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『星の子』今村夏子 読書録♯1

読書に親しむようになって15年ほど経つ。ただ漠然と読んで、読み終わったらすぐ次の本にというサイクルが少し空しくなってきてしまい、読んだ本の内容を残してみたいと思いnoteに読書録として記す事にした。

記録1作目となったのは『星の子』(朝日文庫)。今村作品は『こちらあみ子』、『あひる』を読んでおり、今作が3作目となる。『星の子』は主人公、林ちひろの視点で語られる。両親は怪しい宗教にどっぷりとハマっており、そのせいで姉は家出をして戻らず、親戚とも何年も疎遠な状態が続いている。

今村作品の特徴として感じるのは、極力細部を語らないところにあると思っている。思考の描写は常に主人公のみ、あとは主人公と他者の会話で進行されていく。新興宗教が題材となると奇抜な儀式や、教団の厳しいルールがあり、時には人が死んだりといった禍々しいものを想像するのだが、今作では象徴的な行為としては頭に神聖な水で濡らしたタオルを置くということ以外目立ったものはなく、その集団に属しているということ以外は一般人と変わらないように感じられる。しかし作中でちひろの家は引っ越すたびに小さくなっていき、両親はほとんど食事をとらなくなる。明らかにおかしい事態になっているはずなのにその事には触れられない。

こういった事が淡々と出来事として書かれる。そして家族以外の他者も直接的な言及はしないのだが、会話の中の間やしぐさによってその異様さと居心地の悪さを伝えてくる。読者としては想像が止まらない。教団に属していることが近所にばれて引っ越しを余儀なくされ、金銭的な問題でどんどんと狭い家になっていったということなのだろうか?食事を極力しないのは信仰による理由なのかそれとも自分たちの食事もままならないくらい困窮しているのか?など、ハッとなってイメージを膨らませどんどん不安が押し寄せてくるのだ。

この作品は「家族の再生」とか「信仰とは?」とかそういう類のものではないと思う。今村夏子によってしか掬い取られなかったある家族の記録。ラストの3人が寒空の下ひたすらに流れ星を探すシーンでもなにか大切なことが語られるわけでもない。家族がただ家族としてある。しかし読者はそこに無限の言葉を感じ、探そうとしてしまう。ほんとうに何もないのか?ほんとうは何かあるのか?答え合わせができないまま物語は終わる。そして読み終わった読者は空白を埋めるように物語を反芻する。今村作品は読後も長く長く心にとどまり続け、それぞれの中で続いていくように思う。



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