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【投資について語るときの愛と追憶】 投資の理由

「ライターの伝統的な持ち前は「食えない」ところにある。」

引用 <https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00162/?P=6>

 コラムニストの小田島隆氏の死去のニュースに呆然としていたところに、投資コラムの執筆依頼が来た。同氏を知らない人であっても、彼のコラムは今からでも読む価値がある。どんな作品があるかは読者の検索結果に任せるとして、日経ビジネスオンラインの小田島氏の遺稿の文末は「ライターの伝統的な持ち前は「食えない」ところにある。」で締めくくられていた。彼は良質な文章を書き続けることの価値への確信しつつも、経済的には恵まれにくい書き手へのエールを送っていた。さて、私も依頼に応じて書くべきか?

 文字を使って時間と場所の制約を超えてつながることは人間の特権である。その特権も生きているうちしか行使できない。投資をテーマにならいくらでも、ネタはある。日本人の貧困、特に長生きリスクを背負っている女性の貧困問題を考えると、女性読者には切実に投資と人生について考えてもらいたい、とも思う。少数読者であってもよい。全くのゼロから二十年ほどかけて賃貸不動産、投資信託、株式、外貨預金、FXなどの定番の投資を経て、40代のうちにいわゆる富裕層の定義の隅っこ暮らしとなり、FIREも考える境地に至る道程の道すがらに見聞した雑事を書いてみることにする。読者の興味を引けば幸いである。

 そもそも、なぜ、「投資」をしたいのか、せねばならぬのか、それが問題だ。

 先日も私の通う24時間制フィットネスクラブで、若い筋肉隆々のトレーナーとこれまた若いサラリーマン風の利用者がストレッチなどをしながら、ヤクルトを話題にしていた。利用者は、ヤクルト1000が売れすぎて供給難で定期購入の申し込みを断られた旨、トレーナーは、「売れすぎて、ヤクルトの株価が上がっているそうですよ」と。

 私はこの会話を興味深く聞いた。もちろん、ヤクルトの新製品が人気すぎて、メルカリにも転売があふれ、出品停止措置がとられているとは知っていたが、一般的にそれほど株式投資などに関心が高くないであろう属性のフィットネスのトレーナーの口から、ヤクルトの株価が、などという言葉が出るということは、日本の若い世代に株式投資の意欲が広まっている兆候なのかもしれない、と感じたのであった。

 日本人が一般論として、なぜ、投資をせねばならぬのか、その答えは簡単だ。多くの日本人は、まじめに働くだけでは食えないからである。なお、ここに適度な貧困が文筆業に必要であるという小田島氏の遺稿と同じ趣旨を発見したのだが、それはさておき、現在の日本では、勤労・勤勉といった美徳が適切公正な報酬で評価されない可能性があり、そのようなリスクに対して、投資も有効な対応策なのである。例えば、看護師をはじめとするエッセンシャルワーカーの給与水準の低さは説明する必要はないだろう。弁護士や会計士、医師にわたって幅広い職業の給与水準が世界と比較して日本は低いのである。涙である。

 また、私自身が特に投資をせねばならぬ、と20代のころから考えていた理由の一つには、いわゆる伝統的な日本企業や役所では「働きたくない」ということがあった。
 私は、幼い時より周囲を観察する限り、大人たちが幸せに働いている、という風には見えなかった。サラリーマンや公務員、パート主婦、学校の教師など、一部の例外を除いて、概ね職業に対するプライドやパッションがあるようにはみえなかった。とはいえ、大人になったら、何らかの仕事を選んで、それで食っていかねばならないのだよ。

 大学への進学を検討する頃、ある女性研修医が過労の末に自殺した、という報道をみた。尊敬と経済的な安定を約束されるはずの医師ですら文字通り無給で死ぬまで働かされるのだと知り、私は医師になるのはやめたほうがよい、と浅はかな知恵で考えた。

 大学生の時、大蔵省(今の財務省)の役人たちが過剰な接待スキャンダルで辞職を迫られたとき、下着をつけない女性従業員の接待する飲食店などと、激しく拒否感を持ち、接待する側の証券会社や銀行も含めて、すべて嫌悪感の対象となった。

 大学教授になる方法という本を買ったこともあった。しかし通っていた東京大学の教授たちの中には、給料の少なさとプライドのはざまで、こじれた幼稚さを垣間見せる者がいた。よほどの経済的な基盤又は強い知的な自負のある者でなければ、研究員やら学者などは務まらぬと悟った。

 八方ふさがりである。日本社会には幸福な職業選択がないように思えた。どうやって、この汚れた不合理な日本社会を生きていくのか。戦後にGHQが撮影した焼け野原の前に立ち尽くす少年少女の写真のような気持だった。

 参考になったのは祖母だった。

 私の母方の祖母は、広島県人で、原爆の焼け野原を文字通り目撃し、生き抜いた。祖母は、いつも農婦のような姿で、ボロボロの軽自動車にのり、ケチだと親戚たちに軽蔑されながらも、まったく意に介せず、淡々と日々を過ごし、100歳近くまで生き延びた。畜産の家業に加え、自宅の周囲にオンボロな長屋風の借家4-5戸を築造し、賃借人たちは祖母に家賃を払っていた。夏の夜など、エアコンのない借家の窓から涼を求めて借家人の足が出ていて、通りかかった私は面白くて仕方がなかった。祖母の家の玄関のそばには、小さなガラスの出窓があり、そこには古いショーケースの名残もあった。聞くところによると、祖母はそこで、昔、近所の者を相手に質屋をやっていたとのことだった。食い詰めた近所の者が幼子の洋服を質入れに訪れ、祖母は、このロクデナシがと思いながら一家の暮らしを思って、わずかな金を融通したとのことだった。小金持ちになった祖母は、ある時、「ようやく山を買えた」と小躍りし、数年後、人を雇って木を伐りだし、木材の売却をしたが、人件費程度にしかならず、ひどく落胆したとのことだった。

 祖母に学があるようには見えず、料理も洗練されたものではなく、好きなコーヒーもインスタントコーヒーに牛乳を混ぜる程度の雑なもので、都会の洗練された家庭料理や知的な会話とは無縁だった。しかし、私は彼女から、先ほどの述べたような不動産投資やスモールビジネスなど、女性が生き抜く知恵を受けつぎ、生きていく自信を得た。焼け野原だろうが、汚れた社会だろうが、祖母を見習えば私は生きていけるだろう。そのためには、不動産や株式投資は必要な生活の手段なのだ。

 もし、投資に興味があって踏み出そうと考えている読者がいるとするならば、なぜ、投資をするのか、まずは自分なりに考えてみてもらいたい。投資を続ける道中にも、あなたは火傷を負うことは避けられない。あなたは何度も、その動機に立ち返り、傷んだポートフォリオや口座の残高をみて、投資を続ける理由を自問自答する。その自問自答に耐えられる強い理由を見つけられれば、あなたはきっと成功すると、私は信じている。

執筆:黒猫投資家

【投資について語るときの愛と追憶】

猫と人間のほんとうの幸せを探求する女性個人投資家が紡ぐ不動産、株、投資信託物語

投資アドバイザー検索サイト「オールイヤーズ」(https://www.ifa-search.jp/) のブログで連載中

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