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金言-994:心を買うための資金

貸したカネはあげたものと思え、戻ってくるのを期待しない方がいいというのが世の中の定説です。返すあてもないのに友人知人親類からカネを借りるという設定のドラマがよくありますが、実生活では一度だけ経験したことがあります。借りる役ではありませんでしたが、あの時、カネを貸してくれとは言われませんでした。「くれ」といわれました。回復不能な重病を患い、職も失いという厳しい状態でキャッシュフローに行き詰った局面だったようです。結局この人に会って話をしたのは、カネを渡した日が最後でした。その次はICUでの面会、そして葬儀告別式となりました。香典を本人前渡ししたみたいな感じ。この件、ご遺族には伝えていません。

別にもう1件ありますが、このケースは勉強になりました。取引先のカウンターパーソンで私的な出費がかさんだので一時しのぎに貸してくれというものでした。今まで以上に商いの距離が縮まれば幸いと思いましたが、期待は裏切られました。距離は縮まらず、なんとなく疎遠になりました。取引先のCEOが教えてくれました、稼ぎ以上にパチンコの出費がかさんで、返済ができなかったようです。それでも1年後にまとめて返済がありました。取引先はその1年後に倒産しました。倒産1年前に、先行き不透明なので取引もやめました。運よく私的な金銭のやりとりもなく、損切りしないですみました。勉強したおかげです。

また、世の中にはカネで買えないものがあるといいます。モノは買えるが心は買えないとかいいます。いずれ返してもらいたい額のカネを渡した場合、借り受けた相手の心、例えば忠誠心とかは、おまけに付いてきません。これは金融業者には常識でしょうが、金貸しを生業としないとわかりません。貸して初めて学習します。

ところが、貸すのではなく、ただであげる場合は違います。金品を貸与ではなく無償譲渡する場合は、心がおまけについてきます。ついてこない場合もありますが、この場合は渡す相手を間違えたということです。金額の多寡にかかわらず、定期的に見返りの期待をしないで提供を続けると、たくさんおまけがついてきます。
結局、カネで買えるじゃんというわけです。

80歳に近くなっても、権力とそれにまつわるカネを諦めない人は、周囲のとりまきの心を買い続けるために潤沢な資金が必要なのでしょう。とりまきの心を買うためのカネはいくらあっても足りません。

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