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『容疑者の夜行列車』 多和田葉子


この読後感を、どう表せばよいのだろうか。

二人称小説。
この本が語るのはあなたのことだ。
語られるあなたはいつも、寝台車での旅の途中。ストで足止めをされたり、怪しい人物に近寄られたり、うっすら犯罪の匂いのする現場に居合わせたりする。
しかしトラブルは大事に至ることはなく、あなたは少し焦ったり立腹したり居心地が悪かったりするだけで、それらの突発的な状況をどうにか受け流しながら旅を続ける。
そして、あなたは多くの人と出会う。車中での一期一会の出会いは、鮮烈な印象を残す。


本書に、こんな一節がある。

じっと目を凝らすように足を凝らしてみると、冷気の流れが見えてくるような気さえした。くるぶしも目の一種なのだ。

この小説を読むのも、そのような感じだ。
あなたの五感は、文章の間に誘われる。
じっと心を凝らしてこの本を読むあなたは、ザルツブルクの凍てつく駅で発車のベルを聞き、ユーゴスラビアへ向かう列車の揺れを感じ、シベリアを走る寝台車のコンパートメントの中で干し魚を味わう。

巧みで流麗な文章に導かれて、あなたは出会い、見聞きし、感じ、考える。
現実のあなたではないあなたとして。
それはいつまでも続けていたくなる心地良さだ。


しかし、そうしてあなたが心地よく列車に揺られていると、突然文章が問いかける。

あなたは覚えているか、いないか。

問いかけるのは誰なのか。そして、誰に向かってあなたと言っているのか。
あなたは不気味になってくる。

わたしと出逢ったあの列車のことを覚えているか。

ここであなたは心地よい列車の揺れから突然引き上げられ、足場をなくす。

あなたは軽くパニックになりながら、153ページの最後の段落を何度か読み直すかもしれない。

そして、なんとも言えない読後の余韻が落ち着いた頃、またこの本を始めから読み直したくなるだろう。