社会が荒んでいくとき

先日我が町に、某大手回転寿しチェーン店が開店しました。
聞いた話だと開店初日にいきなり警察が来るほどの客同士の大げんかがあったそうです。
ネタを触って、レーンに戻す若者とそれに我慢できないおじさんが口論になり最終的には摑み合いになったらしい。この町の民度の低さ。回転寿しすらおとなしく食べられないのかと情けない気持ちになりました。
そもそも確実に混雑するであろう開店初日に行く時点であまり賢いとは言い難い。

社会が荒んでいくのは、未熟な人が自分の未熟さを全面に押し出すから。
僕はそういうふうに考えています。

いつも不機嫌な上司。
やたらとクレームをつけてくる客。
自分と違う意見をスルーすることができないクソリプおじさん。

世の中には自分の未熟さを他人のせいにする輩で溢れています。
人生とはその未熟な人々を上手に受け流していくことを積み重ねる修行なのかもしれません。

そもそもその人の不機嫌を表明して何になるのか疑問です。
不機嫌で他人をコントロールしようというのは人として最もおろかな行為だと僕は考えています。
それをしている時点で相当イタい人です。可哀想な人です。

周りがそうしているからって、仲間になって真似をする必要はないですよ。
むしろ絶対に真似をしてはいけない行為です。

不幸の手紙と同じ。あなたが止めればそれで良い。
それで全ての負の連鎖は止まります。

我慢するのではなく、受け流す。
そして自分はそんなおろかなことはしないと決意する。
それだけで世の中は変わるのではないでしょうか。

その積み重ねで社会は良くなるし、経済的な価値も生み出します。
そういう些細はことは評価されないことの方が多いですがが、見ている人は必ず見ているものです。

「あんな態度されたのに、よく普通でいられたね」
それだけで「あなた凄いよ」ってことになる。
メンタルのコントロールができる人はどこへ行っても評価されます。

普段から不機嫌を受け流す訓練を積み、それが習慣になると怒るのがバカらしくなる。
最初はイライラが伝染するが、そのうち気にならなくなってくる。

例えば回転寿し屋でネタを触る愚か者の集団に遭遇したとする。
「お前らふざけんなよ」と言ってしまうと全てが終わる。
そんなことはせずにさっと席を立ち、黙って会計を済ませ店を後にする。それで全てが解決です。同じ空気を吸わない方がいい。
他人を変えようとするとろくなことにならないですから。

「こんな輩たちが来るような時間帯に来てしまってオレも未熟だったな。もっと時間帯や日にちを選ぼう」最終的にはこうなります。

残念ながら世の中未熟な人しかいませんよ。
もちろん僕も未熟です。未熟だからこそそれを全面に押し出さないのです。

その未熟さに対して、真正面からぶつかってもさらに自分の未熟さをさらけ出すことにしかならない。
「争いは同じレベルでしか起こらない」のです。

社会が荒んでいるのなら、
未熟な人しかいないのなら、
あなたや私がその仲間入りをする必要はありません。
それだけで世の中は変わってきます。


ありがとうございます。有意義なことに使います。