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Thermal Delight in Architecture

 本書は建築の温熱環境に関する評論文である。温熱環境そのものが人間に様々な感情を喚起させる力を持ちうること、その可能性と豊かさを説いている。さらに、それこそが安定した温熱環境を追求してきた空調技術の歴史において、不要とみなされ、排除されてきたものであると筆者は指摘する。

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 本書の具体的な内容に触れる前に、建築の熱的快適性の研究に関する背景を少し整理したい。建築環境工学分野では「暑くも寒くもない状態」を快適と定義し、人体と環境の熱収支式などを用いて定量的に快適性を評価してきた歴史がある。これらの研究はオフィスをはじめとする建築内で、人々がストレスなく活動可能な環境の設計に現在でも広く役立っている。

 このように熱的に中立な環境を最適とする「消極的快適性(comfort)」の概念に対して、温熱環境の変動により得られる快適性を評価する「積極的快適性(pleasantness)」の概念もまた、環境工学の分野ではよく知られている。積極的快適性の例としては、冬の露天風呂での体験などがよく挙げられる。寒さや暑さといった不快からの一時的な脱却に、人間は心地よさを感じる。これは、本書で語られる Thermal Delight(温熱環境の体験における喜び)の考え方に通ずる部分がある。

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 筆者は具体的に、温熱環境が、sensuality(官能性)、cultural role(文化的役割)、symbolism(象徴性)を持ちうると語る。これらがDelightful な環境のキーワードになると考えてよいだろう。
 Delightful な温熱環境として繰り返し例に出されたものは、やはり、日本の温泉やフィンランドのサウナだった。これらの体験は、熱的に中立な環境には持ちえない喜びや文化的な価値を生活にもたらす。本書におけるThermal Delight の考え方は、温熱環境を熱の変動という科学的な観点のみならず、精神的な側面や、文化的意義に言及している点で「積極的快適性(pleasantness)」 の概念とは論点が異なってくる。

 また、筆者は温熱環境を創出する物や、知覚を媒介させる物自体に宿る愛着や象徴性にまで議論を進める。温冷感は中断不可能な感覚であるがゆえに、他の感覚器官での認知や体験と結びついて記憶されることがある。それが時として、風鈴や布団などの物に、温熱環境の体験と紐づいた愛着を植え付けることなる。また、暖炉の火などは、採暖という役割を超えて、住宅における象徴的な意味合いを持つ場合がある。
 人間は37℃前後の体温を中心に極めて狭い温度幅の中で生活をしている。そのため、中立から外れた特徴的な温熱環境体験の近傍には、時に豊かな文化のエッセンスが宿りうる。

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 空調技術の進歩により、建築の形態と温熱環境はもはや因果関係を失いつつある。熱的に中立な環境こそが最適という考えを無批判に受け入れれば、Thermal Delight の体験は建築から消滅するだろう。しかしながら、日常の身体感覚を丁寧に言語化する作業の後に、意図的にdelightful な環境を計画することは可能だろう。そして、その試みの対象は決して温熱環境だけではなく、光や音など、感覚を刺激する全ての環境因子のデザインにまで広げられるように思う。

 近年は断熱、遮熱、蓄熱など建築において熱をコントロールする様々な技術が成熟したことで、建築の設計者の温熱環境計画への考え方も多様化している。そのため、スタンダードとしての「消極的快適性(comfort)」を批判する本書の内容は、初版1979年でありながも、現代の読者へ示唆する部分に益々深みを増しているのではないか。
 ただし、これが決して「消極的快適性(comfort)」 の追求という環境設計の態度を否定する根拠にはなり得ないことを、念のため最後に確認しておきたい。


書籍情報
Thermal Delight in Architecture, Lisa Heschong, The MIT Press, 1979


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