません。かわいそうな母親は、起こっていることに対して一言も発せられないのです、そしてわたしは、ここでただひとり、妻も子もなく、友人もいない、少なくとも一緒に泣けるような友人はいません。苦薬を飲み干し、苦杯を握りしめねばなりません。わたしは生きていない。息子の出征していない戦争とはどんなものか知っている者などいないのです」と書く。誰がこのように喋るだろう?全ての手紙に鼓動している雄弁な心は何だろう?誰がこれほど楽しく娘とおどけるだろう?これが重々しい宗教裁判官なのか?誰がこれほど「ひどい世界」の苦しみに心動かされ憐憫の情を抱いているだろう?これが悪を論じる苛烈な学者なのか?誰がこれほど戦争を呪っているだろう?これが戦争の唱道者なのか?荘厳な作家としてのジョゼフ・ド・メーストルと部屋着をまとった一家団欒の中のメーストル伯爵、何と相反していることか!激しい主張と優しい性格、驚くべき著作と愛すべき手紙、何という対比だろう!

VI
これは猫かぶり、公人の偽りの見せかけ、わざと作りこまれた誇張なのか?少なからぬ批評家はそう言ってきたが、間違いであった。そうした背馳は全て、メーストルが物書きであったことをすっかり忘れるのでなければ誰でも、ごく単純な方法で説明できる。文体、これこそが元凶である。藝術への愛によって、文章や絵画や階調について、何か語れないだろうか?美は確かに真実性を持つ、とくに拡張された真実性のみを持つ場合は。ジョゼフ・ド・メーストルの麗しい書物は、その特徴の極地にある。誇張法、並外れた主張、激しい情念の昂揚は、鋭い霊感と豊かな理性の賜物に他ならない。注意を惹くこと、これが目的である。直観的に言葉づかいを過剰にし、概念を誇張し、読者に刺さる表現を尖らせ、上手い文句や目立つ強調、容赦ない皮肉、矛盾、極彩色、視線を惹きつけ留めさせられるもの全てをふんだんに使うのは、そのためなのだ。純粋な真実性にこだわる者は、物事がそこにあるのであれば、あるがままの場所におく。藝術家たるメーストルは、穏当で節度ある限られた文体、心象という雑草を駆除し、熱狂という鬱然繁茂を刈り取り、霊感という高く出しゃばった枝を取り除いた文体が理想であるとは、全く考えない。彼の修辞法は、もっと荒々しく、もっと真実なのだ。燃え盛る大胆な想像力、これが生来の気質なのだ。それをさらに征服欲が刺激し鼓舞している。それゆえ、どのページにも修辞の火照った発作が見られるのだ。技巧が増すほど弁舌も増す。より情熱的に、切迫して、ぬるい表現には耐えられなくなる。物事に内なる炎を投影してゆく。そのことを示すには死刑執行人の描写だけで充分だ。初期作においてメーストルは、列挙の過程で行きがかりにこの人物の名を挙げていた。死刑執行人は、軽業師や密告者や宦官と並んで、徴税人と喜劇役者の間に置かれていた。のちに、よく知られた見事な一節として、死刑執行人の新たな描写が為されたが、今度は全く別のところに立っている。趣味が悪くなったのか?修辞練習なのか?むしろ雄弁な、自発的な進歩であり、日々もっと自由に咲き、持てる美の全てを磨くような思想の自然な開花ではないか?
しかし臆病者は怯えるだろう。からかい、辛辣さ、偉大な嘲笑家の行き過ぎに不安を覚えるのだ。皮肉を極端に使っては、おそらく誰かを傷つけるだろう!……何を怖れているのか?こうした筆致は、豪華な、盛装の、礼儀正しい、探究された、愛によって整えられた武器であって、最も豊富な素材と最も完璧な加工であるだけにいっそう危険でないということが分からないのか?今後それを用いる者が現われることはないだろう。ジョゼフ・ド・メーストルは何も人間を叩いたり焼いたりしたいのではない。敵を挑発し嘲弄して、考えさせることができれば充分なのだ。敵は「親愛なる敵」である。彼の信仰は敵を苦しめるが、心は敵を愛している。彼の書くものは怒りに満ち、峻厳な美しさに目も眩む。しかし私生活では、何と甘く穏やかで優しい厚情か!これが、自著では慈愛を説きながら実人生では利己的な他の大多数とは違うところだ。メーストルを分析すると、際立つ三つの層が見つけられる。基底にあるのは、心優しい人間の層である。その上に、峻厳な思想家の層がある。表面には、辛辣な作家の層がある。思想家は論理的であるが故に人間よりも恐ろしい。しかし作家は藝術家であるが故に思想家よりもさらに残酷である。
ジョゼフ・ド・メーストルには天賦の文才がある。得難い特権、しかし何と危険であるか!文体は魂に直接的な表現を与える神聖な道具だからだ。あいにく文体は一瞬のうちに千もの感情と無限の揺動を集めねばならない。それらを優れた共鳴器のように凝縮し、思考が少しでも熱を帯びていたら、それを大音量にして響かせるのだ。桁外れの響きが美しいか醜いかは場合による。修辞練習の醜さか、雄弁術の美しさだ。ジョゼフ・ド・メーストルは雄弁である。どうして?天性の叙情詩人だからだ。叙情性!彼の作家としての才能の本質を説明しようとしたとき、ついに口をついて出るのが、この言葉である。思考の激しさ、世界観の荒々しさ、外界の衝撃に揺り動かされた精神の響き、熱烈な論理、俊敏な想像力、流暢な言葉運び、預言者の昂揚と罵詈雑言、侮辱と礼讃、思想を膨らませ雲雀のように垂直な軌跡で見事に真っすぐ高みへと昇らせる熱い頭脳、これらは全て叙情性であり、ジョゼフ・ド・メーストルは抒情詩人なのだ。雄弁な文体に通暁した叙情的な魂、これが彼の天才の秘訣である。

それはまた、清冽と気品において、実にフランスらしい天才ではないか?フランスは多感な高潔さと美しい文体の国、騎士と雄弁家に敬愛される永遠の祖国ではないか?メーストルはそのことをよく分かっていた。既に述べたことだが、あえて再び強調しよう。メーストルは、カトリックの娘、つまりキリスト教徒であるか否かにかかわらず全ての誠実善良な者に対して世界で最も強い精神的な力を持っているフランスの使命を理解していた。さらに、もっと際どい真実、革命に苦しめられた者にとっては余計に捉え難い真実も、おぼろげながら感じ取っていた、まだ日が浅いため革命に対して総合的な評価を下せず、また新体制を近くから見て熟知しているからといって旧体制を遠くから見て感服するわけでもないであろうのに。錯乱した高貴なフランスが、かつてなく最もカトリックの娘となったのは、革命の母となっていた時期であることを、見抜いていた。百合の花が散っても偉大な国は残ると思って、受け入れたのだ。
また、メーストルはフランス語を愛していた。いとしいフランス語、何と透明な、響きのよい、書くのも話すのも甘美であることか!何と心地よく魅力的な、人間の技藝の最も美しい表現として真に称えるべきものであるか!理論が散々に難破している中で美しさを取り戻そうとする哀れな懐疑論者の慰めである。フランス語を探求する者は現世にありながら堂々と輝く理想を見つけて救われるということを、懐疑論者たちもよく知っているからだ。フランス語は、力強い信仰者たちの手の中で、闇を払い、あまねく地上から夜を去らせ、諸国を目覚めさせるために絶えず刃を輝かせる光の剣となる。藝術家にとっての宗教であり、物書きにとっての武器であり、力を持つ完全性であり、揺れ動く夢であり、つまるところの恩恵として、使徒たちに未来への扉を開く女神である。われわれの時代にあって、著作を生むのは思想であるにしても、それを死から守るのはただ文体のみであるからだ。これがわれわれの言語である。メーストルは立派にフランス語を話し、ゆえに生き続けるだろう。このアカデミー・フランセーズが、かつては彼を会員として迎えられなかったが、今日では研究と称讃を捧げられるようになったのも、そのためである。
わたしはこの試論をサヴォワの地で終える、今ではジョゼフ・ド・メーストルの愛するフランスの領土となっており、親しみを抱かせる表情の最後の輪郭をなぞるとき、わたしは感動を覚える。わたしは、この恐るべき戦士の根底には、本当に勇敢な人柄、豊かな心、自由で聡明な者ならば誰ひとり称讃せざるをえないであろう卓越した知性があると思う。わたしは親愛と尊敬をもって、その厳しくも優しい高貴な姿、長いこと記憶されてほしい姿を眺める。そう、批評家の不安など忘れて、惜しみない率直な称讃を送られるがままにしよう。申し分ない天賦の才、摂理による世界での使命、そして何より、貴重で崇高な、この世で最も美しい言葉を持つ、この偉大な名士、われらが祖国の信徒を正しく評価しよう。ジョゼフ・ド・メーストルを愛そう、メーストルはフランスを理解しフランス文学の誉れとなったのだから。

(訳:加藤一輝)

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