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彼は本当にやっていないか~愛知・男児連れ去り殺害事件~

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2002年7月28日深夜

愛知県豊川市白鳥町の複合型施設駐車場の駐車場で、「子供がいなくなった」と探す男性の姿が見られた。
友人やその子らとゲームセンターに遊びに来ていたというその男性によれば、一緒に連れて来ていた子供の姿が見えなくなったのだという。
施錠された車の中で寝ていたはずの乳児が忽然と姿を消したということだったが、大勢の人で賑わっていたその駐車場において、不審者や連れ去りを目撃した人間はいなかった。

翌朝午前5時50分。
駐車場から4キロ離れた三河湾に、幼い子どもの遺体が浮いた。
村瀬翔ちゃん、当時1歳10か月。
その日着ていたミッキーマウスの甚平を身に着けたまま、擦り傷以外目立つ外傷は見当たらなかった。

疑われた父親

翔ちゃんの遺体が発見されると、父親の村瀬純さん(当時26歳)は記者会見を開いた。親族と同席のその会見は、少しでも情報を得られればという父親の苦渋の決断であったが、それが裏目に出た。
そもそも、深夜に1歳の乳児を車に置いたままでゲームに興じていたという、親としては絶対に許されないことをしたがために起った事件であった。
世間は事件の犯人より、この父親を怒りの的にした。
さらに、警察はこの父親こそが、何らかの事情でわが子を死に至らしめ、事件、事故に見せかけているのではないかという疑いまで持っていた。

純さんは当初、自身の兄、その友人らとともに翔ちゃんを連れ、ゲームセンター内で遊んでいた。しかし、午前零時頃、翔ちゃんが眠ってしまったことから、車(シボレーアストロ)に連れて行ってバックシートを倒し、後部座席に翔ちゃんを寝かせた。
翔ちゃんはドアを開けたりすることは出来なかったが、パワーウィンドウの操作などは出来たという。夏であったことから、施錠はしたうえでエンジンをかけ、エアコンをかけていたためパワーウィンドウを動かせる状態にあったようだ。

警察は、純さんを取り調べ、その過程では証拠があるといってカマをかけ、純さんから自白を引き出そうとした。
しかし、店内の防犯カメラが証拠となって、純さんは無実であることが早々とわかった。世間からは批判され、警察からはまるで犯人扱いされた純さんはそれでもマスコミの前に立った。
マスコミにも応対し、自身でも何か情報がないかと動いたが、事件から9か月たっても捜査は何の進展も見せず、事件は迷宮入りの気配を見せ始めていた。

そのとき現場にいた人たち


その日は夏休み中の土曜日の夜であり、事件現場となった複合施設にはかなりの人が訪れていた。
ユニクロとゲームセンター、そしてコンビニもあったその駐車場には、遊びに来ていた人のほか、待ち合わせの人らの車も多かった。
花火大会へ行くために同駐車場に車を置いていたAさんとBさんのカップルもそのうちの一組だ。
Aさんは午後11時ころに花火大会を終えて戻ったのち、駐車場内のコンビニでジュースを買い、車へと戻り、翌午前3時ころまでその場所でBさんとともにいた。Aさんの車の右斜め前には、純さんの車が止められており、午前零時を回った頃、その車から翔ちゃんが窓を開け、身を乗り出しているのを目撃していた。
また、午前零時頃には、豊川市在住の高校生ら9人(C)が原付3台にそれぞれ3名ずつ乗るというよくわからない状態ではあるものの、同駐車場を訪れ、純さんの車の近くに原付を停めた。
その際、その中の数人が翔ちゃんを確認している。その後午前1時前にゲームセンターから出た際、3人の女性が純さんの車の窓をのぞき込み、翔ちゃんをあやすような仕草をしているのを見ている。高校生のグループCは1時10分ころにその駐車場を後にした。
その女性3人組は、午前零時半頃にDさん所有のエスクードでDさんを含め5名でその施設を訪れており、コンビニへ行って零時57分にエスクードに戻った際、赤ちゃんの泣き声を聞いた。
すると、Dさんのエスクードの隣にあった純さんの車の中に、翔ちゃんがいるのが見えたため、5人のうち3人の女性が窓をたたいたりして翔ちゃんをあやしたという。
高校生らが見たのは、この時の光景であると推察される。
Dさんら5人も、午前1時過ぎに駐車場を離れた。
Eさんは午前零時すぎ、友人が運転する黒のシーマでコンビニの東側の駐車場に4人で来た。そこで、コンビニの前の駐車スペースに、いわゆる番長停めとよばれる方法(スペースを二つ使ってエラそうに停めるアレ)で駐車し、午前2時ころまでコンビニ前でたむろしていた。
Fさんは午前1時10分ころ、知人男性との待ち合わせのため同駐車場を訪れ、コンビニを利用した。1時15分頃にコンビニから車へ戻った際に、純さんの車の横を通ったが、そのときに赤ちゃんの泣き声は聞こえなかったし、車の周囲に人影などはなかったという。その後1時半ころ合流した知人男性とその場を離れ、戻ったのは午前6時ころであった。
彼らは警察に事情を聞かれており、翔ちゃんと接触、あるいは目撃した最後の人たちであると言える。
午前1時21分、純さんが車に戻って、右側の窓が開いていることに気づく。中に翔ちゃんはいなかった。
慌てた純さんは、自身で周辺を探すと同時に、ゲームセンターの店員らにも声をかけ、妻に電話で事の次第を伝えた。
その後、警察に迷子で保護されているかもしれないと考え、豊川警察署へ行ってみたが、翔ちゃんは保護されておらず、事情を説明して再びゲームセンターへ戻った。

警察の捜査

純さんの届を受けた警察は、交番に連絡して翔ちゃんを探すよう伝え、午前3時から複数回、ゲームセンター駐車場の車のナンバーチェックを行っている。
ナンバーをもとに目撃情報などを集めた警察だが、有力な情報はなかった。しかし、一人の男性の存在があった。赤(あずき色)のワゴンRを所有していた男性である。そのワゴンRは、3時過ぎのナンバーチェックの際には確認されていたが、その後5時と10時に行われたナンバーチェックの中に、その車はなかった。
事件後、捜査員に事情を聞かれた男性は、その駐車場で友達と待ち合わせをしていたと答えた。しかし、それは嘘だった。
男性は妻と折り合いが悪く、喧嘩するたびに家を出ては車で寝泊まりする習慣(?)があったという。その日も、子どもに宿題の答えを教えたことなどで妻と口論になり、ゲームセンターの駐車場で寝ていたというのが本当の事だった。
この「嘘」がきっかけとなり、警察はこの男性を重要人物とみなしていたと思われる。警察は男性を尾行するなどして日常生活も調べていた。
そして、2か月後に男性がワゴンRを売却すると、その車を入手して鑑識にかけた。

しかし、翔ちゃんが車に乗ってたと思われる痕跡は、髪の毛一本、皮膚組織のかけらすらも出てこなかった。ちなみに、純さんの車に残された複数の指紋の中に、この男性と一致する指紋はなかった。

操作は再び暗礁に乗り上げた。
純さんら遺族は、その間も機会があればマスコミに対応した。しかし世間はこの父親を許さなかった。
会見時に来ていたヒョウ柄のコートや、純さんの車が当時はやっていた大型のシボレーアストロであったことを持ち出し、およそ親の自覚に欠けた人間であり、そんな親の元に生まれてしまったがゆえに翔ちゃんが事件に巻き込まれたのだという論調は衰えなかった。
たしかに、純さんの行動は親としての自覚に欠けていた。これは間違いない。しかし、「連れ去って殺害」した人間がいる以上、翔ちゃんの死の原因のすべてが純さんにあるとは言えない。
しかし捜査が進まず、犯人の目星が全くついていない現状では、怒りの矛先が純さんの過ちへ向く以外に、やり場がなかった。

ところが事件から9か月後の2003年4月13日。
愛知県警はワゴンRを所有していたあの男性を任意同行した。そして32時間後、男性は翔ちゃんの連れ去りと殺害を認めたのだ。男性の名は河瀬雅樹(現在は田辺雅樹)。トラックの運転手であった。

自供によれば、その夜ゲームセンター前の駐車スペースに車を停めて寝ていたところ、斜め前に停まっていた純さんの車付近から赤ちゃんの書き声が聞こえ、眠りを妨げられた。そのため、泣いていた翔ちゃんを開いていた窓から抱き上げて連れ出し、自身のワゴンRに乗せたうえで殺害現場まで行き、そこで翔ちゃんを突き落としたということだった。
警察は全面自供として河瀬を逮捕、悲しく残酷な事件ではあったが、これで解決かに見えた。

しかし、裁判が始まると河瀬は一転否認。弁護側も自白は信用性がないとして全面的に争う構えを見せた。
そして裁判の過程で、数々の疑問が噴出することとなった。

全面自供からの一転否認

河瀬は警察に対し、全面的な自供をしているが、なぜそのような自供をしたのか。
4月13日午前4時20分、警察は河瀬が寝泊まりしていた駐車場へ行き、寝ていた河瀬を起こして豊川警察署への任意同行を求めた。
この際、河瀬はまた嘘をついた。「今日は仕事があるから」と。
しかしその日休みであることはわかっており、警察はその河瀬の嘘からさらに疑いを深めたと思われる。

早朝たたき起こされた河瀬は任意同行に応じ、そのまま担当刑事から普段の生活の状況や車中泊をする理由などを聞かれた。午前6時ころからはポリグラフ検査が実施され、朝食を食べたのちまた取り調べが始まった。
取り調べの際、現場駐車場へ行った理由として、友達と待ち合わせていたとまた河瀬は嘘をついた。すかさず担当刑事が「それは嘘だろう!」と強く問い詰めたところ、同日8時半頃に寝場所を求めて現場駐車場へ行ったと話した。
そして、午前九時ごろに一旦は誘拐と海へ落したなどといったことを自供したものの、10時半ころには再び供述が変わり、連れ出したものの公園に置き去りにしたなどと言った。
その日の午後10時ころまで取り調べは続いたが、河瀬はその間否定を続けていた。
翌日、供述の基づいて現場へ河瀬を連れて行き、置き去りにしたという公園で、担当刑事が「何かまだ話してないことがあるんじゃないのか、このまま連れ去りの罪だけを償っても、一生後悔するよ」などといったところ、河瀬は泣きながら「ごめんなさい、本当は海に捨てました」と自白した。
それに基づき、捨てた場所へ案内させ、図面を作成させるなどしたうえ、4月15日、逮捕となった。
逮捕後、検察官の取り調べ、および担当弁護士らにも犯行を認める旨を話している。

ところが、29日になって、担当弁護士が3回目の接見を行った際、河瀬は突如犯行を否認したという。しかしその日の午後に行われた、それまでとは別の刑事の取り調べに対しては再び犯行を認める供述を行うという、ぶれぶれどころか支離滅裂の様相を呈していた。
裁判でもその点はかなり審議されているが、河瀬は説明がつかないことは否認してその場をやり過ごす、というような心理状態であり、また、否認すると担当刑事が大声で叱責すると言ったことが辛く、その状況に応じて否認したり認めたりを繰り返していたようであった。
そしてその自白に関しても、犯人でなければ知り得ないいわゆる「秘密の暴露」などは一切含まれず、事件の経過を詳細に知り得る刑事らの取り調べに沿うような供述をしていない、とも断定できなかった。
そして、河瀬のその二転三転する自白以外に、河瀬が犯人であるという証拠は一切出ていなかった。

車の位置関係

裁判では多くの人がその時間帯その場にいたことで、車両の位置関係が図で示された。
その複合施設は、当時入口から建物に向かって左端がユニクロ、中央から右がゲームセンター、そしてその建物の向かい側(国道側)にミニストップがあった。
現在は店の名前は違うものの、建物自体は当時のものがそのまま利用されている。
純さんのアストロは、ミニストップ側の駐車場入り口から進入してゲームセンター正面で右折した場所に、バックで駐車してあった。
純さんの車から向かって右前方、3台ほど離れた場所に、AさんとBさんの車が並んで駐車されていた。
高校生の集団Cは、ちょうど純さんの車の真正面にあたるスペースに原付を停めている。
Dさんらの5人グループは、純さんの車の右隣り(ミニストップ側)に駐車し、Eさんらはコンビニの前、そしてFさんは純さんの車と同じ列の南側に駐車したという。

河瀬の自供では、ワゴンRをAさんらの車から2台あけた同じ列に、純さんの車と向き合う形で駐車していたとされる。
また、その日その場所にあずき色のワゴンRが停まっていたというゲームセンターの店員の証言とも一致していた。
たしかに、この位置であれば純さんの車とさほど離れておらず、全開の窓から翔ちゃんが泣き叫んでいればその声は聞こえていた可能性が高い。
しかし裁判では、車を停めていたのは実は純さんの車から50m以上離れたユニクロの前であり、純さんの車を認識していなかったと主張した。
さらに、このゲームセンターの店員の証言も、実際には河瀬がそれまで何度もゲームセンター付近に停車しているのを知っていたために、車がそこにあったのが7月27日の事だったかどうかはあやふやであることも判明した。
そしてそれは、警察がゲームセンターの店員の証言を裏付けるために、河瀬の供述を誘導した、とも見えた。

噴出する疑問点

裁判では河瀬の自供のみが唯一の証拠であり、検察側の主張もそれに沿って行われた。
しかし、裁判が進むにつれ、数々の疑問点がみつかった。

①誰も見ていない不思議
広い駐車場ではあるが、純さんの車は目立っており、かつ、翔ちゃんが泣いていたこともあって複数の人がそれを目撃していた。
また、冒頭に登場したA~Fまでの個人、またはグループの人間は、具体的にその時の様子を覚えており、時間帯などもそれぞれの供述に矛盾がなかった。
たとえばAさんとBさんのカップルは、純さんの車のほぼ正面に駐車しており、向かい合う形になっていた。そして、翔ちゃんの存在にも気づいていたため、純さんの車を気にして見ていたという。停車していた時間は午前3時ころまでで、コンビニで飲み物を買って車内で話をしていた。その間、Cさんら高校生グループの中の数人と、その後Dさんらのグループの女性らが純さんの車に近づき、窓越しに翔ちゃんをあやしているような様子を目撃している。
そして、そのことはCさん、Dさんらのグループもお互いに同じことを証言しており、この3グループにはなんの接点もないことから信憑性は高い。
しかし、この3グループの誰一人として、付近にあずき色のワゴンRがその時間停車していたことを覚えていないのだ。
特に、AさんとBさんは犯行可能時刻の間中、通りかかる車の車種なども詳細に述べており、また、純さんの車に近づく人らの事もしっかりと記憶していた。
にもかかわらず、河瀬の姿も、ワゴンRも記憶にないというのだ。

②信号の話
河瀬の自供によれば、泣いている翔ちゃんを抱き上げて車で連れ去り、まず駐車場の被害側出口から出た後右折、最初の信号が赤であったため停車した、となっている。
しかし、のちの弁護側の調べで、この信号は深夜は点滅信号になることが確認された。
ただの思い違い、とも言えなくはないが、そこで河瀬は停車したことで翔ちゃんの様子をつぶさに観察しているのだ。
もしも勘違いなら、わざわざ信号が赤で止まったから、などと言うだろうか。

③翔ちゃんの検視報告との矛盾
河瀬は翔ちゃんを現場である岸壁沿いの道路のガードレールの海側に立たせると、その背後に立ち、そのまま背後を押して突き落とした、と最初の供述で述べていた。
しかし、その報道がなされた2日後、朝日新聞が犯行当時の海の状態と、翔ちゃんの遺体の状況とを照らし合わせると、突き落としたという供述は無理がある、との報道を新聞紙上で行った。
実は、当時の時間帯は引き潮にあたり、岸壁の下には岩場がむき出しになっていた。岩場は約3m露出しており、もしも河瀬の言うとおり、背後から押すようにして突き落としたのであればほぼ真下、岩場に落下し、翔ちゃんの体には多くの痕跡が見つかったと考えられる。
しかし、翔ちゃんの遺体はいくつかの浅い皮下出血などが認められはしたものの、それらを生じさせたものは「鈍体」であり、岩場のようなごつごつとしたものとは違っていた。
また、紙おむつのみでむき出しであったはずの下半身には新しい傷はなく、岩場に突き落とされたとしたならばそれも考えにくい。
しかし、その新聞報道から2日後、なんと河瀬の供述は一変。「突き落としたのではなく、バスケットボールをパスするような感じで翔ちゃんを海に向かって投げた(?)」に変わり、最終的には「顔の高さくらいまで抱え上げ、投げた」に変わった。いけない、これはどう考えてもいただけない。
これでは翔ちゃんの遺体の状態に沿うように供述を変えたと思われても仕方ないし、そうとしか思えない。
また、現場の岸壁付近は明かりもなく、真夜中に水面に浮いてきたのが見えたりするのだろうかという疑問もある。さらに、ガードレールから1mも幅がない場所で、体重およそ10キロの翔ちゃんを投げるということは、自分自身も足を滑らせる可能性が高く、そもそもそんなに遠くまで投げられるものなのだろうか。

④動機と犯行の乖離
河瀬は駐車場で寝ているところを、翔ちゃんの泣き声でそれを妨げられたことにイライラした、それが動機であると答えていたが、子ども泣き声がうるさいということだけで連れ去り、果ては殺害するという行為に及ぶのは突飛な印象がぬぐえない。
広い駐車場内でCさんらのグループは改造してマフラー音がうるさい原付で駐車場を訪れており、ほかにも騒ぐ客がいた可能性もあり、その中で翔ちゃんの泣き声だけが耳につくというのもよくわからない。そもそも、うるさいのであれば自分が場所を移動すればよく(最初の取り調べでは河瀬は人気のない閉店後のユニクロの前付近に駐車していたと言っている)、わざわざ殺害してまで静かにさせるという行動に移るのはどうにも不自然である。

⑤ありえない時間軸
河瀬は、ワゴンRの中で横になっている時、「バリバリバリ」という音がして、見ると二人乗りのバイクが走っていくのが見えたとし、その視線の向こうに純さんの車が見え、窓が開いていたという供述をしている。そして、バイクを見てからワゴンRを降りて純さんの車に近づくまで、外を見ていないと話した。
しかし、その前段階の供述として、純さんの車の周辺に3人の女性がいて、窓越しに手を振るなどしていたのを見た、さらには自身の車のそばに女性が一人乗っている車があった、とも証言し、図にまで描いていた。それを後になって、別の日に見たことを勘違いしたかもしれないとして訂正した。
その図には、女性らの年齢や車種(エスクードかカルタス)も記され、事実、翔ちゃんに手を振るなどしていた3人組を含むDさんらのグループが乗っていた車はエスクードであった。
少々わかりにくいのだが、河瀬は翔ちゃんの泣き声が30分か、もしかすると1時間程度続いていたとも供述している。それと、原付が走る音を聞いたあと、外を見ていないという供述を前提にすると、原付が同駐車場に来た零時頃の音なのか、1時5分に駐車場を出ていく際の音なのかの判別がつかない。
仮に零時頃の話だとするならば、起き上がるまでに周囲を見ていない、起き上がった際に人気はなかったとしていることから、Dさんらを目撃していないということになる。
また、Cさんらのグループが駐車場を出ていく1時ころの音だったとしたならば、そのCさんらがDさんのエスクードが先に駐車場を出るのを目撃していることから、こちらもやはりDさんら女性3人が手を振る姿を見ることは不可能である。
いずれにしても、翔ちゃんの泣き声を聞いたこと、原付の音を聞いたという供述を前提にした場合、かつ外を見ていないならばDさんらを目撃することは有り得ず、どこからエスクードの話が出たのかわからなくなってくる。逆に、エスクードを見たことが本当なら、なぜ外を見ていないなどというのか。
日にちの勘違いだとしても、この日と同じようにエスクードに乗った女性3人が窓越しに手を振っている姿を別の日に目撃していたというのは、勘違いにしても何ともおかしな話である。

⑥犯行後に犯行現場に戻る不可解
河瀬のワゴンRは、事件後の午前3時に同駐車場において警察が実施したナンバーチェックの際、その駐車場にあったことが確認されている。
ということは、河瀬はその駐車場で翔ちゃんを連れ去り、殺害した後再びその駐車場に戻っていることになる。幼い子どもが行方不明ともなれば、警察が動くということは誰でも容易に想像できることだ。
にもかかわらず、そこへ戻るというのは心情的にあり得るのだろうか。供述では、「現場の様子が気になったため」戻ったとしているが、様子をうかがいたいなら何もその駐車場に止まらずとも確認はできたはずだ。
しかも、もしかしたら誰かに誘拐の現場を見られていたかもしれないのだ。重大な犯罪を犯した人間の心理とはかけ離れているように思える。
さらに、河瀬は事件があった翌日、家族で遊園地などに行ったのち、再びこの駐車場で車中泊をしている。

⑦『はんぺん』という言葉
河瀬は供述の中で、翔ちゃんの衣服について、「はんぺん」を着ていた、と説明している。
実際には翔ちゃんはミッキーマウス柄の甚平を着ていたわけだが、実はこの言い方は河瀬の出身である福井県の方言なのだという。
しかし、河瀬はそういった言い方をする習慣はなかった。というより、その言葉自体を知らなかったのだ。
供述が河瀬によるものであるならば、到底出てこない言葉であるはずで、裁判でもその点は指摘されている。

⑧河瀬の人柄と行動の乖離
河瀬は幼いころより、なにかにつけ「人に迎合する」癖があったという。言い争って主張を通すとか、そういったこととは無縁で、カラスを見て「あれは白だ」と誰かが言えば、「そうだ白だ」といってしまうほどだったというのは河瀬の父親の弁である。
勤務先の運送会社でも、河瀬の評判は悪くない。子ども好きで、他人の子供もかわいがっていた、気が小さくおとなしい、そういった声がほとんどだった。
家庭でも妻に頭が上がらず、居心地が悪いと逃げ出すような男だ。
そんな男が、人に見られる可能性も顧みず他人の車に近づき、あろうことかそこから赤ちゃんを連れだして自分の車に乗せ、そして殺してしまう、それがどうも結びつかない。
純さんの車は当時はやっていたシボレーアストロ。いかつい大型の外車である。
深夜のゲームセンターに、スモークが張られたアストロがあったとして、普通は近づきたくないのではないか。
そんな車に乗っているのはおおよそめんどくさい相手と思って間違いない、絶対そうだ。
もしも河瀬と純さんが知り合いで、因縁めいたものがあったというなら100歩譲ってまだわかるが、二人は見ず知らずの間柄だった。

2006年1月24日。名古屋地裁の伊藤新一郎裁判長は、無罪の判決を言い渡した。

まさかの逆転有罪

晴れて無罪となった河瀬は、2年9か月ぶりに自由の身となった。
記者会見に臨んだ河瀬は、いつもの気弱で自信なさげな印象はあるものの、少し笑顔も見られた。
一方、父親の純さんの心は複雑だった。警察からは「確実な証拠がある」と聞かされていたのに、裁判の過程で「これは!」といった証拠は一切出なかった。
純さんは、判決が出る2週間前に受けた雑誌の取材で、「秘密の暴露もなかった。真犯人はほかにいるのかな、という思いもある」と答えている。それほどまでに、矛盾だらけの裁判であった。
無罪判決の後、純さんは、「真犯人を見つけてほしい」と話した。

河瀬はその後離婚し、田辺と姓を戻して実家に身を寄せた。弁護士は「正義にかなった判決。検察庁は控訴せず、判決を確定させてほしい」と訴えた。
河瀬も職を見つけ、ようやく自身の人生を取り戻したかに見えた。しかし、検察は控訴、河瀬はふたたび愛知県に戻る羽目になり、派遣社員で生活をしていた。

控訴審では新たな目撃者が出廷し、一審では認定されなかった河瀬の車の位置について、検察がいうとおりの純さんの車の斜め向かいに停まっていたと証言した。
しかし、この話は実は一審でもでていた。ただ、色が同じであっただけで、車種がそもそも違っていたという結論になっていた。
にもかかわらず、「赤いワゴンR」と断言する形で証言された。
それ以外に真新しい証拠はないに等しく、二審でも無罪判決は揺るがないかに思えた。

2007年7月6日、控訴審判決。
弁護団も河瀬も、無罪を確信していたという。むしろ、検察がさらに上告することを懸念していたくらいだった。
しかし名古屋高裁は、「原判決を破棄」し、懲役17年を言い渡した。自白は信用できる、として、逆転有罪判決を下したのだ。
一審での判断は何もかもが正反対の解釈をされた。
①詳細な供述をしたAさんからEさんまでが、誰一人として河瀬の姿もあずき色のワゴンRも見ていないとしたのに対し、新たに証言した目撃者の証言が正しいと認定した。
②犯行の様子が変わったのは、単に状況を詳しく聞いたがための事で、変遷とまでは言えない
③自白したり否定したりしたのは、真実を隠すためのことであり、やっていないとは言えない
このように、全てを否定した。さらに、河瀬が犯人でないという証拠がないとまで言ったのだ。
これにはさすがに驚いた。もしもこれがまかり通るならば、一旦お前が犯人だといわれたら、たとえば純さんのように防犯カメラという確たる証拠がなかったら、そのまま犯人といわれてしまう可能性があるということだ。それを裁判所が認定したのだ。
広島の放火殺人で一貫して無罪が言い渡されたのは、「疑わしいのであるならば、国家権力側がそれを立証する責任がある」という刑事訴訟法を踏襲した結果のことである。どんなに疑わしくても、それを立証できなければ、罪に問うことは出来ないのだ。
(同じようなケースで恵庭OL殺害事件があるが、少なくともあの事件では大越元受刑者が犯人であると指し示す物的証拠、客観的証拠が多数出ている点で同類とは言えない。)
名古屋高裁は、それを放棄したといってもよいほど、これはいくらなんでも雑な裁判といわざるを得なかった。

では誰が犯人なのか

この事件は冤罪ではないのかという声が少なくない。私自身もそう思ってきた。恵庭OLの大越元受刑者が「小鳥」ならば、この河瀬は「瀕死の小鳥」であった。
しかし、最高裁でも判断は覆らず、2008年9月、上告は棄却された。
当初は河瀬の犯行かどうか疑わしいと思っていた純さんも、このころになると河瀬の犯行であると思えるようになっていたようだ。
ただ、マスコミの取材に対し、「本当に河瀬が犯人なら、翔が教えてくれると思う」といった発言もあった。心の中では、納得できる答えが出ていないものの、かといって絶対に河瀬ではない、とも思いきれない、悲しく辛い遺族の心情が垣間見える。

河瀬が犯人であるとしても、やはり一審で抱いた数々の疑問というものは解消されない。
なぜ、誰も河瀬もワゴンRも見ていなかったのか。
事実として間違いないことは、
①翔ちゃんは午前零時頃純さんによって車に連れてこられた。
②純さんの姿は防犯カメラでゲームセンター内にいることが確認されている
③午前零時すぎ、翔ちゃんが起きだして車の窓を開けるなどしているのをAさんとBさんが見ている
④Cさんらの高校生グループが、午前1時ころに純さんの車をのぞき込む女性3人(Dさんのグループ)を見ている
⑤Dさんらのグループが午前1時ころ駐車場を出るまで、翔ちゃんは車にいることが確認されている
⑥1時15分にFさんが純さんの車のそばを通った際、人の気配はなく、翔ちゃんらしき赤ちゃんの声なども聞こえなかった
⑦1時21分、純さんが車に戻ると、翔ちゃんが消えていた
⑧AさんとBさんは、午前3時ころまで純さんの車と向かい合う近い場所に駐車し、その車内にいた
⑨AさんとBさんはCのグループの数人と、Dさんのグループの女性3人以外の人が純さんの車に近づくのを見ていない
これが時系列でみた場合の「事実」である。

ということは、午前1時過ぎから15分~20分の間に、翔ちゃんは連れ去られた可能性が高い。最後に翔ちゃんを目撃したのはDさんらのグループである。
この短時間に、河瀬が、というか、誰かが誰にも見られずに翔ちゃんをさらったということになる。しかも、AさんとBさんは、翔ちゃんが存命していた午前零時過ぎから事件が起きたあとの3時ころまで、純さんの車のそばにいたはずである。実際、純さんが捜しに来た際、Aさんらにも何か見ていないかと声をかけている。
しかし、AさんもBさんも、前述の高校生グループとDさんらのグループ以外に純さんの車に近寄った人物を見ていないという。
もちろん、目撃証言や時間など、証言のすべてが事実だとするならば、であるが。

誰かが嘘をついていなければ。

誰にも見られず連れ去れたのは、誰もいなかったという証言があるからで、登場人物の誰かの「嘘」はここにないのだろうか。

もちろん、それには河瀬も含まれる。彼がやったという証拠もないが、やってないという証拠も、実はない。
翔ちゃんは実際にその15分から20分間に連れ去られた。死因は海水を飲み込んだことによる窒息と判明しているため、生きたまま海に投げ込まれたのも事実だろう。
誰が、なんのために。

掴めない人物像

河瀬は留置場でたまたま一緒になった人物に対し、身代金目的で豊川の事件を起こした、と語ったという。
しかし、別のときにはやってないともいっているし、「やったといったじゃないか」と言われてまた、「本当はやった」などと言った。

河瀬は非常に気が小さく、他人に抗議したり主張したりできない人物だといわれている。外見的にも、細く痩せた体にうつろな視線の河瀬は、まさにその通りに見えた。
ただ、取り調べの段階で、その人物像が崩れる場面があった。
最初に取り調べをした担当刑事に対し、ある時から取り調べに応じなくなったという。
河瀬は、その担当刑事のいうことが細かすぎて嫌だ、と不満を漏らしていた。そのため、担当刑事を変えたところ、また取り調べに応じるようになった。
さらに二日後、最初の担当刑事に対し、その刑事から聞かされていた河瀬の子供たちの様子が、実際と違うじゃないかと言い、さらには警察はうそつきだといって取り調べができる状態ではなくなってしまう。
それに対して警察は、子供らが通う教師らに接見に来てもらうことで河瀬を納得させたという。その翌日には、「もう話すことはない」などと言い出し、自ら手錠をかけて留置場に戻るという態度であった。

これらは、およそ気の弱い、誰にでも迎合するという人物像とはかけ離れているとは言えないだろうか。

裁判資料を読むにつけ、どう考えてもこれで有罪はいくらなんでも、というのは同意見である。河瀬も含め、この状況の中でいったい誰が翔ちゃんをさらうことが出来たのだろうか?
しかし、誰かが翔ちゃんを殺害したのは紛れもない事実である。
警察は当初父親に絞って疑いをかけたため、初動捜査に誤りが出た可能性もある。そもそも、なんで事件後の駐車場にある車のナンバーチェックをしたのだろう。何の意味があるというのか。普通に考えて、事件後おめおめと現場に戻る犯人がいるもんだろうか。むしろ、すでにいなくなっている車を調べるべきではなかったか。
純さんら遺族は、あの日の自分を今でも悔いていることだろう。
なぜ、連れて行ってしまったのか。なぜ、翔ちゃんをひとり車に残してしまったのか。
もちろん、翔ちゃんを最後に見た目撃者らも、悔いが残ることになったであろう。
河瀬は大分刑務所に収監されたが、愛知をはじめ支援する会が発足し、再審請求も行われたが、2019年1月25日、再審請求は認められなかった。
河瀬が無実かどうかよりも、翔ちゃんの死の真相が知りたい。そのために、もう一度、調べなおすことは出来ないのだろうか。

疑わしきは罰せず、その精神はこの豊川事件で守られることはなかった。

**********
参考文献
逆転有罪判決のウラにはあの女性裁判官の存在が… 愛知県豊川市の幼児誘拐殺害事件 節目の10年を迎え、事件と裁判を改めて徹底検証!
原 知之著 冤罪file 2012.7 p.78-88

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