言葉が全くわからない教室で過ごした思い出
劣等生
小学校6年生のとき父の海外赴任についてドイツのハンブルクにて1年間暮らしました。英語もドイツ語もできませんでしたが、現地校へ通うことになりました。親は研究者だったため、日本人学校やインターナショナルスクールの学費は高すぎたのだと思います。
ドイツの小学生は、英語が私よりずっと上手でした。公立の小学校でも、早い頃からイギリス人の先生から英語を習っているからです。私のドイツ語も英語も上達しないうちに、フランス語の授業まで始まった時には焦りました。フランス語の先生が一番前の列に座っていた私にフランス語で話しかけてきました。全く理解できずにいると、先生がドイツ語に切り替えました。クラスメイトが、「彼女はドイツ語も英語もできない」と先生に説明していたことが恥ずかしかったです。
ドイツに来て、劣等生にすらなれない「お客さん」のような存在になってしまいました。日本では学芸会で主役をするような目立ちたがり屋の性格でしが、一気におとなしい性格になってしまいました。
修学旅行
修学旅行に行くと、朝ご飯がほとんど黒パンでした。私は黒パンが食べられなかったのですが、白パンは10人で取り分ける大皿に2枚しかなくて手を出せませんでした。3泊の修学旅行でしたが、初日に母がもたせてくれたおにぎりを大事に食べて乗り切りました。小学生ながら、痩せたのを感じました。
さらにハンブルクの中央駅に戻ると両親が迎えに来ていません。両親のドイツ語も怪しいので、私が帰ってくる日付を翌日と勘違いしていたようです。ドイツ語も英語もできない私は、先生に助けを求めることもできませんでした。お金もなかったのでバスを無賃乗車し、運転手に止められないように、ジャンプでバスから飛び降りてなんとか帰宅しました。
言葉ができないだけで、こんなに苦労するのかと思いました。これが英語を一生懸命勉強しようと思うきっかけとなりました。
語学の大切さを若い頃に体感
日本で暮らしていれば、英語を使う必要はありません。だから、もし私がずっと日本で育っていたら、英語の勉強を頑張ろうとは思わなかったと思います。
社会人になって学校の勉強で一番役に立っている科目は英語です。若い頃に、語学ができないと、自分のアイデンティティさえ変わってしまうのだということを体感できたことが、英語を頑張るモチベーションを私にくれました。ネガティブな体験ほど頑張ろうという意欲の源になるような気がします。
ドイツに暮らしていた1年間は、寂しかったりもしましたが、日本に帰ってから、NHKラジオと学校の教科書で地道に英語を勉強することになりました。