見出し画像

「上位者」を作るクセ

誰かを上に置いて、その意見・価値観が正しく、自分が間違っていて劣っていると感じてしまうクセはないだろうか? その事について考えた。


昨日、日記を付けつつ自分のメンタルの動きを観察していて気付いたことなのだが、自分には「何かの点で自分より優れていると感じさせる人を選んで、無意識に『上位者』として位置付けてしまうクセ」があるようだ。

そして「上位者」の言う事は全て正しくて、自分は間違っていて、上位者の言葉を聞いて「自分はダメだ」と感じる方向に解釈したり、上位者やその是とするキャラクターと自分を比べて「自分は劣っている」と感じるようだ。

これは、毒親の元でそのように躾けられたり、毒親を「上位者」としてそのように考えるように何度も何度も叩き潰されたりして身についた習性だと思う。同じように毒親を持つ人や、いじめなどに遭って「上位者」を作らされて叩き込まれた人などもこのクセをもしかしたら持ってしまっているのではないかと思った。


自分に「上位者」がいるという考え方はとても苦しい。自分より優れた、自分が従わないといけない人がいると考えるのは、相対的に自分が劣った存在だと常に思わされる訳だし、上位者という他人の意見を正しいと考えるのは自分の価値観を自動的に否定している状態だ。そんなのはメンタルが健康な状態、つまり「自分に価値を感じて、自分の意見を尊重できる状態」とは程遠い。

「上位者」が自分に敵対的な悪い人、とは限らない。これは「自分より優れた人に従ってしまう傾向」である訳だから、上位者が真っ当な意見を持つ思いやりのある人である場合もあるだろう。それでも、奴隷根性というか、他人を崇拝してその思想を自分の意見より正しいと思う状態というのは、自分を偽っている状態に他ならない。常に自分の価値を認め自分を尊重する、自己肯定感のある状態では全くないだろう。「虎の威を借る狐」は健全で幸せな精神状態ではないということだ。

少なくとも、私にとってはこの状態は、本来の自分の価値観を捻じ曲げている状態で、自分を卑下している状態なので、とてもストレスフルであるようだし、大きな悪影響がある状態だな、と自分のメンタルの動きを観察していて思った。

だから、「上位者」を作るのはやめにしたい。


私にとってもし「上位者」というのがあるとするならば、それはワカンタンカ(ネイティブ・アメリカンの信仰で、全ての中に存在する不思議なパワーを表し、ある意味「天」とか「神」に近い存在)とXuuya(ワタリガラスの精霊。トリックスター。私の守護精霊)だけであろうと思う。彼らは言うなれば「神」みたいな存在で、元々人間にとって「上位」の存在を定義したものだし、彼らは人々を見守りその人らしさを育てるように導いてくれる。そういう存在なら「上位者」として考えても良いと私は思う。だが、それ以外は自分の尊厳を委ねてはダメだ。

要するに、信仰がある場合の「神」以外は「上位者」に置くべきではないと思うし、その「神」も現実に存在する人間などではいけない、と思うということだ。


自分の尊厳を他人に委ねてはならない。「自分より優れた人」を見て、「この人の言うことが正しいのでは?」と思っても、それは「そう言う意見もある」という事に過ぎないと思う。自分が間違っている訳でもないし、自分が劣っている訳でもない。そもそも「自分より優れた人」というのが、何かの点において優れていると感じるだけで、全面的に優れているとは言えないだろうし、優劣を決める価値観自体もそれは正しいものなのだろうか? 怪しいと思う。単なる個性の違いではないのか? 本当に?


私の主人は私だけだ。何人にも明け渡してはならない。


「上位者」を作りそうになったら、作っているのに気付いたら、それを思い出していきたいと思った。

楽しんで頂けたなら幸いです。ご寸志、受け付けております。