創作のみが批判を打ち消せる

「その程度のことなら誰にでも言える」
批判の常套句。よく聞く言葉ですよね。

それこそが誰にでも言える簡単なこと。
だからこそ絶対に誰にも言うべきではない。
口走った瞬間に一気にその人の価値が下がる魔法の言葉です。

批判って簡単なんですよ。
子供だってお母さんの言動を批判する。人間の初期衝動なのかもしれません。
人は生まれつき誰かを批判するようにできているのでしょう。子供がお母さんを上手に褒めるようになるにはある程度の頭脳が必要です。肯定することによって、母も喜び、最終的に自分も幸せになれる。それに早いうちに気づいた子供は幸せな大人になるでしょう。

けなす人より、褒める人の方が賢い。極めてシンプルです。
それに気づかずいつまで経っても子供のままの大人ばかりですから。

■創作する理由はシンプル
音楽でも、映画でも、文章でも生みの苦しみというものが必ずあります。
僕も文章構成力・語彙力向上のため、そして思考をまとめる訓練として毎日書き続けています。1500文字を超えるあたりでかなりの疲労感に襲われます。その頃にはだいたい2時間くらい経過していますね。

音楽を創る時はもっと疲労します。僕は作業が遅いので1分の音を作るのに10時間くらいかかることもあります。ヘタだからというのもあるのですが、3分の歌をレコーディングするのに3時間以上かかることはざらです。

それを肌でわかっているから、誰かを批判しようとは思わない。
もちろん人間ですから、好き嫌いはあります。
嫌いなら読まなければいい、聞かなければいい、見なければいい。僕はそうしてますよ。わざわざ「君、ここはおかしいよ」って指摘する時間も必要性も全くないのです。

批判=クリティシズム、創作=クリエイト。
どちらが簡単でどちらが難しいか。ネットを見ていれば一目瞭然。
圧倒的多数の人がやっている行動、それこそが簡単な行動なのです。批判に生みの苦しみはありませんから。

誰かを批判したくなった時、
そんなのは批判しかできない子供たちにやらせておけ。
クリエイターを自負するなら難しい方を選べ。
創作し続けろ。

そう思うことにしています。

■他にすべきことがないから批判する
昔に比べて批判されることを恐れることは減りました。それでも批判されることに対する恐怖を完全に克服できたわけではありません。
ただ批判する側の人間の心情がなんとなくわかるようになってきたので、ムキになっても仕方ないなと思えるのです。

誰かを批判しなければ生きていけないということは、
それ以上に何か大切なことがない人生なんだな。

そう思うことにしています。
人生に大切なことがないであろう人の批判、それは気にすべきことではない。
散歩してたら野良犬が吠えてきた。その程度のことですよ。
批判に対する応答、それは自らも野良犬になって吠え返すこと。そんなことする必要あります?
気にしてたら時間がもったいない。創作意欲がもったいない。

もし自分が誰かを強烈に批判したくなったら、その時はそのエネルギーをなんらかの創作に使うことにしています。
勢いで悪口を書き込んでしまえば、喧嘩にしか発展しませんが、前例や反面教師として創作・文章化してしまえばそれはポジティブなものになります。
安易にダークサイドに堕ちることはないでしょう。

クリエイトすれば必ずクリティシズムがついてきますが、それでもクリエイトする。
それが真のクリエイターではないでしょうか。

「圧倒的な結果が批判を沈黙させる。」
とよく言いますが、あの人たちは沈黙しませんよ。
いつまでも吠え続けていたい人ですから。

メンタルが強い人は戦って打ちのめす。それでいいと思います。
僕のように打たれ弱い人は、そういうのに触れないようにさらにクリエイトする。

それが楽しく生きる道のような気がします。


ありがとうございます。有意義なことに使います。