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ロバート・キャンベルさん曰く日本の人はもっと歴史を学ぶべき      「アジア近現代史「世界史の誕生」以後の800年 岩崎郁夫著 中公新書」を読む

  反論できない。2年間マレーシアで仕事をする機会を得た。赴任して間もなくシンガポールのチャンネル・ニュース・アジア(CNA)というテレビ局が「侵略に備えよ」という趣旨の啓蒙番組を流しており、日本軍の残虐行為がしっかり映し出されていた。「やられた方は忘れない」という言葉を思い出した。シンガポールにもマレーシアにも戦争の傷跡がしっかり残っている。

「東南アジアの人々はヨーロッパの支配から解放してくれた日本に感謝している」という話があるが歴史は正しく読みたい。アジア近現代史(岩崎郁夫著)に次のような記述がある。

日本がロシアを破った時、アジアの人々は喜んだ。
私はいまでも、日本の勝利のニュースが伝えられるたびに味わった、あの時の感激をまざまざと思い出す。(ネルー『父が子に語る世界歴史』第四巻 七四~七五頁)

アジア近現代史「世界史の誕生」以後の800年 岩崎郁夫著 中公新書 123頁

アジアで唯一、欧米諸国に匹敵する経済・軍事大国となった日本は植民地支配に苦しむアジア各地の民族主義者を惹きつけ、彼らは日本がアジア解放の先頭に立つことを期待したが、それを裏切って軍事進出の道を進んでいったのである。

アジア近現代史「世界史の誕生」以後の800年 岩崎郁夫著 中公新書 125頁

 最初アジアの人々が日本に期待したのは事実だが、日本は裏切った。歴史書(インチキじゃない限り)をしっかり最後まで読めばストーリーがわかる。これを自虐史観と呼ぶのだろうか。

 東南アジアの人々が本当に日本軍に感謝しているかどうか現地の情報を見てみよう。ペナンの情報サイトPenang Wikiaが、第2次大戦中の日本軍占領について次のように伝えている。(原文は英語、DeepL翻訳によって和訳)

さらに、第二次世界大戦の初期、大日本帝国は大東亜共栄圏という構想を掲げていた。大東亜共栄圏は、占領したばかりのアジアの人々の協力と服従を得ることを目的とし、東アジアとオセアニア地域全体が日本国天皇の下で文化的、経済的に一体化することを信条とするものであった。
一方、日本軍が現地の人々の支持を得るつもりがないことは、占領開始当初から明らかであった。日本帝国と中華民国の戦争が続いていたため、特に中華民族は殲滅の対象であった。憲兵隊は昭南島とマレーで粛清作戦を展開し、数千人の中国人を虐殺することで中国人に恐怖心を植え付けた。

Japanese Occupation of Penang https://penang.fandom.com/wiki/Japanese_Occupation_of_Penang

歴史家のポール・クラトスカ氏は言う。
「占領期間中に悪影響を及ぼした最初の野蛮な抑圧の後、(日本の)統治は共同体組織と戦前の行政機構を通じて行われた。日本人自身は、禁欲的な人物として記憶されているが、歴史的な記録からは、やや無能で、特定の場合には自分の意志を押し付けることができたが、その力を有効に使うことができるほど、この国のことを理解しておらず、尊敬を集めてもいないことが浮かび上がってくる。

Japanese Occupation of Penang https://penang.fandom.com/wiki/Japanese_Occupation_of_Penang

東南アジアの若者には日本語を理解する人が少なからずいる。日本の若者が「日本はアジアの植民地を解放した」とネットに書き込み、それを見つけたインドネシアの若者が抗議している場面に出くわした。鼻から勝負になってない。日本人は知識も根拠もなく書き込んでいるわけだから当然そうなる。しっかり歴史を教えてないからだ。見ていて恥ずかしかった。

Penang Wikiaには当時の出来事が現地ならではの詳細さで記述されている。今は翻訳サイトが高精度で訳してくれるので読むのに苦労はしない。ぜひ、現地の人の考えに触れてほしい。

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