山田菊『八景』第一部「宮島」

(凡例はマガジンのページをご覧ください)

神殿の島

霧のなか聖なる島に船が着く。艶の出た桟橋に立つと、わが国の盆石作家が漆の上に羽根ペンで描いたような起伏ある見事な風景のひとつだと、さっそく言いだす者がいた。

わたしはというと、太陽神の弟である荒神スサノオの3人の娘〔宗像三女神〕の住まうところをお参りする。大きな鳥居、つまり木の門があり、先端が水に浸っているこの都市の、まさしく玄関となっている。

神殿は満潮に呑まれ、沈んでゆく。木々に覆われた山々が青空に聳え、くっきりと姿を見せると、沐浴していた貞淑な娘たちは姿を消すという。

今晩は山々に風が戻ってくる
〔原句不明〕

ゆらめく水鏡の上に高床式の屋敷が建っている。漂う都がもうひとつ、長い木の廻廊に沿って、さかさまに揺れている。ふたつの都市の間には、不思議な調和、対照がある。互いに離れられず、いつも別れを躊躇っている。

エンジンも汽笛もない静かな船のごとく、宮島は一組の対称な屋根を乗せている。包みこむように走る縁側の形はギリシャ風だ。恋多き源氏の君の家紋〔源氏香紋のこと〕を思い起こさせる。けれども軒下には無数の釣灯篭が青銅の雨よけをまとっている。祭りの晩には、釣灯篭が空一面を海に落とす。そのとき、星々が水の中で膨らんで光る海綿となるのだと、信じられるだろうか?

社の周りでは神使の鹿が泳いでいる、この島の海兵隊員だ。

お前は宮島では死なないのだろう。

生まれもしないだろう。

生死という不浄を迎えるときは、海峡を越えるのだ。

波が引いてゆく。満足して去ってゆく愛撫のようだ。あるいは神が入江の底へと織物を巻きとってゆくようだ。そして鳥居が、浮草のような、貝にたかられた姿を見せる。大量の干からびたフジツボが現われる、もぬけの殻の象徴だ。空と海と大地の3つを結ぶ懸橋であり、いつか国を成し街の土台となる泥土の噴出だ。梯形の上に揺れるのは、あらゆる向きからの透視図法による見えない線だけだ。この単純明快な幾何学こそ日本の第一命題なのだ。

その先に、閉じた二枚貝の殻がこびりついた泥だらけの脚柱に乗って、社が建っている。潮の匂いが香の薫りを押し返し、神殿の奥まで漂ってくる。

裸足の巡礼者たちが鳥居をくぐり、貫木の下で身を屈める。道中の食料にと海の幸を摘まむ。後ろに残した足跡はまだ揺れている。女たちの屈んだ背中には赤い襷がかかり、袖をまくっている。ふと皆が身を起こす。銅鑼が鳴り、潮が満ちてくる。

急に取り残された何匹かの鹿が、小島で眠りだす。戻ってきた散策客たちの手に群がる鹿もいる。掌に残った獣臭さは、冷たい海の匂いでは落とせないほどだ。さてわたしはというと、うやうやしく手水舎の竹の柄杓を手に取る。水で手を清めたら、木の床を滑るように歩む白衣の神官と、長い髪を後ろに垂らし醜女の顔に化粧した聖なる踊り子たちが社務所に来るのを、心置きなく眺めることができる。

訪れたのは祭日だった。平家源氏という対立する氏族の、いにしえの合戦を記念する日だ。12世紀に平清盛が、前世紀に焼け落ちた水上の神殿を再建したのではなかったか?海の上で激しく戦い、海に沈んだ武士たちの苦しみは大変なもので、蟹の甲羅には溺れた者の顔が刻まれている。

平家蟹よ、お前の苦悶に満ちた顔は、あまりに素早くジグザグに砂浜を動くから、わたしが足で皺をほぐしてやることもできない!

20世紀に、平和な島で、合戦の記憶が甦り、浄められる。

吹きさらしの中、熟れた果実のように漲った穏やかな水面に、3組の踊り手が、胴着を覆う裳裾を引きずりながら舞台に上がる。そのときわたしは、よく絹のような羽を鞘翅の下にしまい忘れる堅牢な黄金虫のことを思った。

わたしはゆったりと先祖の過去に思いを馳せる。荘厳な踊りを妨げるものは何もない。舞台に乗って、水の上で、武士が宙に舞う。すぐさま遠くの岸辺から楽太鼓が聞こえてくる。その瞬間、構成要素が寄り集まって作り出す律動を受け取る。

楽隊が跪き、いにしえの笛を吹く。兜が鹿の長鳴きにも似た悲痛な音を立てる。赤鯛の鰓のようなずしりとした錣が首を守っている。曲はあちこちを漂い、風と水と土の精を求める。壇上で舞を躍らせることで、ようやく鎮まる。

長い旗竿のような槍が交叉する。そして険しい武士たちは裳裾を引きずりながら退場する。

海へ帰ったのだ。

儀式を見届けるまで宮島を離れまい。丘の上で、今わたしは水中を港の埠頭のように鳥居へと伸びる神殿の上に身を乗り出している、その丘には秀吉の建てた楠造りの千畳敷があるのだ。

柱は不思議な鱗模様に埋もれている。森の木の幹に生える、いわゆる「牛の舌」茸〔カンゾウタケ〕だろうか?

いや、それは木の箆、大和の米をよそうための匙だ、幸せを強く希う願掛けとして重ね貼りされているのだ。

勝ち取ろう、「召捕ろう」、と16世紀に秀吉の兵たちは言っていた。飯をよそおう、「飯取ろう」、と今の日本人は掛詞で言う。

(訳:加藤一輝/近藤 梓)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?