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レオ・レオーニ展の追憶

エッセイです。「スイミー」作者のレオ・レオーニの展覧会に行ってきました。

洗顔で濡れたシャツの袖は、雪の日の雨のように不快感をまとっている。私は「コーネリアス」の美しい磁器のカップを眺め、その不快を慰める。レオ・レオーニのテクスチャワークは新しい視点をもちこんでくれる。立って歩くワニのコーネリアスのように。

緑色のカップにたゆたうのは東方美人の茶だ。なめらかな口当たりは苦味を感じさせず、口腔を清らにたもち、喉をうるおしてくれる。私は歯を磨いたばかりなので、なめらかな白い歯の上を、茶が洗う感覚がこのましい。

カップを手にとる。冷たいカップの腹が、薬指の腹に触れる。なめらかで少し湿っている。口に当てる。唇に流れこんでくる茶の冷たさ。カップを置く。白木と茶色のこたつの天板は、コーネリアスの緑に映えて、冬の森を思わせた。


11月上旬に「だれも知らないレオ・レオーニ展」に行った。このカップはその時の戦利品だ。

レオ・レオーニは「スイミー」や「アレクサンダとぜんまいねずみ」などの絵本作家として有名だ。しかしその前身は、アメリカで企業広告を多く手がけ、広告美術業界を育てた1人であるという。ビジネス雑誌「Fortune」のアートディレクターなどもやっていた。また、左派の政治活動で声を上げた、社会活動家でもあった。ユダヤ人としてファシズムに故郷イタリアを追われ、アメリカでは社会主義者として当局ににらまれていたという。

あの愛らしいネズミやワニや生き物たちの優しい世界の裏に、そんな鋭利な側面が内包されていたのか、と驚いた。


絵本に描かれたレオ・レオーニの世界は、どこまでも純粋で優しい。そのメッセージは元気をくれる。

「スイミー」は1匹だけの黒い魚だ。でも、群の「目」として活躍できる。アレクサンダはぜんまいねずみを羨ましく思う。それでも最後には、自分のままで他者を助けられると知る。


展覧会では、多くの絵本原画を見た。あの素晴らしいテクスチャは、様々な画材を使って生まれていた。版画として刷ってみたり、心の赴くままに塗った紙を切り取り、コラージュにしたり、ちぎり絵にしたり。鉛筆による細密画もあれば、丁寧にクレヨンで塗った絵本もある。

どれもが丁寧に、丁寧に作られ、そして「自分のままでいいんだよ」と言うメッセージを発している気がする。


私は「じぶんだけのいろ」が好きだ。
周りの環境に合わせて色が変わってしまうカメレオン。独自の色がないことを思い悩む。だけどもう1匹のカメレオンに出会って知る。色は変わってしまうかもしれないけど、一緒の色に変わり続けてくれるパートナーがいる。これがぼくたちの色なんだーー。


旦那さんと行った展覧会。一緒に来てくれた旦那さんに、「じぶんだけのいろ」のエコバックをプレゼントした。

いつも、スーパーの買い出しに一緒に行く旦那さん。主夫をしてくれる旦那さん。一緒の色でいてくれる旦那さん。…この気持ち、伝わったかな?


「じぶんだけのいろ」のマスキングテープを購入した。切って手帳に貼るたびに、私は温かい気持ちになれるだろう。毎日忘れず手帳に貼って、そのたびにに1つ、旦那さんに感謝を言おう。


(追記)

「だれも知らないレオ・レオーニ展」は、2021年1月11日まで、板橋区立美術館で開催中です。


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