『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』飲茶

・一冊の中で一番好きだった一文 『物事というのは、『ガンダムでたとえる』以外にも理解の仕方があるということだね、それはつまり、ガンダムでたとえると……ーーということだよね』

・一番笑った文 『なぜ禅の師匠たちは、「喝」と大きな声で叫ぶのだろうか。』

感想 → この著者と一緒に酒を飲んだら楽しそう。

何の前提知識もない初心者向けの本、ということで一冊目に上げて頂いた本でした。「高校生くらい向け」とのお言葉の通り、難解な内容を平易な言葉で面白く読ませてくれました、著者の言語能力<人間力の高さを感じました…。

(信仰上の理由により、あらすじ解説は書きません)

西洋哲学書を読んだ時に感じる、(ああー…書いてる人が病んでる感を通り越して、言語が病んでいる…)という気持ち悪さの理由が分かった気がしました。

『悟りというのは思考の先に得るものではない』という大前提については、 当時統合失調症だった元友人を思い出しました。(現在は絶縁)

→ 私が●●生の頃に友人として付き合ってくださっていた、度々発作を起こしては救急搬送されていた女性です。その方とその方の彼氏と三人で、原宿のドトールだかどっかで発作について伺った時、「あの時は、宇宙の全てがわかった気がした。今思うと笑っちゃうんだけど、本当にあの時は、『理解した』って思ったし、実際に理解してた」と笑っていらっしゃった。彼氏も同じ経験がある方で「うん、理解しちゃうんだよね」との相槌で、お二人の共通の良い笑い話のようでした。(成人した今思えば、インターネット経由で●●生のわたしと知り合って会う気になったあの中年カップル、ちょっとどうかと思います)→ どうかと思うのはともかく、印象深い会話が多くて今でもたまに思い出しています。多感な時期だったので、や
や影響も受けた気がする。当時はブタに似てるとか言ってすみませんでした。(ないと思いますが、このエピソードに思い当たる節があるご本人がこれを読まれた際はコメントください。言いたいことがあります)

悟りの状態、そもそもが何かの症状ではないのでしょうか?安全面には不安がないのでしょうか → 悟りも「超理解」もわたしは未経験なので考えてもわかりませんでした。正直な話、ちょっと羨ましい気持ちもあります。知らない世界を知ることは楽しいので、全部を理解したら楽しいと思います。元友人のカップルに「楽しかったですか?」と聞かなかったのを悔やんでいます。でも病状の話って触れて良いのかよくわからない。同様の経験がある方がもしいたら、ぜひ絶対お話ししたいのでコメントまでください…。

『西洋哲学では「論理」を基盤にする。ゆえに他人との理解の共有が可能』 という一文について→ 論理ってそんなに信用できる…?

→日本語の「青」という言葉を見て、わたしが想像する青みと他の方が想像する青みにはズレがあると思っています。殆どの単語について(概念や観念の話であればあるほど)そのズレは大きくなると思う。その中で言語を使用して私たちは意思を疎通する。→ 私が水色の話をしている時に、友人は藍色の話をしていて、お互い気づいていないまま会話が進行する恐怖。こんなものを基盤にできるなんて恐ろしくないのでしょうか。わからない、言語は怖い、みんなで人間をやめよう。

禅問答の話題が出た際に「あっ内容が、言語が病んできた!焦る!」と思わされたものの、すぐに意味不明な着地をしていてよかったです。意味を捨てて行こうという気概が特にいいです。

余談ですが先日ネットで瞑想・やり方をググってインスタントに試してみたのですが「雑念=思考を意図して遮断すること」これが案外苦痛で短時間で挫折しました。何故私の脳はこの行為(というか状態)にストレスを感じるのでしょうか?と思った。わからない。でも悟りの常態がこれだったら、これにストレスを感じないことだったら、ちょっとその人の精神構造が面白いように変わっていませんでしょうか…。私は悟っていないのでわかりませんでした。残念です。

『言葉で境界を引くことが世界を形作る。境界を引かなければ、世界はひとつ。机と机の上のリンゴは、名付けて認識さえしなければ境目なく一つ!全は一!一は全!みたいな話(雑意訳)』について → これもわからない。私が今からリンゴを一つ右手に、ペンを一本左手に持つとする。仮に私が言葉を一切持っていなくても、リンゴとペンの境界を引かずに「ふたつは地続きの世界!二つは全の一部!リンゴとペンは同じ!すべては同じ!」にはならないと思う。(本文中の例え話から本質に飛躍する説明の過程で、私が読み取り間違えたのかもしれないです。)視覚と触覚を失えばワンチャン同一視あるかもしれない?これも理解ができずに残念に思いました。

悟ったらいいことあるよ、というお題目について→ この本を読んだ限りの理解では、自分は悟りを目指したいと思いませんでした。主観的な情動を含む認識を欠くのには勿体なさを感じます。楽しくなさそう。(悟りたい人は何故悟りたいんでしょうか?謎です)

ところで、新しい知識を得ると世界の解像度が上がります。他言語を扱う人の見ているものが知りたくて、他人の物の解釈を知るのが楽しくて、一時期雑多に語学を齧っては飽きたりを繰り返していたのですが、この本は「他人の解釈を知る」ことの楽しみを、感覚として思い出させてくれて結構自分で驚きました。この感覚長らく忘れていて、再会して存在を思い出した感じです。読書時間、個人的な話になりますがすごくいい経験でした。

長くなってしまった…全文読んでくださった方がもしいたら、貴重なお時間をありがとうございました。次は千文字くらいにします。ご紹介くださったT様ありがとうございました。

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