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退院と、現実と、今と…

リハビリが進んでいくと、だんだん歩けるようになる。
トイレまでは車椅子だったのが、付き添いだけで済むようになる
多少ふらつくが、倒れることもないので、横に付き添われながらトイレに行くことになる

食事も胃に入るようになる
今までは、辛うじて食べていた物が、スルスルと胃に入っていくようになる
リハビリという名の運動をしているのだから、当然だろう。

シャワーも、付き添いがつきながらも、チョコチョコ入ることが出来るようになる
もう、おしぼりで顔を拭くと薄茶色になるようなこともない
シャワー室に付き添ってもらい、自分でシャワーを浴びるようになる

そうすると病院で次にやることが無くなってくる
そこそこ歩ける、縫い後の傷はふさがって糸も取れた。
そうなると、病院に置いておく理由もなくなってくるのだ…

「退院」という二文字が頭をよぎるようになる
ちょうどその頃、執刀医がやってくる
傷跡などを一通り眺めた後「退院しようか!」と伝えてくる。
あぁ、ついにこの状況から解放されるのだ…!なんと嬉しいことか…

そしてその時に、もう一つのことを聞いてみる
「この右耳、いつ治るんですかね…?」
すると、医師から帰ってきた答えは、あまりにも残酷で、冷徹な現実を伝えてきた

「ちょっと、難しいかもしれない。普通は、手術後も少しは聞こえるはずなんだけどね…。半年くらいで回復した例もあるけど」

自分にとっては、その一言は、死刑宣告と同じだった
左耳、中程度難聴の左耳、これ1本で生きていかないといけないのだ

結局残された物というのは

・顔面麻痺が若干残り、右目は涙も流せず、目を閉じるのにも苦労する顔面
・結局、治ることなく、2つに見える目
・聞こえなくなった右耳
・取れた脳腫瘍

……手術など、受けるべきではなかったのではないか…
このまま腫瘍が大きくなって、そのまま命果てた方が、良かったのじゃないか…?

その表情を見ながら、執刀医は
「腫瘍がでかかったからね…」
と、一言伝えて去っていく…

近代医学の限界は6割残すのが限界と言っていたのに、1割すら残せなかったのか…?
じゃ、この右から聞こえる、聞こえ続ける異音は、いったい何なのだ?
俺はこれから、どうやって生きていけばいいのだ?

執刀医が去ってから、布団を被って、声を殺しながら泣く
が、涙は左からしか流れない
自分の右半分は、まるで活動をボイコットするかのように、何もしてくれない。

そして、その状態での、退院

家に帰って、少し食べたい物を食べにいこうと、車のハンドルを握ってみる
が、右に左に見える物が違って、運転が出来ない

車に乗ることも出来なくなってしまったのか…と、何とも言えない悲しさが広がる

そして日常生活に戻ってゆく…

会社にありのままを報告し、泣き崩れる
「ゆっくりで良いから、たまに散歩がてら、こっちに寄ってくれればいいから、ゆっくりでいいんだからな?」と言ってもらう…
その言葉に、また涙が止まらなくなる

そして、今に至る
毎朝、朝起きるたびに、聞こえない右耳を感じ、暗く、悲しい思いになる
そのくせ、右耳は訳の分からない音、痛みだけは感じるのだ…

正直を言うと、独り身なら、おそらく今、自分は既に生きていないだろうと思う。

嫁がいて、守るべき人がいるのに、早まった真似は自分勝手すぎるから、出来ない。と言うのが本音だ…

嫁には「もう無理だと思ったら、いつでも実家に帰って良いんだからね?後はこっちで何とかするから」と、伝えてある。

とりあえず、半年で回復した例もあると言うのであれば、それを信じてみようと思う。
が、それを過ぎた後に関しては、正直どうするか、どうすればいいのか、解らない。

正直、一生これだとしたら、どうすればいいのか、解らないのですよ。

拳銃がそこに転がっていたら、今すぐにでも自分は引き金を引くと思う。
そんな状態なのですよ…

そして、今日も生きてゆく…
歩くとふらつき、右目はドライアイに苦しめられ、右耳の聴力はゼロ

でも、半年を信じて、生きています…
ただ、半年経った後に関しては、解りません
暗いけど、これが本音なのですよ…

可能性は信じていきたいけど、その可能性がゼロになったら…
考えたくないけど、色々頭をよぎる。そんな中で生きています。

とりあえず「今日は早まった真似をしないで生きることができました」
それを繰り返して、今も生きております。

もし、気が向いたなら…