見出し画像

評価の話(ふわっとした話)。

大した話ではないのだけど、他人への評価の話。

他人への評価というと様々な軸があったり、そもそも評価するのがおこがましいというのもあったり。だけど自分を含め人間は他者(に代表されるすべての事柄)を評価せずにはいられない生物である。仕事での同僚への評価、ゲームでのチームメイトへの評価、合コンでの異性への評価、いろいろある。最近書評家がtiktokで本を紹介する人を評価してメコメコに炎上していたが、評価を口にすること自体わりと揉める要因になったりする。でも評価を口にせずにはいられない。

で、翻って自分の話。自分の他者評価軸を考えた時、仕事関連や親族など嫌が応、みたいな強制力働きがちな関係はともかくSNSや趣味で知り合う人に対しては、結構「その人が面白いかどうか」を基準に考えてるところがある。

これは、自分があんま面白くない人間だっていうのを自覚しているが故であり、言い換えれば魅力がないということでもある。太閤立志伝だと統率とか武力とか及第点だけど魅力30代の奴みたいな。川尻秀隆みたいな。要するに自分にないものを求めているのかもしれない。

なのでそういう評価軸で人を判断することが多く、はたから見るとアレな人だったりしてもあんま気にしない。

この評価軸を用いるにはその人を自分なりに知らなきゃいけないわけで、それはSNSの振る舞いや言い方で評価したりは勿論、リアルだと飲みの席で話した感じで評価することになる。そこから「他人に自分の興味あることを色々話してもらう」というのを聞くのが好きなんだけど、これがもしかしたら高望みなのかなとちょっと最近思っている。自分のことを色々話したい人も多いけどそうじゃない人もいるわけで、そこであまり魅力がないと思っている自分になにか話してもらうことは労力をかけさせていることに他ならないのかなーと。考えすぎかもしれないけど、この辺上手く察してそういう場合こちらから話したりしないといけないわけで。難しい。おっさんになってもこういうのは分かんねえ。一生分からん気もする。

この辺でこのnoteは終わりに。なんかもやッとしただけな気もする。うーん。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?