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読めるのに読めない女子大生の特性分析編 ②なぜ小説は読めて、文献は読めないのか

この記事の続きです。

今回は、前回の私の特性分析を元に、小説と文献についてどのように読みやすさや読みづらさを感じるのかなぜそのような差が出るのか、についてさらに分析を進めてみたいと思います。
また、この記事に書いた内容は私個人の感覚・認識に基づくものであり、明確な医学・心理学的根拠があるものではないことをあらかじめご了承ください。

〇特性分析4:私の読める/読めないの違い

まず、どのように読める/読めないの違いが出るのか、小説(読める) と新書(読めない) を例に比べてみよう。

【小説の場合】(読める)
・文字を追いながら理解できる
・先に進んでも大筋の内容は覚えている
・返り読みは少ない(伏線や気になったところを確認したいときに戻るくらい)
・読むスピードは普通
・一度に読める量は多い(250ページくらいの文庫本を一気読みとかできる)
・注意のちらつきは少なく、過集中気味になる
・大まかな流れの把握はできる
・最大5冊くらいまで他の本と並行して読むことができる
(読みかけの本を置いて別の本を読み始めて・・みたいなやつ)
・読まなきゃいけない、という心理的負担は小さい(長編・短編であまり変わらない)

【新書の場合】(読めない)
・文字を追う際に理解がついていかない
・次の段落、節に進むと前の内容を忘れている
・↑のため何度も返り読みして時間がかかる
・一度に読める量が少ない(新書なら20~70ページ)
・注意がちらつきやすい
・流れや全体の把握が難しい
・他の本と並行して読むのは難しい(理解がより追い付かなくなる)
・読まなきゃいけない、という心理的な負担感がとても大きい(本の分厚さ・分量によって増大)


次に、私の場合、何が読めて、何が読めないのかを分類してみよう。
【読める】
小説(物語全般)、10ページ程度の評論文(高校現代文レベル)、漫画・雑誌・図録等
【読めない】
文献(一般向けの新書、大学レベルの学術書、論文等)、高校の歴史の教科書、英語の長文(難易度に関わらず)

※以下では、日本語的には正しい表現ではないかもしれないが、ここでは、新書、学術書、論文等を総称して「文献」という表現を使う。
さらに、「読める/読めない」の対比をしやすいよう、便宜的に、「読めるもの」を「小説」とし、「読めないもの」を「文献」とする。


〇特性分析5:なぜ小説は読めて文献は読めないのか

以下では、小説と文献ではどのような差があり読みやすさ/読みづらさに影響をしているか分析をしていく。

・自分の経験や感覚に結びつくか
・表現が具体的か抽象的か
・関心を持てるか

→私は「自分の経験や感覚に結び付け」られないと、うまく物事を理解できない・関心を持てない。このため、自分の経験や感覚に結びつくような内容かつ、比較的具体的な事象を扱う小説(もしくはエピソードのあるもの)のほうが理解もしやすく、関心も持てる。また、小説の場合、表現を音や視覚的イメージに脳内で置き換えることによって、理解・記憶する際に文字情報以外の情報を補える。
→つまり、具体的かつ自分の経験・感覚に結びつきやすい小説のほうが、理解や記憶をしやすく圧倒的に読みやすい

・文字や表は読みづらいがイラスト等の視覚イメージや手触り等の感覚は記憶に残る
→文字そのものや数字等を構造化した表よりも、イラストや挿絵、色づかい、手触りといった視覚情報やその他の感覚は割と記憶に残りやすい。
→つまり、イメージのわかりやすさや記号以外の感覚情報が、理解・記憶のしやすさに加え、読みたいと思えるかどうか心理的にも影響する

・内容の正確な整理や記憶を要するか
→もともと、私は全体の流れや構造的な把握は苦手であり、細部へのこだわりがある。そのため、全体の流れやその要旨を正確に把握することを必要とする読み方が難しい。文献を読む際にはこのような読み方を求められることが多いため、小説よりも読む際に難しさや疲れを感じやすい。
→つまり、全体把握の苦手さ・細部へのこだわりの影響で、文献のほうが読みづらさを感じる

同時複数処理が必要か
→私は、同時複数処理が苦手だ。でも、文献等で、内容の全体把握や正確な記憶を必要とするとき、私の脳内では以下のような複雑な処理を行わなければならない。

「文字情報から書かれている文字(意味)を読み取る→その内容をいったん記憶する→脳内言語に置き換える→脳内言語を用いて書かれている内容の趣旨を形式的に理解する→自分の過去の知識や経験と照合する→書かれた内容を実質的に理解できる/できない」

→つまり、同時複数処理の苦手さの影響で、正確に読まねばならない文献のほうが読みづらさを感じる

・予備知識や触れてきた経験の量
→一般的にもそうかもしれないが、予備知識があるもののほうが理解や記憶が容易だろう。また、これまでたくさん練習(もしくは経験)したもののほうが行う際に簡単に感じるはずだ。
私の場合は、小さいころから物語はたくさん読んできたため、小説のほうが獲得した予備知識も経験も多くなっているはずである。
→つまり、これまでたくさん触れてきた小説のほうが、読みやすい

〇今回のまとめ

まず、特性分析4では、読めるものを「小説」、読めないものを「文献」と表現し、「読める/読めない」の感覚を以下のように整理した。
・一度に可能な理解や記憶の量とそのはやさが異なる
・集中できるか(注意のちらつきの有無)
・流れや全体の把握が可能か
・「読むこと」への心理的な負担感


また、特性分析5では、小説と文献の「読める/読めない」の差異に影響を与える要素として以下のものがあると考えた。

・具体的かつ自分の経験・感覚に結びつきやすい小説のほうが、理解や記憶をしやすく圧倒的に読みやすい。
・イメージのわかりやすさや記号以外の感覚情報が、理解・記憶のしやすさに加え、読みたいと思えるかどうか心理的にも影響する。
・全体把握の苦手さ・細部へのこだわりの影響で、文献のほうが読みづらさを感じる。
・同時複数処理の苦手さの影響で、正確に読まねばならない文献のほうが読みづらさを感じる。
・これまでたくさん触れてきた小説のほうが、読みやすい。

〇次回に向けて

次回は、小説、文献に関わらず「読みやすさ」に影響するものについて考える。

次回へ続く!

発達特性(ADHD・ASD・限局性学習障害)、二次障害持ちの女子大生です。これまでの経験や自身の感覚、特性や考察、対策について言葉を紡いでいきます。