いつか「夜」のことを書きたい
夜のことについて文章を書きたいと思って、しばらく経ちます。スマホのメモを見ると、2020年の9月ごろに夜のことについてメモしていました。
わたしは夜が苦手です。夜をうまく過ごせる人になりたいと思っています。なんといっても眠れないことが多い。
端的にいって寝つきが悪い。昔も今も変わらずそうです。
そして、自己否定が深まる夜が確かにあります。
頭がわんわんして、その日あった嫌なことを思い出す。別のことを考えようと思っても、過去の嫌なことを思い出したりする。そして絶望する。
世界には自分しかいないんじゃないか。自分は本当にやりきっているか。何か他人に迷惑をかけているんじゃないか。そのせいで他人から避けられているんじゃないか。そんな自分には、価値がないんじゃないか。
そんな苦しい気持ちが、心の中で反芻される夜があります。罪の意識に近いです。わたしはこんなに悪いことをした、だから今こんなに苦しい。これから罪を犯すかもしれない。
でも稀に、穏やかな夜が訪れます。
読書灯が部屋を照らす。自分の影がぼんやりと白い壁に映る。輪郭はぼやけて、影にはグラデーションがつく。
外に夜の濃い気配を感じながら、ストレッチをする。首、肩、肋間、手のひら‥‥と順々に揉んで、眠気が起きるのを待つ。
そんな風に過ごせる夜もあります。
夜を穏やかに過ごすこと。眠りが起こるのを待つ。これはたぶん、自分の生涯の課題になると思います。
そしてもう一つ。夜について思うことがあります。それは、夜そのものについて、文章を書くことです。これも、これから先の人生でやりたいことの一つです。
眠れなくなるくらい面白い本はありますよね。そんな本に出会ったことがあります。
なら、眠れない夜に、読んだらいい本もきっとあるはずです。そんな文章を書いてみたいと思っています。半分は自分のために。いや、7割くらいは自分のためかもしれない。
夜に苦しむ人は多いんじゃないかと思ってぃす。夜は苦境の喩えになりますね。明けない夜はない、だからこの苦境もいつか終わるだろう。夜はそんな風に、苦しい時間の意味合いで文章に登場します。
夜は活動の外部でもありますね。ヒトは夜になると寝ます。そういえば、ヒトはそもそもまとめて長時間寝るわけではなく、1日に複数回寝ていたという話をどこかで聞いたことがあります。昔は(といっても近代なのか古代なのかわかりませんけれど)、もっと夜を眠らずに過ごしていたのかもしれないですね。何をして夜を過ごしていたんでしょう。焚き火を見つめていたんでしょうか。山の端に出た月を眺めていたのかもしれないですね。あるいは、住処でおとなしく夜が過ぎるのを待っていたのかも。
夜って越えるものなんでしょうか。ふと疑問に思う時があります。
夜は壁。目指す場所は夜にはなく、その先にある。夜は越えられるべき存在。なんでしょうか。
夜の中にただ居ることは難しいことなんでしょうか。いや、実感として、とても難しいのです。でも、どうして難しいんでしょう。
そもそも、夜はいつ生まれたんでしょう。そして、どんな歴史を辿ってきたんでしょう。電気が生まれる前と後で、わたしたちの夜は変わったでしょうか。スマホ以後の夜は、それまでの夜とは別物になってしまったでしょうか。暗い部屋で、明るい画面を見つめる顔。そんな顔が、スマホ以後の夜は、無数に浮かんでいる。
夜と退屈は切り離せないですね。わたしは、眠れない夜ほど辛いものはないと思っています。なぜか。退屈だからでしょうね。目を瞑ってからまどろむまでの時間が、とにかく苦手です。最近は、読書灯を灯して、徐々に部屋を暗くしたり、ストレッチをしながら眠くなるのを、眠りが身体に起こるのを、待っています。
タイトルに夜のついた本、けっこうありますよね。夜と霧とか、夜とピクニックとか。あと最近、ポップスで夜を見かけることが増えました。YOASOBI、ヨルシカ、ずっと真夜中でいいのに。などなど。
夜って濡れた感じかしませんか?僕だけでしょうか。夜は湿った感じがします。液体の「液」って、さんずいに「夜」って書きますよね。どんな成り立ちで、液に夜が使われているんでしょう。ちょっと気になります。
あまり考えず、夜について思ったことをつらつらと書きました。これから、夜について、少しずつ書いていこうと思います。読んでくださると嬉しいです。
あと、夜に関する本や文章、曲などを教えていただけるとすごく喜びます。
(ねこやなぎ)
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