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8回目 役割と充実感

あの日の私の役割構成
娘:母:妻:私=3:4:2:1

母の日の日曜日。
亡くなった祖父母の法事で、両親と私の3人でひっそりとお寺にお参りに行った。その後、子どもらをパソコンゲームの前からなんとか剥がして、お墓参りと食事へ。
その後、家に戻って洗濯・片付け・夕食・子どもらの宿題を見る。
今日のパワーの掛け方は、上の通り

おじいちゃんとおばあちゃんは、30年ほど違うが、同じ日に亡くなっている。孫の私の目から見て、おじいちゃんの最期の頃、おばあちゃんとおじいちゃんは全く仲良くなかった。
おじいちゃんは、認知症がひどく、昔の可愛らしい頃のおばあちゃんを探して動き回るし、おばあちゃんはそれに怒り狂っていた。
若い頃の自分に焦がれている夫。今の私を脅かしている夫。
怖かったけど、怒り狂いたくなるのもわからなくもない、と、小学生の頃から思っていた。
そんな二人だったのに、おじいちゃんは自分が亡くなった日におばあちゃんを連れて行った。二人はきっと若い頃の姿になって、ほんわか一緒にいるんじゃないかな。良かったね、おじいちゃん。ようやく願いが叶っているかな。

三十三回忌の母の日、素敵な声のご住職のお経を聴きながら、おじいちゃんとおばあちゃんと繋がりを感じながら、神や仏はどこにいるのだろうと、ふと思った。
そうすると、ご住職が説法の中で、南無阿弥陀仏は、私は近くにいますよ、と、仏様が人に言わせているので、唱える時には仏様がいるのだ、と、言っていて、おやおや、これは近くにいていただけるようだ、と、笑えてきた。
ふと思ったら、答えがくる。このリズムに何かすごいものを感じる。

この役割をたくさん感じるこの日は、本当に疲れる。
娘として両親と話しながら、横の子どもらの方を向けば、母の顔が出る。家事をするのは妻の顔か。そして、僅かな「私」の時間で、私は「私」のやりたいことをするものだから、休息の時間は少ない。

でも、充実感はすごいのだ。
どこも無駄にせず、濃密な時間を過ごしているような感じ。
すべてを精一杯やった。
今日一日、よく生きた。
あれこれ、取りこぼしはあれど、まずは前進し続けた自分に、花丸をあげたい。

ギッタンバッコン、良いことも悪いことも。
悲しいことも、嬉しいことも思い出す。
悪いこともあるけれど、そう捨てたもんじゃなかったよね。

いつもこんな日にできますように。
そして明日もまた歩けますように

ではまたね。


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