「temperance」

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「ユズルさん、夕飯が出来たよ」

手元の携帯端末に親からの連絡が届く。自室で寝ていた僕は連絡を受け取りつつ、画面をスクロールさせ回答を行う。

「親:響子の夕飯への同席を許可しますか?:」

「親:正樹の夕飯への同席を許可しますか?:」

今日はどちらもYESにした。断る理由が無いからだ。自室から出て、食卓へと向かう。共用廊下は無機質で、白塗りの壁と温もりという役割のみを与えられた、木目を模したフローリング、をさらに模した再生資材によるパネルによって構成されている。個人の荷物は極力置かない決まりとなっている。私邸といえども共用空間は公の影響下にあるからだ。

食卓へと入る。程なくして僕と、僕の両親という間柄の二人が着席した。夕飯が並んでいる。カキフライと赤だしの味噌汁、小鉢のきんぴらごぼう、生野菜のサラダだ。調理は規定通り行われる。一週間の献立を入力すれば国から基本レシピと食材が配布され、それらを献立にそって調理する。あまりに下手だったりすると国から指導が入るが、僕の両親は幸い得意であり、僕が知る限りは一度も指導を受けたことがなかった。

席に着き、誰ともなくいただきますの声が響き、食事が始まる。「学校はうまくやれていますか」「まあまあです」「進路はどう考えていますか」「進学する予定です」業務連絡の趣がとても強いが、小さい頃から親はこの口調だった。5歳の頃、僕がこの家にやってきたその時から。僕が「青葉ユズル」になったその時から。

誤解しないで欲しいのはこの5歳の時の出来事は何ら特別なことではない、ということ。僕たちは自然に生まれ、国の庇護を受けて育ち、そして「再分配」される。子供を供出した家庭に還元されていく。そうやって僕たちは家族になった。


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21世紀も半ばに差し掛かった時、自由主義という僕らのダイナモは大きな壁にぶつかった。いや、今までもぶつかっていたのに気付いてはいたが、見て見ぬふりをしていただけだった。個人の自由と人権の最大化の代償は少子化として、ゆっくりとしかし確実に立ち現れた。僕達の国はその中では先進国であり、生産に寄与しない幸福な個人の割合が全体の半分を占めた時、国の諸制度は限界を迎え、ハードランディングを余儀なくされた。

国は非生産者の社会保障を切り詰めつつ、様々な制度改革を行った。自由権の保護と少子化対策を両立させるためにできたのが、子供の再分配、通称『テンパランス』制度だった。

再分配制度は才能や格差を是正しつつ少子化を解決するインセンティブを与えるために生まれた。新生児を国が一括して引き取り育成するシステムであり、国が新生児を引き取り育成し、五歳になったら親元に返すのではなくランダムに子供達を『再分配』する。子供の学力、能力を決めるのは才能と学力どちらも無関係ではないが、少なくとも再分配により才能による格差を埋める理由になった。貧しい親でも施設に預ける期間養育費を国が持つということ、また言うなれば子供ガチャに参加できる権利が、子供を作る家庭に与えられた。富裕層がより充実した教育を与えられるという条件は従来の世界と変わらない。さらに多大な税金を納めれば、子の再分配を免除するシステムも併設された。名目上は選択の自由が各家庭に与えられた。国民は経済的な事情や血統という意識が希薄になっている近年の価値観、幼少期の育児負担から逃れられることから次第にこの制度に適応した。

制度が施行されてから20年、『テンパランス』制度に沿って再分配された家庭は九割を越える。

「……かくして国の施策、テンパランスにより我が国の出生率はV字回復とは言わないまでも回復傾向となっている。まだその子供達が労働人口に影響する年齢にはあまり到っていないが、今後はその効果が出てくるだろう。君たちはその先鞭であり、良き人生を過ごせるよう、私たちも願っているよ」

公民の授業で、先生はそう締め括った。先生は確か50を過ぎた歳であり、この制度が制定される頃の様子を記憶しているはずだ。まだ血縁の価値が残っていた時代。先の祝福は授業としてのあるべき言葉だったのか、それとも。もっとも、授業をちゃんと聞いている学生は半分くらいだ。仕組みの是非なんかより、そのものを僕らは覚えなくてはならない。制度に対し僕らは語る権利を持たないからだ。子供の権利を強く保護するため貧困、暴力などあらゆる危害から保護される権利を持つ一方、権利の行使には大きな制限がかれられた。選挙権はいつしか二十歳を回る歳に引き上げられた。進路?進路はどうだろうか。

そんなことを考えていると授業が終わり、後ろから声がかかる。

「ユズル、帰りにネスト寄ってこうぜ。今日からコーヒーショップでキャンペーンやってるんだ」

「いいよ。それじゃ校門でまってて」

いつものように声がかかった。


/3

ネストの入り口近くのカフェテラスで僕たちはコーヒーを飲んでいる。近くには近所の老人や仕事をしに来たサラリーマンがちらほらいるが、皆それぞれに夢中になっている。僕らはフリーWi-Fiの対価としてこのコーヒーを購入する。無料サービスは大体こういう制約がある。

ネストは駅前に出来た大型ショッピングモールだ。僕たちの親の世代にはショッピングモールは郊外に出来るのが通例となっていた。土地代が安いからだ。そうしたショッピングモールが出来、そこを中心に栄えて市街地中心部が過疎化していくことをかつてドーナツ化現象といっていたが、ドーナツ化が進みすぎて逆に中心部の土地代が安くなるなんて誰が思っただろうか。今はドーナツの中心に穴は開いていないし、そこには今僕たちがいる。

 向かいには誘ってきたレオが座っている。アイスコーヒーをストローで飲みながら、スマホを弄っている。その他には学校の課題、というか進路調査の紙が出ていた。そう、今日はコイツのためにここでコーヒーを飲んでいる。

「ユズルはさ、進路どう考えてるんだ?」

「どうって・・・進学だけど」

「んまあ、そんなところか。・・・どこの?」

「行けるところ。H大の工学部を考えてる。家から近いし、色々選択肢あるし。進路適正も問題なさそう」

「そらそうか。進路適正確認するよな」

そういいながらレオは少し浮かない顔をした。だいたいのことでレオは僕より決断が速い。向こう見ずともいう。そんなレオが逡巡する。

「レオはどうするの?学校の成績見る限りでは選択肢多いんじゃない?」

「・・・そのことなんだけど。俺暫く、大学行かずに旅に出ようかと思っている」

「え?」

理解が追い付かなかった。進路適正にはじき出されるのは、高校まで生きた自分たちの「結果」だった。その精度は過去の時代のそれではなく、その適性を超えて別の進路を選ぶことの重大さは、僕たちが良く知っていた。それも、背伸びをする進学先はともかく、旅とは。

抽象的な未来の提示だった。

「・・・俺さ、「本当の親」知っちゃったんだ。本来、これは伏せられてるんだけど、書類が俺のところに来て」

「・・・それって」

「そう。本当の親が亡くなったってこと。その紙には、その事実と名前だけしか書いてなかった。ネットで調べると、酷い事件に巻き込まれたことがわかって。先月起きた、俺でも知ってる強盗殺人の事件だった。」

「・・・・・」

「こんな紙が来るんだって初めて知ったし、悲しいとも思わなかったんだけど。何も知らないなって。だからその親のことを知りたいなって。もちろん今の親にも感謝してるし、不満はないんだけどさ。・・・こういうことをするなら、今だって思って」


なにも言えなかった。もう相談なんかではない、決意は揺るがなく、ただの表明だった。

「そっか。・・・僕にはそれがいいとかはよく分かんない。でも、レオがそういうのなら。・・・"今一緒にいる"両親はなんて言ってるの?」

「・・・まだ言ってない。理解されるかも分からないし、正直怖い。実は夕食をもう3年も一緒に食べてないんだ。」

「何故?嫌いなの?」

「わからない。きっかけもあんま覚えていない。嫌いになる理由なんてこんな制度の中だとほとんど起こりえないはずなのに。なんでだろうな」

そういってレオは笑った。友人に真面目な話をした気恥ずかしさと、その流れで露わになった親との関係を恥ずかしがるかのように。そんなレオを、僕はなんと声をかけていいかもわからず。一緒になんとなく笑う事しかできなかった。



レオが教室から居なくなるのは一ヵ月後のことだった。卒業間近の、冬の事だった。

/4

初夏の日差しが暑い。珍しい晴れの日だった。講義を受けた帰りであるが、昼1の講義を終えたばかりの時刻なので太陽はまだまだ元気だった。

僕は大学に進学した。地元の少し偏差値の高い大学だ。入学当初の喧騒も収まり、これから期末のテストへの対応が求められる時期である。が、そこまで気にする同級生も多くないのが実際であった。まだ大学一年であり、新生活とある程度与えられる自由に馴れ始めたところだろう。僕もテストの意識はしているが、具体的にまだ何をしているというわけではなかった。

大学へは家から通っている。そういう距離感も含めて選択しているのだ。進路適正で最も適性が良いと判断された大学だった。学部も無論えり好みしたとはいえ、無論適正は考慮している。

講義が無い日は友達と遊んだり、バイトに勤しんでいる。高校の時と比べて自由になる時間も金も多少増えたため、毎日も少し忙しくなっている気がした。

そんなこともあり、レオとは連絡をとってなかった。卒業式間近での退学。理由は明かされなかったけど、沢山の噂が流れた。男女関係、家庭の話、いろいろ。本当の親の話はなかった。レオは僕だけにしか話していないのかもしれない。そう思うと、僕が何かを言う気にはなれなかった。

僕もレオに何かを聞く気になれなかった。というか返事が返ってこないような気がしたからだ。なぜほんの少し、卒業までまてなかったのか。親との関係はどうだったのか。今どこにいるのか。何をしているのか。聞けることはいくらでもあった。でも、どれもが聞けないことだった。


家に着いてみると、封筒が入っていた。私書のようだった。珍しい。最早ポストに入るものはチラシなどが殆どで、私的なものは大体電子媒体になっている。必要なものほど新しくなる。

レオからだった。僕宛だった。あまり綺麗とは言えない字で宛先が綴られていた。住所はかかれてなかった。僕は自分の部屋に入ると、少し間を置いて封筒を開けた。手紙が入っていた。



ユズルヘ

こうやって手書きで手紙を出すのは、なんかむず痒い感触がするな。普段文字なんてほとんど書いてないから、所々間違えて黒く塗りつぶした後がたくさんあると思う。それは勘弁してほしい。

手紙を出したのは、自分なりに普段していたメールとの違いを意識したからだ。なんかメールだとしまらないというか、なんつうか。こういうのは雰囲気が大事だから。だからもしこの手紙の前にユズルが俺にメールしても、届かないようにしている。こういうのは、そういうもんだから。

今俺は本当の親の生活していた地域に滞在している。山間の雪が深い土地で、その分今はかなり過ごしやすい。それなりに都市っぽい施設もあって、そのおかげでバイトして食ってけるだけの場所になってる。空いた時間に、本当の親の近所や仕事先、親戚に二人の事を聞いて回ってた。

そうじゃなかった。二人じゃないんだ。当然、本当の親にも何処かから来た子供がいて。確実にその足跡があるんだ。俺からみても素晴らしい家庭なんだよ。よく隣人と交流し、その子は親のことを好ましく思っていて、休日はよく家族で出かけていたらしい。素晴らしい家族。少なくとも、俺がこっちに来てから聞いた情報はそう言っている。

じゃあ俺はなんなんだろうな、って思っちゃってさ。前、ネストで話したとき家で親と3年一緒にご飯食べてない、って言ったよな?あれ、違ってて。ずっとなんだ。少なくとも俺は記憶の中で一緒に住んでた親と一緒にご飯食べたことがなくてさ。ご飯だけじゃない。行事も、会話も、最低限、連絡事項だけ。写真だってない。確かに親からの干渉みたいなものは何もなかったけど、これ親子なのかなって。よく分かんなくなってた。でもあの時言えなくてさ。そんな時にあの書類が来て。

結局、俺はここにきて良かったのか、悪かったのか。それすらもわかんなくてさ。でも帰る気もおきないんだ。

近いうちに、またどっかに旅に出ると思う。なるべく遠く。こんなことユズルに言っても仕方ないんだけど、自分なりのケジメみたいなもので。

ゴメンな。それじゃ。

レオ


手紙を書きなれていないレオの字は汚く所々間違えていた。でも真剣さは伝わってきた。陽気なレオの、あのネストでの表情と重なった。なんとなくだけど、今後一生レオと会えないんだろう。そういう感覚が僕を貫いている。寂しいとか、悲しいとか色々な気持ちになるけど、よく分かんないというのが正直だった。ただ事態を呑み込めていないだけかもしれない。

僕にはレオの家庭がどうなっていたのかよく分からないし、そもそも家庭というものがどういうのが普通なのか、よく分からない。要素だけみれば、僕の家とそんなに変わらないとも思う。そんなに、意味のあるものなのか。よく分からない。よく分からない。

レオに電話をかけてみた。つながらなかった。メールも送った。宛先不明で帰ってきただけだった。それでこの話はおわりかもしれない。


/5

「親:響子の夕飯への同席を許可しますか?:」

「親:正樹の夕飯への同席を許可しますか?:」

どちらもイエスと答え、僕は共用廊下を進み、食卓へと進む。今日はすき焼きだった。僕の意向もあり、春菊は入っていない。匂いがどうしても嫌いだった。

卵を溶いて、肉や豆腐、野菜をくぐらせ、口に運ぶ。食事を大体終えた時、父が口を開いた。

「すこしいいかな」

そういって父はベランダに僕を誘った。はじめての事だった。

寒い夜のベランダだった。雪こそ降らないが、かなり肌寒い。もう年末の予定をどうするか、みたいな話題がちらほら流れてくる。

父:正樹は半纏をセーターの上に着ていた。あまり見ない姿だった。というか、両親の私室すらよく知らないのだ。モニタ越しにちらっと見えるのが、僕が知っている両親のすべてなのかもしれない。

「レオ君の"育ての両親"が亡くなったことは知ってるな?」

「・・・はい」

「ユズルさんに手紙が届いてから少しして、レオ君は育ての両親にも手紙を送ったんだそうだ。今までの家庭の事。本当の親のこと。だいたいユズルに来た手紙と同じような内容だったそうだ。彼らから聞いた。どうやらユズルのことも書いてあったらしく、だから私のところに話がきた。先に聞いて済まない」

「・・・・・」

「彼等は悔いていたよ。自分たちは一人の人間としてレオ君を見ていたが、それ以前に子として見ていなかったのではと言っていた。正直、私には一人の人間として見ているようにも思えなかったけどね。だけど、その落胆は本物だった」

正樹は坦々と話していく。こんなにも父と話したことは無いかもしれない。晩酌でのアルコールで少し酔っているのかもしれない。

「この制度が悪いかどうかは分からない。私の知っている限り、正直血縁がほとんどな前時代であっても、悲惨な親子の事件はたくさんあった。すべての家庭を、すべての人を救えるわけじゃない」

「・・・・・」

「それでも、ワタシはユズルさんが来てくれてよかったと思ってるよ。この感情が父から子のものなのか、一人の人間としてなのかははっきりと分けられないけど」

「・・・・僕もそう思います。正樹さんが父でよかった」

そういうと父は一瞬世転んだ表情を見せた後、一層険しい顔で僕に向き合った。

「ありがとう。・・・・もう一つ。今日、郵便にこれが入っていた。」


中身を確認した。

僕の「本当の両親」が亡くなったことを告げる書類だった。そこには、僕も知っている名前があった。

レオヘ向き合えなかった二人の名前があった。

良く分からない。どう感じればいいのか。どう感じるべきなのか。

父に書類を渡す。目を見開いていくさまが分かる。そして僕を見つめる。

お互い、すぐには言葉が出てこなかった。それでも、なにか言葉を探す。探さなければ。


「父さん」



「父さん。レオの話を、聞いてくれますか」

初めて、『父』と呼んだ気がした。


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