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リスボンへの夜行列車

『リスボンへの夜行列車』 パスカル・メルシエ

素晴らしい頭脳の持ち主だが、地味で面白みのないギムナジウム教師グレゴリウスが、ある日偶然出会った女性をきっかけに、突然、仕事を投げ出して出奔する。

大まかな筋だけ書くとまるでミステリーかファムファタルものか、エキセントリックなロードノベルのようだが、本書を一言で言うなら、哲学書である。それも、とびきり素晴らしい哲学書である。

たしかに、ミステリー要素はある。
主人公を狂わせた女性は、劇的な登場以降影を潜め、その彼女にプラスして謎めいた過去の人物、その妹、危険な地下活動など、主人公を引きずり込む謎が次から次へと手を伸ばす。
そして、たしかにファムファタル要素もある。
くだんの女性は、登場の仕方、服装、言動全てにおいて完璧に、ハードボイルドミステリーの謎のヒロインめき、登場回数の少なさにも関わらず強い印象をうがっているし、さらに他にも、男の人生を大きく揺さぶる女性の登場がある。
さらにはたしかにロードノベルとも言えるだろう。
主人公はベルンを飛び出してリスボンへ向かうが、その後またベルンに立ち戻ったり、今度はチューリヒへ飛んだり、わりとちょこちょこと移動し、終盤ではスペイン西端の岬にまで旅をする。客車での出会いや旅の風情も味わい深い。

ミステリーでありファムファタルでありロードノベル。だがしかし、改めて言うがこれは骨太の哲学書だ。
女性に魅了され、謎の人物のベールをはがそうと奔走する主人公の行動を追いながら、ページを埋めるのは、主人公の沈思黙考と、謎の人物が書き残した本の抜粋である。
この抜粋がまたかなりの部分を占め、素晴らしく読み応えのある哲学的思索なのだ。

文章を引用したいが、素晴らしい部分が多すぎてとても絞って挙げることができない。
一冊まるごと、引用したい文章に埋め尽くされている。

ミステリー要素とは言ったが、息もつかせぬ展開でページをめくる手が止まらない、といった類いではない。
むしろ、ベッドサイドに置いて時間の余裕がある時に開き、主人公と長い付き合いの友人のように親しみながら(「ちょっと久しぶりになったね。元気?」)、長期に渡って読み進める方が本書の扱い方としてはベターなようにも思われる。
なんなら聖書のように、いつでも手に取って開けば、その時その時の何かを受け取ることができる。そんな一冊にしてもいい。

地味で難解で長い。ので、読者を選ぶ本だが、この本を好きな人とはぜひ友達になりたいと思う。