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映画「花束みたいな恋をした」

ずっと見たかった映画
本当は映画館で一人で見たかったがなかなか
時間が作れずにレンタルになってしまった。
観終わってやっぱり映画館で見るべきだったと後悔…

ザ映画って感じ
前にも思ったことがある。
「ナラタージュ」だ。

映画館で観たくなる静かな映画。
アクションとか迫力があるものを映画館で
観たくなるのは当然のことだが
感傷に浸れる映画も映画館で見るといいことがある。
それは【静寂】だ。
もちろん映画館は大音量で音が降ってくるが
同時に防音もされているので他からの邪魔がない。
そのため静かなところはとても静かに
物語に入り込めるのだ。
あと、一人で見た場合
自分の感情に向き合える。
これもいいところだ。



花束みたいな恋をした

この映画はまるで小説を見ているような
想いにさせてくれた。
セリフが綺麗だな…と
主人公がお互いに語り合ってるナレーターの
影響もあるかもしれない。

そして今のご時世に見ると感じることがある。
やはり文化や芸術は人の生活に欠かすことの
できないものなんだということだ。
この物語は時代とともに数々の本や音楽、映画や舞台などが出てくる。
そのどれもストーリーに欠かせない2人を繋ぐカギにもなっている。
もちろんこのストーリーの中で生きている
一人一人のにとってもそうだと思う。

人が生きていく上で
必要なことを大きく「仕事」と「生活」と分けるとするならば
文化や芸術と呼ばれるものは必要ないと思われがちである。
生活の衣食住には必要ないし
なぜか芸術系の仕事は遊びだと思われる面がある。


新型コロナが蔓延してから
ライブは続々と中止や延期。再開の目処がたってもまた延期。
舞台や映画も席の間隔を開けるため一度の収益が減り
展覧会や個展なども前のような集客が見込めなかったり
入場制限をかけたり…

ほんとに必要ないと言えるのだろうか…?

それを楽しみに普段の仕事や生活を頑張ってる人は大勢いる。
ましてやそれを仕事にしている人もいる。

芸術や文化は
心に彩りを与えるものだと私は思う。

確かに無くても生きることは
できるかもしれない。
でもそれはただ生きているだけにならないか?
楽しみや生き甲斐がない人生は
楽しいのだろうか…?
本当に生きていると言えるのだろうか?

そんな疑問がふつふつとわいてきた。

また飲食店特にお酒を提供して遅くまで営業している
居酒屋やラーメン屋など
終電を逃してしまった人。夜遅くまで仕事をしていた人。
交流を深める飲み会。

こんな場所がどんどん減っていってしまっている。

一時的だと思われた自粛もずっと続いている
終わりの見えない苦しみほど嫌なものはない。

こんな心に彩りを与えてくれるものや場所が
どんどん無くなり
ひとりひとりが生活している。

あと何年続くのだろうか
誰が悪いでもない。もう誰かのせいでは片付かない。

この映画の中のような
日常はもう帰ってこないのだろうか。

そう思うととても悲しくやりきれない気持ちになる。

こんな時代もあったな…
ではなくまたこの時のように
人生を楽しみたい。

そんな日々を願って
感染対策をして映画館へ行き
飲食店で外食をし、CDを買い、DVDを買って過ごす。

こんな状況だ。好きな店・アーティスト・場所が
いつ無くなってもおかしくない。

周りに迷惑をかけない範囲で自分にできることをして
応援をしていきたい。


この映画…
映画館で再上映してくれないかな…

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