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『フラワー・ガーデンの一日』 高橋たか子

私は例えば、真夏の炎天が何日も続いて、土が灼けたように白くなり、ちょっとほじくり返しても湿り気のある土など出てこず、乾きすぎた地面がところどころでひび割れているといった、そんな場所を、一日でいちばん暑い盛りに、ただ一人で果てしなく歩いていくのが好きである。

こんな、まったく共感できない独白から始まる。
このかなりの曲者らしき「私」はある真夏の日に、フラワー・ガーデンに行ってみようと思いつくのだが、その理由が、「花もない花木の、おびただしい株が、日照り続きの焦げつくような空気のなかで、正気を失い、熱い息を吐き、だらりと葉を垂らし」ているのを見たいからというのだから、やはりとんでもない曲者である。

そんなに息巻いて出かけたにも関わらず、駅前にあると思ったらバスで十分ほどかかることがわかり、どの停留所のバスに乗ればいいのかわからないとなり、私はさっそくやる気をなくす。さらに商店街のスピーカーが流す流行歌にあたって、「私の強烈な夢想は、とろとろと溶解し、あいまいに薄れていき、そして私は、いま自分がなぜこの駅前に立っているかを、ふいに理解できなくなった。」と、もはや意識朦朧だ。

そうこう言いつつもどうにかバスに乗り込み、フラワー・ガーデンにたどり着くのだが、果たしてそこは

この面白くもない現実世界で、ほんの時折だが、私は夢想の光景に出会うことがある。フラワー・ガーデンはまさにそんな光景の一つであったのだ。

かなりお気に召したらしい。

フラワー・ガーデンでの散策のくだりは、読み手をまさに夢想の世界に誘う。
干上がったプールを掃除している庭師との会話など、不条理な夢の世界そのものだ。

不気味な庭師に指し示されて向かった温室で「私」はサボテンと熱帯植物を見て、交合に昂ぶる男女を連想する。そしてこの考えをこれから「彼」に伝えに行こう、と思い立つ。突然登場する彼とは恋人だろうか。
そうして私はフラワー・ガーデンを後にするのだが、これまた道中で思いついて、かなりびっくりな「おみやげ」を彼に持っていくのである。。。


夢想と官能の織りなす世界に、酔いが回る。一度読んだら強烈に記憶に残る怪作だ。

白日夢を見る能力は誰にでもあるわけではないが、訓練によって見ることができるようになるものと私は思っている。小説家のしていることというのはこういう訓練なのである。

作者あとがき

本作が収録されている『白い光』は、詩集のような装丁と上質な紙、そしてルドンの挿絵も効いている、愛蔵版と呼べる一冊だ。気になる方は、ぜひ古書店で探してみてほしい。