腹を立てることの無意味さ

怒り。キングオブネガティブ感情。

今までで一番怒りを感じたのはいつだろう。
思い出せないが、多分人から何か余計なことを言われた時だろう。
詳しく思い出せないということは、もうどうでもいいことに変わっているということ。時間が経てば大抵の怒りの感情は無意味なものになる。

世の中には怒りが蔓延している。
インターネットを少し覗けば怒っている人だらけ。戦争が地球からなくなるのははるか先のことだろう。

あの人たちはなぜ怒っているのだろうか。
少しだけその理由を考えてみた。

■自分が正しいと思っている
自分は正しい、相手は間違っている。
全ての戦争はここから始まりました。

皆、自分だけが正しいと思っている。
ガンダムを見ればよくわかります。

皆がそれぞれ正しいのです。正しさと正しさをぶつけ合う時に悲劇は生まれるのです。

「あいつ、絶対に間違ってる」
そう強く思った時、多分相手も同じだけそう思っています。

正しさの追求は自分に対してだけ行うもので人に対しては適用すべきではない。
それが僕の考え方です。
人は変わりません。変わるのは自分だけ。

間違っている(と思っている)相手を否定する時、争いが始まります。

■プライドが高すぎる
「楽曲が否定された」ことを理由にとあるライブスペースに出なくなった人たちがいます。
楽曲よりも行いにかなり問題があるのにそれに全く気づこうとしない姿勢が何年も放置されていました。行動があまりにも不適切だから注意されたのに、楽曲が否定されたという解釈しかできない。
個人的にはやっぱりそういう人だったかという感想です。

プライドだけが肥大化すると、周りが見えなくなります。
最終的に自分が損をします。

自分に誇りを持つ。それ自体は重要なことです。
僕ももちろん誇りを持っていることはあります。自分の作った曲とかは特に大事にしてます。

ごくたまにですが、バカにする輩が現れます。
「まだ音楽続けてるの?」「いつまで夢見てるの?」
若い頃はそれにいちいち傷ついていましたが、今は全然平気です。

人の評価はしょせん人の評価でしかない。
他人が何かを思うことをコントロールすることはできません。僕が一生懸命何かに打ち込んで作品を創り出した。それはその時点で完結しています。
そこから先は他人に委ねることなので当然、望まない反応が返ってくることも仕方のないこと。それこそが作品を作る醍醐味です。

プライドは作品や自身の行動に込めるもので、評価に対してはプライドを持たない方がいいです。今はそう思っています。

■うまくいかない・思いどおりにならないことが許せない
失敗は成功の母と言いますが、誰もがエジソンの境地に達するわけじゃない。
一度の失敗が即自己否定となり、それが怒りに変わってしまうという最悪の負の連鎖もよくみかけます。

自分自身がまさにそうでした。
うまくいかないことにとらわれすぎて、挑戦を続けるということに億劫になっている時期がありました。
そこから脱出することができたのは「とりあえずやってみる」ということができたからだと思います。

失敗の積み重ねの上に今の自分の人生があると思っていますが、失敗そのものはそんなに悪いものじゃないですよ。少なくとも怒るほどのものではない。
自分の現時点での力を確認できたわけであり、次につなげればいい。

失敗を放置し続けることが問題であり、改善するのであれば失敗は大歓迎。
怒るなんて言語道断。思考停止は何も生みません。

■冷静になれば怒る理由はない
「オレ、あの時はブチギレたな〜」発言している人。一生そのままですよ。思い出してまた怒ってるから、怒るのが好きとしかいいようがない。
怒りたいから怒っているだけなんですね。冷静になればよくわかる。その無意味さに。

放置でいいじゃないですか。
相手は決して変わりませんよ。自分が怒るだけ時間の無駄。ほとんど時間が経てば解決すること。それは明日かもしれないし、3ヶ月かかるかもしれない。確かなのはいつかはどうでもよくなるということ。

吐き出してもいいとは思いますが、記録に残すことだけはお勧めしません。
ネットはもちろん、愚痴会でもあなたの人の悪口を言っているときの鬼の形相は記憶に残ります。それは大きすぎる損失です。

諦めることを覚える。まずはそこから始めてみてはいかがでしょうか。
僕も若い頃は短気でしたが、ようやく自分の感情をコントロールできるようになりました。これが一番の財産ですね。

怒りに心を支配されそうになった時、
散歩したり、歌を全力で歌ったり、青空を見上げたり、些細なことで解決しますから。

怒りを増幅させるのは他ならぬ自分自身なのです。

ありがとうございます。有意義なことに使います。