田中一村 夢の果てを見る。
あなたと会う日、私は早く目が覚める。そして布団の中でスマホをいじってしまって軽く後悔する。「早く起きてしまった。。遠足かよ。。」と送る。
そう、遠足なのだ。この歳になっても遠足があってうれしい。それだけでなく、楽しみな遠足なのがうれしい。
隣に眠る、娘の傷のなく白い皮膚を見る。私はこの人を手放すことができないことを、知っている。本当に?本当に。
枕元に置いてある詩集を開いた。「海のうた」で知った鳥さんの瞼さんの「死のやわらかい」
うだうだしていたら夜は明けていて、あなたは(多分)(今ごろ)新幹線で本でも読んでる と思った。
「まくらってなんできもちいいんだろう?」と寝ぼけた顔の君のつぶやき
まくらに顔をつっぷしたまま、むすめがむがむが起きて言った。
着替えて、顔を洗い、朝ごはんの準備をして、朝ごはんを食べて、布団を畳んで掃除機をかけて、乾燥機の中で洗われ眠っていた食器を片付けた。まだ雨は霧雨なのかそうでないかくらいなので、自転車で出かけた。
駅に着く、電車を待つ。返信がないけれど来るだろうか、と思う。いままで変な確信をもっていたけれどそれは経験則でしかなくて、わたしだったら来ないかもな、と思った。
あっさりと上野駅についてしまって、鉱石やエジプシャンボトルを置いているお店をみていた。エジプシャンボトルが欲しくて、チュニジアで買ったんだった、と思い出した。今は実家にあるであろう青い小さなボトルには、掠れた金で模様が描かれていたと思う。まだあるんだろうか?
改札で待っていると、道の奥の方から歩いてくる人たちの中に、あなたを見つけた。いつも、なんで見つけられるのかと思うほど容易いけれど、あなたは気づいていないようなので地図を見るふりをして道に背を向けた。
改札を出て行った背中を追いかける。相変わらず歩くのが早くて思わず声をかけるタイミングを逸してしまって「うしろー!」と送る。
なんか拍子抜けするほど普通に目の前にいて、ちゃんと存在していて、笑ってしまった。
色々話しながらモネの長蛇の列に驚きながら都美術館に向かう。モネの人を半分こちらに持ってきたらいい、というくらいの人の数の田中一村展、職場でもどこでも「田中一村?だれそれ」と言われるのであなたが田中一村を知っていて、さらには近代の日本画家の中で一番好きかも、と言われて驚いた。
館内はそれなりに人がいて、今日は時間もあるし、一緒だし、とゆっくりひとつひとつ見ることにした。いつもは時間がなくてさーっとみて好きなものをじっくり見る、という勿体無いことをしているので、とても新鮮だった。
田中一村という画家はわたしにとって重要な記憶の中にある。奄美大島に行っていた時、当時であって仲良くなった小学生の家に1週間くらい居候させてもらっていた。当時小学5年生と、3年生の女の子に、「奄美大島の好きなところをおしえてほしい」といったら、「海!」のあとに「一村さん!」と言われたのだ。
一村さん?一休さんでなく?とはてはて、と思ってそのお家の人たちに連れて行ってもらった田中一村記念美術館は、伝統的な高床式の意匠を、モダンにデザインされた美術館は回廊で繋がっていて水の上に立っていた。
仄暗い展示室で、光に照らされていた「一村さん」の絵に度肝を抜かれた。その色彩の感覚、線から、湿度や光、温度が感じられる、一村が見ていた奄美の景色が、そこにあった。「ねぇ、良いでしょう?」とわたしを覗き込む澄んだ黒い二つの瞳に、わたしは何度も頷ずくことしかできなかった。
それから何度かまたみたいと願って、ようやくの機会が叶った展示だった。
今回はまた違う観点で展示をみることができた。一村の生涯だ。
子供の頃の絵が残っていることは、しかもそれが返礼品に使われているなんて、自分が絵を描いて家族を支えなければならなくて中退しても描き続けて、どれだけプレッシャーだったろうと思う。さらりと描いた小鳥が歌いそうな冊から、徐々に青年期に入って苦悩や、売るための絵に描かれた花に蝶は止まりそうになく、しんどさがただよっていた。
千葉時代の掴みかけた感じを一村はまた手放して模索して迷い惑い、観ているこっちがはらはらするような歩み方を絵から感じた。なぜそっちへいくの、こっちを極めたら道は近いよ。といいたくなる様な。時折やっぱり掴みかけて、違う方へ歩んでゆく一村の足跡を、知らず知らずに私は辿っていた。
一晩経って思うことは、「その道を全部試して修練して通ってくるしか、道がなかった」人だったのだと思う。あなたは少年漫画的な努力をして理想を目指しても、それが報われるかどうか、現実世界ではそうとは限らない、というのを話していたけれど、一村はそれに絶望しながらも愚直に描くしか、なかった。
描かない、という選択肢もなかった。
それは、愚かだと周りには見えるかもしれないけれど、そのすべての結実が最後の部屋の絵だとしたら、なんかもうそれはちゃんと人生を賭けて、そして報われていると言えるのではないかと思った。全部、美に、絵に賭け続けた人生の果てを私たちは見たんだ。
経済的にも報われて欲しかったけれど。
ただ、庭にくる生き物たちを見る時、散歩で植物と出会い日々観察し、それを絵に起こしてそれらの花々が咲く時、鳥たちが鳴き、蝶が舞う時、
ちゃんと幸せだったんじゃないか、と最後の絵を見て思った。一村が見た光や、風や、静寂、生き物の気配が、ちゃんと閉じ込められた絵は、時間をかけてゆっくりとできた美しい鉱物の結晶を思い起こさせた。
ふと、あなたが一村の絵を観ている姿を観て、美しいな、と思った。白いシャツも、白梅と一緒にほのかに発光している様で、わたしはこの人が好きなんだな、とも思った。
大学生の頃、あなたは初めてだと言う西洋美術館に一緒に行って、常設の展示を観た時、同じことを感じたのだと思い出した。
たくさんのことが変わった世界で変わらなかったことを、一つ見つけた気持ちになった。
お茶をしながら、めちゃくちゃ一村のこと、絵のことを語り合って、図録を広げて
これが!あれは!とかやるのが楽しかった。数ヶ月分きっと話した。
美術館の売店でコインロッカーに財布を忘れ、スマホ決済できなくて、一緒に買ってもらったポストカードを夜、部屋で見た。しばらく見ていたら、十分に羽を休ませた蝶はまた窓の外へ飛んでいきそうだった。
それもまた、青白く仄かに光る蝶だった。
蝶は、亡くなった人の魂の化身だという。
願わくば一村も美しい蝶となって、大好きだった奄美の地で舞っていてと思って眠りについた。