見出し画像

誰かのための都合の良い人生。

 先日、訪問したある場所で知り合いと話をしている中で、
とある方がそれぞれの亡くなった理由を伺いました。

 その方はご高齢のお母さまとお子さんだったのですが、
お子さん(といっても自分よりもとても年上)が亡くなった理由を伺い、
正直ショックでした。
「苦しかっただろうな…もっとできることあったんじゃないかな…」と。しかし、知り合いの一言に絶句。

「でもね、よかったと思う。」
知り合いの発言の意図は、"最大のサポートをしていたお母さまが亡くなって、きちんと見守る人が近くにいなかったから。"という事でした。

 それって、言葉は悪いけれど、「都合の良い事故死」という風に自分は捉えてしまいました。予兆があったならば、関係者としてご本人の状態に合った社会支援の模索や利用、支援の方法があったのではないかと思います。

 障がいを持つお子さんのために今の社会資源や制度を国に訴えかけたり、
作り上げてこられた親御さんは70歳を超えている方が多くいらっしゃいます。
同時にお子さんも40代に入り、心身の変化や急な衰えも見られてくる年齢に差し掛かっています。もちろん、もっと若い親御さんがお子さんを最低限の資源を利用しながら、心身を削りながらサポートしておられる方もたくさんいらっしゃいます。資源の支援者は当事者の方はもちろんのこと、親御さんやご兄弟。ご家族が少しでも息抜きできるような時間や場所の提案をすることも大切な役割だと思います。

 確かに、生活の基盤をガラリと変えるようなグループホームは全国的にも足りていない上にどの事業も支援者不足という現実もあります。

(法人や運営母体にもよると思いますが、"やりたいこと"や"やるべきこと"は、
たくさんあるけれど…賃金安すぎじゃああああああああああああああ…!!!!!!!!!!!

 とりあえず、そのことを思い出しては「もやり」を抱えています。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?