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『人間に向いてない』 黒瀬いづみ

予定がなくダラダラと過ごせる連休には、エンタメ性のある小説が読みたくなる。
そんな気分で選んだ一冊を紹介する。

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突然、とある現象が流行するようになった社会。
奇病、と言っていいのだろうか。人が、ある日突然、とんでもない形のものに変身してしまうのだ。
それは、動物のようなものだったり、アメーバのようなものだったり、あるいは植物のような。アメーバ状の体には目や口がついていたり、植物の枝のように生えているのが腕だったりと、元の本人の要素を残しているだけに一層グロテスクな変異である。

この病に罹るのが、主に、いわゆる引きこもり、ニートと言われる若者だというのが、作者の残酷な設定である。
もともと社会からはじかれている者達が罹る、治療法のない不気味な病に対し、政府は、罹患者を死亡者として届け出させるという措置を取る。

そして、専業主婦の美晴の家庭を、この奇病が襲うところから、小説は始まる。

高校を中退してから家で引きこもりになっている20代の息子が、ある日突然、中型犬サイズの芋虫(胴体に無数の指つき)になっている。
おぞましいその姿にもちろんのこと狼狽するも、いつかは、という思いもあっただけに、懸命に現実を受け止めようとする美晴。しかしそんな美晴に対して夫は、息子の死亡届をさっさと提出し、その不気味な虫は息子ではない、処分しろ、と無情な態度を崩さない。

美晴は、藁にもすがる思いで「家族の会」に入る。子供が変異者となった親同士、情報共有し、息抜きをし、支え合おうという趣旨の会。しかしその名目は形骸化し、メンバー同士で派閥が作られているのが現状だった。
作者がこの会を通して登場させる数人の人物の、それぞれに背負っているもの、また集団の中で変形してしまう人間性の描写は、深みがあり、この路線での作者の小説も読んでみたいと思った。

この小説のひとつの大きなテーマは、「母親」である。
全ての女性が、世間で「母性」と考えられている性質を持っているわけではない。
逆に、世間では女性的とされるきめ細やかな情緒を備えた男性もたくさんいる。
しかし、そんな個々の性質とは関係なく、子供というものが本能的に、柔らかい体と高い声という特質を持つ女親に求めてしまうものがあるのかもしれない。
小説には全く書かれてはいないのだが、そんなことをツラツラと考えたりしながら読んだ。

物語は主に美晴目線で書かれ、異形になった息子についても、ずっと、あくまで母親から見た語られ方しかしない。
しかし最後の最後に、変異した息子自身の語りが登場する。美晴の「母親としてできることをやってきたつもり」が、息子にはどのように受け止められていたのか。その落差に戦慄する。

しかし息子の変異という絶望的な出来事は、皮肉にも、2人の心の断絶に修復の可能性を与えていた。
息子の独白から入る終章の展開には、はからずも泣いてしまった。
泣いた後に待ち受けていたオチの効いたラストも良かった。

未来を憂うことなど、美晴はとっくにやめてしまった。これからまた信じられないことが起きたとしても、それはやがて日常のひとつとなる。非日常と日常は紙一重だ。恐れることなどなにもない。

それまでずっとウジウジとした女性だった美晴が、最後には脱皮したように強く軽やかになる。彼女が絶望を乗り越える時に支えになったのはまた、その母だ。
その母親のセリフが胸に響いた。

あたしがあんたにしてやれることといえば、あんたがいつ家に来ても迎えてやれるようにすることくらいなもんさね

編集か校正か、粗さが気になる箇所はいくつかあったが、面白い小説だった。
ただし、おやつを食べながらの読書には完全に不向きなので、そこはくれぐれも注意されたい。