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コメント欄での言い合いを止める

 先日のALGS LCQのミラー配信において、コメント欄が荒れかけた。コメント欄でのリスナー同士の口論というのは、時々起こるものだけど、その対処について少し書いてみようと思う。
 たぶん同じような悩みを抱えているモデレーターや配信者もいると思うので、ひとつの事例紹介として捉えて貰えれば良いのかなと思う。


1.事の発端

 そもそもの事の発端は、選手の1人が、初動ファイト直前で回線落ちしたこと。初動ファイトで負けかけたので、一旦バナー回収してリスポーンビーコンまで向かい、リスポーンには成功したものの、安置外を移動していたら安置外にいた部隊に絡まれ、なんとか安地内に入ったものの集中砲火を浴びて結局部隊全滅。そして、そのマッチで他チームの優勝が確定してしまうという、なんとも後味の悪い戦いであった。
 回線落ちしなかったとしても、初動ファイトに勝てたかどうかは怪しいので、回線落ちが敗因だったとも言い切れない。回線落ちといっても少ししたら復帰したので、そのマッチで復帰不可能だったというわけでもない。回線落ちは、誰にでも起こり得る事故であり、他チームが回線落ちしたことによって利益を得たこともあっただろうし、今回はたまたま自チームに降り掛かってしまったということだ。残念ではあるけれども、致し方ない。
 そして、回線落ちした当人がTwitterで愚痴ったことについて、それを咎めるリスナーが出てきたため、他のリスナーと口論になりかけた。という経緯であった。

2.私の対処

 私は当初、「まあ放っておけばいいだろう」と思って静観していたというかスルーしていた。古い人間だからか、スルースキルというかスルーしてしまいがちなのだ。
 ただ、反応するリスナーが出てきてしまい、口論になりかけていた。確実に口論になる流れだったので、そこで食い止めることにした。
 どうやって止めたかというと、

 というコメントをした。咄嗟に書き込んだコメントではあるけど、思いつきのコメントではなく、一応それなりに考えがあってのコメントなので、何を考えてこういうコメントになったのかを少し記したい。

  1. いずれの見解にも与しない

  2. 重要なのは是非の決着をつけることではなく、口論をさせないこと

  3. どちらが悪いかという裁定もしない

  4. その旨を明確にして伝達する

 主に意識したのは上記4点。
 件のツイートが良いか悪いかは、ここでの主題ではない。そこを取り違えてはいけない。

 ↑でも書いたけれども、コメント欄は正論を巡って討議する場ではない。だから、彼のツイートの当否を論じる場ではないし、どちらかの意見が正しいかを裁定する必要もない。賛否いずれのコメントも、コメント欄において不適切な言動であるから、両者ともに抑止する必要がある。
 そして、何も言わずに削除したりするのではなく、ちゃんと明確に宣言をすることが大事。両者ともに削除することを明確にしておかないと、一方当事者が「なんで俺だけ消されるんだ」みたいな対応になったりする。だから、どっちが悪いとかそういうことは考慮せず、一律にすべて削除する旨を宣言した。
 そうすれば、当事者のリスナーは、「どうせ削除されるのにコメントする必要もないだろ」と思うだろうし、「相手のコメントが削除されるだろうから、俺ももう言う必要もないわ」となるだろう。
 他のリスナーも、「これでもう口論を見ずに済む」と安心するだろう。

 重要なのは、ただコメントを削除するのではなく、ちゃんと説明の上で宣言すること。そうしないと、不適切なコメントが出てくることを予防できないし、リスナーの納得も得られない。
 現に、このコメント以後は特に削除することもなく、口論をするようなコメントもなくなった。また、口論を誘発するようなコメントも出なかった。

 あと、私は「私のコメント以後は削除します」と言っており、私がそのコメントをするよりも前のコメントは削除していない。不適切なコメントである以上、削除しても問題はないのだが、やはり後出しじゃんけん感が残る。「削除します」と宣言した後にコメントをして削除されても、不満感は特にないだろうが、その宣言以前のコメントが削除されたら不満感は残りやすい。
 「今までは静観してたけど、これ以後はだめだぞ」という方が、当事者のリスナーも従いやすいだろう。

3.説明と納得感に拘る理由

 以上を読んで、私が説明やらリスナーの納得感にやたらと拘っていると感じるかもしれない。
 そして、それはそのとおり。以前、

 という記事を書いたけれども、リスナーからの信頼を得るというのはとても大事なことだ。
 ↑の経緯の説明を見ると、私の鶴の一声で問題が解決したようにみえるかもしれないけれども、そこまで話は単純ではない。私の鶴の一声で解決したようにみえるのは、リスナーの人たちがそれに応じてくれるからだ。そして、それはたぶん信頼があってこそだと思う。
 逆にいえば、私がリスナーの人たちから信頼されていなければ、従わずに口論を続けていただろう。あるいは、「言論統制かよ」といったような批判も出たかもしれない(というか、昔は実際に言われたことが何度もある)。

 これまでの積み重ねがあって、信頼して貰っているからこそ、今回も他のリスナーの人たちが応じてくれて事態が沈静化したのであって、別に私の対応が優れていたことが理由で事態が沈静化したわけではない。
 「これまでの積み重ね」というのは、その都度きちんと説明するということ。強権的に削除したりBANすれば、その場その場は収めることができる。けれども、処分されたリスナーも、他のリスナーも、納得できないかもしれない。渋々従ってるだけで、内心「なんで?」と不信感を募らせているかもしれない。だから、ちゃんと納得できるように説明することが大事だと思う。その場その場では、説明しようがしまいが変わらないかもしれない。
 ただ、その積み重ねが差となって現れる。だから、日頃からきちんと向き合って対応することが大事です、というのが、本稿の最も言いたいこと。

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