バブルの頃#190:製品に罪はない

1999年から2001年にかけて米国発のITバブルが一段落した後、次のキーワードは欧米ではなくアジアかも知れないと予感しました。この予感に基づき未体験のゾーンに踏み込むことにしました。渋谷のビットバレーとよばれた(年長者にいわゆるビジネスモデルを提案してカネを集めたオニーチャンたちの夢のあと)地域は、存在したという事実が記録されるにとどまったようです。こんどは長年の歴史と伝統をいまだに風化させていない新宿2丁目。この近所にオフィスを構えている東アジアの半島から来たソフトウェア会社に転職しました。

2丁目の有名人の一人は、イタリア語で涅槃を意味するレストランを経営しています。毎朝、この店の前を通ります。ウェイターには、きれいな男の子をそろえているので、ランチタイムは年配の女性客が多く目につきます。ずいぶん年取ったはずの本人も元気に料理を運んでいます。この人たちは体力が勝負なのでしょう。門外漢の知識はこの程度なのですが、この程度の知識もコンタクトもなかった東アジアの社会に入り込むことになりました。

この会社が抱えている問題点は、祖国での強みが日本で通用すると思っていることでした。製品紹介を聞いていると、ところどころに日本人が使わない言い回しがでてきます。その時点で、企業の基幹システムにからむ重要な業務(ミッションクリティカルな案件)を任せることに、余分な努力と理解が必要となります。どれだけ流暢に日本語を話したとしても、日本人には違和感があるということを学習できていないのです。金髪の青い目なら許せるのに、同じような顔をした誇り高い民族に言葉の違和感で腰が引けてしまう企業経営者が多いという弱みがあることに気がつかないのです。

米国で同業者を集めたトレードショーに出展し、製品の優位性が認められ受賞したりするのですが、「当社の製品は競合他社製品に比較して優位性があるのに、ユーザに受け入れられない。二流品と評価される。ユーザが欧米企業の製品を選ぶ理由が分からない。」という、トレードショーに参加した半島生まれの技術者の出張レポートを読むと、弱みがすぐ分かります。つまり、ブランドイメージなのです。ブランドには、品質の信頼性がくっついています。企業の盛衰を左右するようなシステムを、無印良品に任せるリスクを大手日本企業の多くがとらないのです。

我々が提案したコーポレートブランドイメージ向上のしかけは、日本企業開拓には日本人マネージメントが担当するということでした。会社を売り込み、製品を売り込む前に、売り込む人間を相手に受け入れてもらうことが、第1ステップでした。ソフトウェアは、目に見えない商品です。現場の人は、開発案件の結果がどうなるか分からない状況で、発注するのです。世間一般に通用する名の知れたブランドなら、それだけで信用保証となりますが、ノーブランドを選ぶには、担保が必要です。それがヒトです。商品は無名で導入実績も少ないとなると、信用保証としての担保は、カウンターパートナー、ヒトということになります。商品は目に見えないので、購買は販売する担当者が信用できるかどうかで決まるのです。

外資企業が日本人マネージメントを特命全権大使として受け入れるかどうかが、結局最後までついてまわりました。日本で展開する銀行や自動車会社の経営者が非日本人で成功しているということとは、大きな違いがあります。東アジアの半島というBグレードブランドイメージがネックになっているのです。

事前調査では、製品に罪はないことになっています。

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