【意外と知らない!?】スロットの歴史とは
日本ではパチンコ店がたくさんあるため、スロットゲームと言うととても身近なゲームに感じます。また、ゲームセンターにもスロットゲームが設置されているので、子供のころにプレイしたことがあるという人も多いのではないでしょうか?
そんな私たちにとって身近なスロットですが、スロットがどのように誕生したかはご存知ですが?実はスロットには長い歴史があり、多くの変化を経て現在のような形として普及しているのです。
この記事ではスロットの歴史について紹介します。
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スロットマシンの誕生
現在日本で幅広くプレイされているスロットですが、スロットの起源は日本ではなくアメリカにあります。
世界で最初に誕生したスロットマシンは1891年のニューヨークのブルックリンで開発されたと言われています。このマシンはプレイヤーがレバーを引くとスロットが回転するという現在のものに近いマシンだったとされています。
このスロットは5つのリールからなるものでした。そして当時は当たりが出たとしても現金が支払われることはなく、バーでのドリンクやタバコとして報酬が与えられる仕組みとなっていました。
そして、1899年のカリフォルニアではあらたなスロットマシンが誕生します。これはCharles Fahy(チャールズ・フェイ)が開発したもので、3つのリールと5つのシンボルからなるのが特徴です。
そして、シンボルには蹄鉄、ダイヤモンド、スペード、ハートおよび自由の鐘の合計5つが採用されました。最初に開発されたマシンとは異なり、自動的にコインは払い出されるのが特徴でした。
Charles Fahyが考え出したスロットマシンは現在のものとほとんど変わらず。その後彼はミルズ・ノベルティ社とパートナシップを組み、原版の「ミルズ・リバティ・ベル(Mills Liberty Bell)」を製作します。そしてこれが、広く普及するようになったのです。
これによりCharles Fahyはスロットの生みの親とも言われています。
スロットマシンの電気化
Charles Fahyが開発したスロットマシンは電気を一切使用しないアナログなものでした。そして、1950年代になると電子式マシンが誕生し始めます。
しかし、当時のテクノロジーはまだまだ発展途上であったため、電子式のスロットマシンを開発するには莫大な生産コストがかかりました。
初期のころに開発されたスロットマシン「ビッグバーサ(Big Bertha)」の生産コストはなんと15万米ドル、現在の通貨価値にして約150万米ドルという金額になります。
しかし、時代と共にテクノロジーも進化し、徐々に生産コストを下げつつ、電子式スロットマシンを開発するのが可能になっていきます。
1960年代中ごろには「マネー・ハニー(Money Honey)」と呼ばれる電気式スロットが誕生します。このスロットマシンはマイクロプロセッサーを採用することにより音が使用でき、没入感の次元を加えました。このように少しずつスロットマシンが進化していくのです。
コンピューターの誕生とスロットマシン
スロットマシンに電気を使用することによって、スロットマシンの在り方が大きく変わりました。それに更なる変化を加えたのがコンピューターの誕生です。
コンピューターが開発されたことによって、1980年代になるとスロットマシンをプログラムすることが可能になります。そして、スロットマシンが多様化するようになるのです。また、スロットマシンに紙幣を使用できるようになり、より利便性も高くなります。
1990年代になると、ヨーロッパを中心にオンラインカジノが誕生し始めます。オンラインカジノではランドカジノにあるようなシンプルなスロットマシンではなく、豊富なテーマやボーナス機能を備えたスロットマシンが誕生します。また、最新テクノロジーを使用しているため、ハイクオリティのグラフィックやサウンドを楽しめるのが特徴です。
スロットマシンの日本への上陸
スロットマシンは主にアメリカで誕生し、広く普及してきました。そんなスロットマシンが日本に持ち込まれたのは第2次大戦終了後の1945年ごろだとされています。
この頃沖縄にはアメリカ兵がやってきて、その時にスロットマシンが持ち込まれたとされています。そして、沖縄でギャンブル機として使用されていたのです。
その後、1954年になると沖縄のスロットマシンを北海道内のホテルや喫茶店、キャバレーなどで営業したいという業者が現れ、沖縄以外の場所でスロットマシンが普及するようになります。
さらに、1950年代の中頃に日本の「セガ・エンタープライゼス」社がアメリカの「ミルズ」社と提携します。そして、ミルズからスロットマシンに関する特許を買い取り、「ハイトップ(筺体)」と呼ばれるミルズの特徴的な筺体のマシンのコピー品が製造されたのです。
これをきっかけに日本国内でもスロットマシンの開発が進み、日本生まれの「初パチスロ」などが誕生するようになりました。そして、パチンコが流行するようになったのです。
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